歩め!海に足を踏み入れれば、それは開かれる

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はじめに:神様はあなたが知るずっと前から備えてくださっていました

あなたは、自分の人生には何も特別なことがないと感じているかもしれません。長い年月が過ぎたのに神様に用いられた実感がない、あるいは反対に、召しに応えるにはもう遅すぎると感じているかもしれません。この日曜日、CCNVマルセイユで語られたメッセージ「歩め!」は、モーセの生涯を通してひとつのことを思い出させてくれます。神様はあなたが生まれる前から計画をもってあなたを形づくり、そして今日、たとえ準備ができていなくても、ふさわしいと思えなくても、絶好調でなくても、立ち上がって歩き出すようにと語っておられるのです。

イスラエルの民は何年もの間エジプトで奴隷でした。ところがある日、神様は八十歳の、口が重く、逃亡の身で、荒野で羊を飼っていたひとりの男を送り、ファラオに立ち向かわせました。その人がモーセです。彼の物語が私たちの心に響くのは、神様が同じようにあなたにも働きかけておられるからです。神様はあなたを人知れず備え、あなたが最も弱いと感じるときに召し出し、そして海に足を踏み入れることで海が開かれるようにされるのです。

全体の流れ

1. 神様はあなたが生まれる前から計画を持っておられた

2. 備えの荒野は無駄にならない

3. 「わたしはあなたと共にいる」:唯一大切な資格

4. 歩め!海が開く前に足を踏み入れよう

1. 神様はあなたが生まれる前から計画を持っておられた

モーセは母の胎に宿るずっと前から、神様の心の中にいました。神様はこう言われました。「わたしはモーセをこのように、このように、このように形づくろう。彼はわたしの民を解放するのだ」と。それは偶然でも、才能の話でも、功績の話でもありません。世界が始まる前から描かれた神様のご計画なのです。預言者はこう記しています。「わたしはあなたを母の胎の中に造る前からあなたを知っていた。あなたが胎から出る前にわたしはあなたを聖別し」(エレミヤ 1:5)。

これはモーセだけでなく、あなたにも当てはまります。あなたもまた、神様が明確な目的をもって形づくられました。あなたも「神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られた」のです。神様はその良い行いを前もって備えてくださいました(エフェソ 2:10)。自分の価値を疑うとき、あなたの中にある命には神様のご意志が込められていることを思い出してください。

悪魔は初めから抵抗します。モーセは皆殺しの命令のもとに生まれました。ファラオはヘブライ人の男の子をすべて殺すよう命じていたのです(出エジプト記 1:15-22)。これは偶然ではありません。神様がある子どもに計画を持っておられるとき、敵は生まれたときからそれを打ち砕こうとします。しかし助産婦のシフラとプアは、ファラオよりも神様を恐れ、命令に従うことを拒みました。その結果、「助産婦たちが神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせられた」のです(出エジプト記 1:21)。もし悪魔があなたを執拗に攻撃してくるなら、それはあなたの人生に価値がない証拠ではなく、むしろ神様があなたに抱いておられる計画がとても大きいことのしるしなのです。

あなたが最も大切なものを委ねるとき、神様がその重荷を担ってくださいます。モーセの母は三か月間息子を隠し、それからナイル川にかごに入れて浮かべました(出エジプト記 2:1-10)。これは信仰の力強いイメージです。手を開いて手放すこと、自分ではもう抱えきれないものを神様に委ねること。そして神様は応えてくださいました。ファラオの娘がモーセを引き取り、しかも実の母親が乳母として報酬を受け取ることになったのです。神様に委ねるとき、何ひとつ失われることはありません。

2. 備えの荒野は無駄にならない

モーセはファラオの宮廷で育ち、エジプト人のあらゆる知恵を教え込まれました(使徒言行録 7:22)。ところがある日、虐げられていたヘブライ人をかばおうとしてエジプト人を打ち殺してしまい、逃げるほかありませんでした(出エジプト記 2:11-15)。召しはすでにそこにあったのに、彼は自分の力で、自分のやり方で事を進めようとし、そして失敗しました。

それからモーセはミディアンへと旅立ちました。自分の民ではない人々のもとへです。結婚し、子どもをもうけ、しゅうとエトロの羊の群れを飼いました。四十年です。沈黙の中の四十年。何ひとつ華々しいことのない仕事に費やした四十年でした。

あなたもまた、年月だけが過ぎていき、神様に用いられている実感がないと感じているかもしれません。仕事は地味で、あなたの奉仕には誰も目を留めず、かつて抱いていた夢はほこりをかぶってしまったかもしれません。でも、はっきり理解してください。この隠された時間こそ、神様があなたを備えておられる時間なのです。もしモーセがエジプトにとどまっていたなら、自分が戦うべき圧制者そのものになっていたことでしょう。あの荒野、あのへりくだり、何もないように見えたあの年月こそが、彼を解放しようとしている民から信頼される人物へと造り変えたのです。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、すべてのことがともに働いて益となる」のです(ローマ 8:28)。無駄になる年月はひとつもありません。今あなたが人目につかないところで身につけていること(仕える、掃除する、愛する、誰も見ていなくても誠実であること)、それこそまさに神様があなたの召しの中で用いてくださる材料なのです。

燃える柴は、とてもシンプルなしるしです。神様がモーセを召されたとき、天使の軍勢を送ったわけではありません。荒野の一本の柴を燃やしただけです(出エジプト記 3:1-6)。中東の暑さの中で柴が燃えることほどありふれた光景はありません。奇跡なのは、それが燃え尽きなかったことです。神様は毎日、雨や朝の鳥の声、何気なく開いた聖書の一節、兄弟姉妹のひと言といった、ごく単純なものを通して語りかけてくださいます。壮大なしるしを待っているあまり、見逃してしまわないようにしましょう。神様はしばしば、消えることのない小さなものの中にご自分を現されます。

3. 「わたしはあなたと共にいる」:唯一大切な資格

燃える柴を前にして、モーセは恐れます。彼は自分がふさわしくない理由をいくつも並べ立てます。「私は何者なのでしょう。ファラオのところに行くなどとは」(出エジプト記 3:11)。「私は口の重い、舌の重い者です」(出エジプト記 4:10)。

モーセが神様を信頼していなかったわけではありません。本当の問題は、自分自身への信頼でした。あなたと同じように、彼は自分の失敗をすべて知っていました。殺してしまったエジプト人、自分を拒んだヘブライ人たち、逃亡、失った家族、エジプトの栄光からほど遠い羊飼いの生活。悪魔は毎日あなたの失敗を思い出させ、こうささやくことに喜びを感じます。「お前は今までも成し遂げられなかった。今さらできるはずがない」と。

そして神様の答えは、たった一言に尽きます。「わたしはあなたと共にいる」(出エジプト記 3:12)。「あなたは十分に強い」でもなく、「あなたは十分に雄弁だ」でもなく、「あなたの経歴は申し分ない」でもありません。ただ、わたしがあなたと共にいる、というだけです。あなたが失敗してきたことは、すべて自分ひとりで、自分の道を探しながら起こしたことでした。しかし今回は、神様があなたを送り出し、そしてあなたと共に歩んでくださるのです。

神様がモーセを召されたとき、彼は八十歳でした。主はエジプトで培ったものを彼の中から取り除き、最も弱くなったときに彼を遣わされました。「これは権力によらず、能力によらず、ただわたしの霊によって、と万軍の主は言われる」からです(ゼカリヤ 4:6)。あなたが召しへと踏み出すのは、準備ができたからではありません。神様が共にいてくださるからです。

年齢は関係ありません。モーセが答えたのは八十歳のときでした。このメッセージの中で紹介された宣教師エリカ・ウォルプさんは、十四歳で信仰に導かれ、その同じ年に最初の宣教旅行に出ました。どうすればいいか分からないまま、ただ祈っただけです。神様は必要なものをちょうど与えてくれる人を送ってくださいました。あなたがとても若くても、とても年を重ねていても、神様は今、あなたを用いることができるのです。

4. 歩め!海が開く前に足を踏み入れよう

ここにこのメッセージの題名であり、核心があります。歩め。イスラエルの民が紅海にたどり着いたとき、後ろにはエジプト軍、前には海が立ちはだかっていました。海はまだ閉じています。神様は「海が開くから、それから歩きなさい」とは言われません。モーセにこう命じます。「あなたの手を海の上に差し伸べて、それを分けなさい」(出エジプト記 14:15-16)。まず動くこと、足を踏み出すこと、前に進むことが必要です。そして歩き出すその中で海が開かれるのです。

悪魔はいつも、神様の求めることを行おうとするとき、うまくいかない可能性のあることばかりをあなたに見せようとします。あなたに足りないもの、あなたの周りやあなたの内側で勝利にそぐわないもの。でも、勝利を手にする唯一の方法は、海が開かれるように、まず海に足を踏み入れることなのです

仕事を探さなければ、見つかることはありません。試験を受けなければ、合格することは決してありません。自分にできないことに挑まなければ、いつまでもできないままです。だから歩み出しましょう。やり方が分からなくても構いません。主があなたを遣わされるなら、道すがら示してくださいます。

教会では、歩みながら学びます。伝道の仕方が分からないなら、伝道している誰かのそばに立ち、耳を傾けてください。次の機会には、あなたが語る番です。私たちは共に学び、共に築いていきます。モーセもアロンもヨシュアも長老たちも、もともとは建築家ではなく、羊飼いでした。主は彼らを一段ずつ、着実に導かれました。あなたにとってのその一段は、試験かもしれませんし、難しい会話、引き受ける奉仕、関わる働き、罪から悔い改める決断かもしれません。ひとつひとつの歩みが、海への一歩なのです。

神様の平安があなたのコンパスです。あちこち走り回ることではありません。主はあなたをどこかに置き、預言の言葉、導き、ビジョンを与えてくださいました。置かれた場所にとどまり、そこで仕えましょう。とても信仰的に見えても神様が求めておられない計画に飛びつこうと自分の場所を離れるなら、攻撃を受けやすくなり、何ひとつ実を結びません。主が遣わされた場所に戻れば、すべてが元通りに整います。

主はあなたの約束にかぶったほこりを払いたいと願っておられます。あなたはもう長く信仰生活を送っているかもしれませんし、ちょうどイエス様に出会ったばかりかもしれません。どちらであっても、こう祈りましょう。「主よ、私の目を開いてください。あなたが私に約束されたことを思い出させてください。私があなたに約束したことを思い出させてください」と。あなたの中には、神様が呼び覚ましたいと願っておられる、埋もれた夢があります。今こそ立ち上がり、歩み出すときです。

まとめのポイント

  • 神様はあなたが生まれる前から、明確な計画をもってあなたを形づくられました(エレミヤ 1:5)。あなたの人生には、決して偶然ではない神様のご意志が込められています。
  • 敵があなたに執拗に攻撃してくるのは、しばしば神様があなたに抱いておられる計画の大きさを示すものです。出エジプト記の助産婦たちはファラオではなく神様を選び、神様は彼女たちを祝福されました。
  • 備えの荒野は決して無駄になりません。神様が沈黙しているように思える年月こそ、あなたの召しの材料となります(ローマ 8:28)。
  • 神様はとてもシンプルなしるし(燃え尽きない柴)を通してご自身を現されます。壮大なしるしを待っていると、見逃してしまうことがあります。
  • あなたの資格は、力でも雄弁さでも経歴でもありません。それは「わたしはあなたと共にいる」という言葉です(出エジプト記 3:12)。
  • 年齢は関係ありません。モーセは八十歳、エリカさんは十四歳でした。神様はご自分が選ばれた人を、選ばれたときに召されます。
  • 海が開く前に歩み出しましょう。水に足を踏み入れることによって、道が開かれます。最初の一歩なしに勝利はありません。
  • 神様が置かれた場所にとどまりましょう。あなたのコンパスは、いかにも霊的に見える計画ではなく、神様の平安です。

あなた自身への適用

  • あなたの人生に対する「神様のご計画」で、長い沈黙の年月の下に埋もれさせてしまっているものは何ですか。今週、主に思い出させてほしいと願う約束は何ですか。
  • 今日、敵はどこであなたにこうささやいていますか。「お前は今までも成し遂げられなかった。今さらできるはずがない」と。出エジプト記 3:12のどんな答えで、それに応えたいですか。
  • 今あなたが経験している「ミディアンの荒野」(沈黙の時、地味な仕事、隠れた奉仕)があり、それを軽んじたい誘惑を感じていませんか。
  • 今日、あなたの前にある海は何ですか。試験、会話、奉仕、悔い改め、赦すべきこと。今週踏み出せる最初の一歩は何でしょうか。
  • あなたは神様が置かれた場所にとどまっていますか。それとも、いかにも信仰的に見えても神様が求めておられない計画に走ってしまっていますか。

引用聖句

よくある質問

「海が開く前に足を踏み入れる」とはどういう意味ですか。

これは出エジプト記14章から取られたイメージです。紅海を前にして、神様はまず水を分けてからイスラエルに渡るよう命じたのではありません。まず歩き出すよう命じられたのです。「あなたの手を海の上に差し伸べて、それを分けなさい」(出エジプト記 14:15-16)。奇跡は動きの中で起こります。従う前にすべての条件が整うのを待っている限り、道は閉じたままです。神様が道を開くために待っておられるのは、従順な最初の一歩なのです。

神様はなぜモーセが八十歳になるまで召さなかったのですか。

もしモーセが四十歳のとき、ファラオの宮廷で培われたままの姿で召されていたら、自分が戦うべき圧制者そのものに見えていたでしょう。ミディアンでの四十年の荒野の日々が、彼から高ぶりと自分の力への頼りを取り除き、これから解放しようとする民から信頼される人物へと造り変えました。神様がしもべたちを最も弱いときに遣わされるのは、「これは権力によらず、能力によらず、ただわたしの霊によって」だからです(ゼカリヤ 4:6)。あなたの備えの年月も、決して無駄にはなりません。

神様が本当に自分を召しておられるかどうか、どう見分ければよいですか。

このメッセージから、三つのシンプルな基準が挙げられます。(1)み言葉:神様は聖句や教え、開かれた聖書を通して確認を与えてくださいます。(2)平安:主の御霊は、神様が遣わされる場所において内なる自由と平安を与えてくださいます(コリントの信徒への手紙二 3:17)。(3)神様が与えてくださった人々による確認:牧師、導き手、あなたを知っている共同体です。いかにも信仰的に見えても神様が求めておられない計画に、ひとりで飛び込んでしまうなら、どんなに良い意図があっても、すべてを失いかねません。神様が置かれた場所にとどまり、そこで仕えましょう。そうすれば、神様はあなたの前で海を開いてくださいます。

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