はじめに
思っている以上に深い傷を残す痛みがあります。その場で苦しむだけではなく、心を閉ざしてしまうのです。裏切り、偽りの預言、あるいは神の名を使った金銭的な搾取のせいで、ある日「もう終わりだ」と決めてしまいます。Église Momentumで語られたこのメッセージは、シンプルだけれど衝撃的な問いを投げかけます。もし一人の人間の過ちが、神があなたのために備えておられた永遠の原則をあなたから奪っていたとしたら?
メッセージの概要
1. 一つの過ちが良い原則に対して心を閉ざしてしまうことがある
- 配偶者があなたの気持ちを裏切り、あなたは「もう信じない、もう要らない、自分にとっては終わりだ」と言います。
- 傷は本物であり、神はそれを軽く見られません。しかし愛そのものは、神が定められた永遠の原則のままです。
- 一人の人の罪がどれほど壊滅的であっても、神のご性質も、神が創造されたものの美しさも変わりません。
- 一つの傷から全体を決めつけることは、その過ちを牢獄にしてしまい、神があなたのために良いものとして計画されたものから切り離されることです。
2. 霊的な悪用は神の賜物を悪いものにしない
- 実際の経験の例:ある教会で、病気の若い男性が癒しの「預言の言葉」を受けましたが、数日後に亡くなりました。打ちのめされた家族は教会を去りました。
- その痛みは理解できます。その言葉は「でたらめ」でした。しかし、一人の人が誤った行動をしたからといってすべての預言を拒否することは、過ちに永遠のものを奪わせることです。
- 聖書はすべてを素朴に受け入れることを求めていません。見分けることを求めています。「預言する者も、二人か三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい」(コリント人への手紙第一 14:29)。
- 偽物があったからといって預言そのものが偽りだということにはなりません。預言は吟味されるべきものであって、一括して拒否されるべきものではないのです。
3. 金銭的な悪用が寛大さを奪ってはならない
- 本当の悪用は存在します。金銭と引き換えに富を約束する説教者、神の言葉を使って財産を搾取する人々がいます。
- 目が開かれると、完全に心を閉ざしたくなる誘惑があります。「もう二度と献金しない、もう二度と献げ物の話を聞きたくない。」
- しかし、寛大さは100%神の原則です。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」(ヨハネの福音書 3:16)。福音の真髄には、贈り物があるのです。
- 一人の人の詐欺のせいで、神の前に寛大な心を持つ祝福を奪われてはなりません。
覚えておくべきポイント
- 過ちに永遠のものを奪わせてはなりません。神ご自身は変わっておられないのです。
- 人間の傷が、良い神の原則を悪い原則に変えることはありません。
- 聖書的な見分けは、素朴さでも閉鎖でもありません。吟味し、判断し、良いものを保つのです。
- すべての永遠の原則――愛、預言、寛大さ、教会――の背後に、神はあなたへの恵みと祝福を置いてくださっています。
- 心を再び開くことは、傷を忘れることではありません。その傷に、あなたが神とともに何を経験するかを決めさせることを拒むことなのです。
個人的な適用
- 傷のせいで心を閉ざしてしまった分野(愛、教会、霊的な賜物、お金)はありますか?
- そのもの自体が悪かったのですか?それとも、それを悪用した人がいたのですか?
- 見分け(成熟)と閉鎖(恐れによるもの)を混同していませんか?
- 傷から全体を決めつけることで、どのような恵みや祝福を失ったかもしれませんか?
- 今週、神の永遠の原則に向かって心を再び開くための小さな信仰の一歩は何ですか?
引用された聖句
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よくある質問
神の原則に対して心が閉ざされているかどうか、どうすればわかりますか?
閉ざされた心は、見分けることなく一括して拒否します。「もう二度と」と言います。もう二度と愛さない、もう二度と教会に行かない、もう二度と献金しない。成熟した心は、吟味し、判断し、良いものを保ちます(コリント人への手紙第一 14:29)。霊的な生活の中に「もう二度と」を見つけたなら、それはしばしば人間の過ちがあなたから永遠のものを奪っているサインです。
教会での悪用は、教会生活を捨てるべきだということですか?
いいえ。傷は正当であり、怒りは理解できます。しかし、キリストの体としての教会は、神が定められた永遠の原則です。あなたが去ることができるのは、悪用が対処されていない場所やチームです。神があなたに去ってほしくないのは、民に属するという考え方そのものです。見分けるとは、神が定められたもの(事柄)と、それを悪用した人(人物)を区別することです。
真の預言と偽りの預言をどのように見分けられますか?
聖書は枠組みを与えています。「預言する者も、二人か三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい」(コリント人への手紙第一 14:29)。受けた言葉は、共同体の中で、聖書の光に照らして、時間をかけて、複数の人で吟味されます。偽物がいたからといって預言が偽りだということにはなりません。ただ吟味されるべきなのであって、そのまま鵜呑みにすべきではないのです。
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