要約
ルカ7章の罪深い女は、罪深い生活で知られた町の女性で、聖書は名前を記していません。パリサイ人シモンの家の食事の席で、彼女はイエスの足を涙でぬらし、髪でぬぐい、口づけして香油を塗りました。イエスは二人の債務者のたとえで彼女の行いを擁護し、罪が赦されたと宣言して、信仰によって救われたと告げ、平安のうちに送り出されました。
ルカ7章の罪深い女という名前の意味
聖書はこの女性の名前を記さず、ルカは町にいた罪深い女性とだけ紹介しています(ルカの福音書7章37節)。本文からは、直後に登場するマグダラのマリヤ(ルカの福音書8章2節)とも、別の場面でイエスに香油を注ぐベタニアのマリヤ(ヨハネの福音書12章1-8節)とも、同一人物とは言えません。
ルカ7章の罪深い女の生涯
パリサイ人の家での食事
ルカの福音書7章36-37節パリサイ人のシモンがイエスを食事に招きます。町の罪深い女が、イエスがその家で食卓に着いていると聞きつけました。彼女は招かれていないのに香油の入った石膏の壺を持って来て、だれもが自分の評判を知っている場所に入ります。
涙と香油
ルカの福音書7章38節彼女は後ろからイエスの足もとに立って泣きます。涙で主の足をぬらし、髪でぬぐい、口づけして香油を塗りました。この場面で彼女は一言も語りません。へりくだりと悔い改めと愛は、すべて行いで表されています。
シモンの心の中のさばき
ルカの福音書7章39-43節シモンは、イエスが預言者なら、この女が罪深い者だと分かるはずだと心の中で思います。イエスはその思いにたとえで答えます。貸し主が、五百デナリと五十デナリの借りがある二人の借金を帳消しにしました。どちらがより愛するでしょう。シモンは、より多く赦された人だと答えます。
この女を見ましたか
ルカの福音書7章44-47節イエスは女のほうを向き、シモンのもてなしと比べられます。シモンは足を洗う水も、口づけも、油も用意しませんでした。彼女はそのすべてを涙と香油でしたのです。多くの罪が赦されたから彼女は多く愛し、赦されることの少ない者は少ししか愛さない、とイエスは結ばれます。
あなたの信仰があなたを救いました
ルカの福音書7章48-50節イエスは女に、あなたの罪は赦されたと告げます。同席した人々は、罪まで赦すこの人はだれかと語り合いました。イエスは救いと平安の言葉で彼女を送り出されます。皆にさばかれていた女は、赦され、信仰によって救われて帰って行きました。
ルカ7章の罪深い女から学ぶこと
- どんな過去も、悔い改めてイエスの足もとに来ることを妨げるほど重くはありません。
- 赦された罪の大きさを知るとき、主への愛は深まります。
- イエスのまなざしは、人々が評判しか見ないところに、一人の人を見ておられます。
- 救いはイエスへの信仰によって受けるものであり、罪を赦す権威を持つのはイエスだけです。
- シモンのように自分を罪の少ない者と思うと、愛することが少なくなり、他人をさばくようになります。
鍵となる聖句
涙、髪、口づけ、香油。一言も語らず、この女性はパリサイ人が客に示せなかった悔い改めと愛を表しました。
イエスは愛と赦しを結びつけます。自分の借金の大きさを知って帳消しにされた人ほど、解放してくれた方をより深く愛します。
イエスの最後の言葉は、女性が信仰によって救われ、神の平安をいただいて去って行くことを示しています。
よくある質問
ルカ7章の罪深い女とは誰ですか。
ルカは彼女の名前も罪の内容も記していません。町で罪深い女として知られていたと述べるだけです。聖書は彼女をマグダラのマリヤと同一視していません。その伝承はずっと後に生まれたもので、どの節にも根拠がありません。本文が伝えるのは、彼女の信仰とイエスへの愛です。
ベタニアでイエスに香油を注いだ女性と同じ人ですか。
本文によれば別の人です。ルカ7章の場面はイエスの働きの途中、ガリラヤのパリサイ人シモンの家です。マルコの福音書14章とヨハネの福音書12章の油注ぎは、過越の祭りの数日前のベタニアで、ヨハネはラザロの姉妹マリヤと記します。二つは別の出来事です。
彼女は多く愛したとはどういう意味ですか。
二人の債務者のたとえで、イエスは彼女の愛が赦しの結果であることを示しました。大きな借金を帳消しにされた人はより深く愛します。彼女の愛は赦された証しです。イエスは続けて、彼女を救ったのは行いの功績ではなく信仰だと告げられました(ルカの福音書7章50節)。