要約
魔術師シモンは、一世紀のサマリアに住んでいました。魔術を行い、自分を偉大な者と称していたので、人々は彼を、大能と呼ばれる神の力だと言うほどでした。ピリポが福音を宣べ伝えると、シモンは信じてバプテスマを受けました。しかし使徒たちが聖霊を授けるのを見ると、金を差し出します。ペテロは彼を厳しく戒め、悔い改めるよう呼びかけました。
魔術師シモンという名前の意味
シモンは一世紀にごく一般的な名前で、ヘブル語のシメオンのギリシア語形であり、一般に聞くという意味に結びつけられます。聖書は魔術師シモンについて、この名の意味を説明していません。魔術を行ったことから付いた呼び名によって、新約聖書のほかのシモンと区別されます。
魔術師シモンの時代背景
シモンの物語は、イエスの死と復活に続く年月のサマリアで起こりました。サマリアはユダヤとガリラヤの間にある地方です。そこに住むサマリア人とユダヤ人の関係が緊張していたことは、ヨハネの福音書にも示されています。ステパノの死ののち、エルサレムの教会に大きな迫害が起こり、使徒たちのほかはみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされました。サウロは教会を荒らし、家々に押し入って、男も女も引きずり出して牢に入れました(使徒の働き8章1〜3節)。しかし散らされた人々は、みことばの福音を宣べながら、巡り歩きました。その中に、七人のひとりピリポがいて、サマリアのある町に下り、人々にキリストを宣べ伝えます。イエスは弟子たちに、エルサレム、ユダヤ全土、サマリア、そして地の果てまで、ご自分の証人になると語っておられました(使徒の働き1章8節)。8章は、この計画が動き出す様子を示します。福音は最初の境を越えてサマリアに入り、そこで魔術で名の知れたひとりの男に出会います。
魔術師シモンの生涯
迫害が教会を散らす
使徒の働き8章1〜4節サウロはステパノの殺害に賛成していました。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たちのほかはみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされました。敬虔な人々がステパノを葬り、彼のために大きな悲しみの声をあげます。サウロは教会を荒らし回りました。それでも、散らされた人々は、みことばの福音を宣べながら巡り歩きました。散らされたことが福音を広める手段となり、逃げる者が使者になったのです。
ピリポ、サマリアでキリストを宣べる
使徒の働き8章5〜8節ピリポはサマリアの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えました。群衆は、彼が行うしるしを聞き、また見て、彼の語ることに心を留めました。汚れた霊につかれた多くの人から、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風の者や足の不自由な者も癒やされました。ルカは、その町に大きな喜びがあったと結んでいます。福音は住民に受け入れられ、町全体で不安に代わって喜びが広がりました。
シモン、大いなるものと呼ばれた男
使徒の働き8章9〜11節この町には、以前からシモンという人がいて、魔術を行い、自分を偉大な者のように見せて、サマリアの人々を驚かせていました。小さな者から大きな者まで、みな彼に心を寄せて、この人こそ、大能と呼ばれる神の力だと言っていました。ルカはその理由を述べています。彼が長い間、魔術によって人々を驚かせてきたからです。彼の名声は、真理ではなく、人々の驚きの上に成り立っていました。
シモンも信じてバプテスマを受ける
使徒の働き8章12〜13節人々は、神の国とイエス・キリストの御名について福音を語るピリポを信じ、男も女もバプテスマを受けました。シモン自身も信じて、バプテスマを受けたあと、いつもピリポにつき従っていました。彼は、行われるしるしと大きな奇跡を見て、驚いていたのです。本文は、この段階では彼の信仰の性質について何も論評せず、彼の行動を描いています。彼の内にあるものが何かは、この章の後半で明らかになっていきます。
ペテロとヨハネ、エルサレムから来る
使徒の働き8章14〜17節エルサレムにいた使徒たちは、サマリアが神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを遣わしました。二人は下って行き、サマリアの人々が聖霊を受けるように祈りました。聖霊はまだ、彼らのだれにも下っておらず、ただ主イエスの御名によってバプテスマを受けていただけだったからです。二人が手を置くと、人々は聖霊を受けました。この段階は、サマリア人が神の民に完全に加えられたことを確証しています。
金銭の申し出
使徒の働き8章18〜19節シモンは、使徒たちが手を置くことによって聖霊が与えられるのを見ると、彼らにお金を差し出しました。そして、私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、私にもその権威を下さいと言いました。この態度は、彼の考え方を表しています。神の賜物を、神が自由に与えてくださる贈り物ではなく、手に入れられる力と考えたのです。彼は、使徒たちが受けているものを、自分が所有して他の人に与えたいと思いました。
ペテロの厳しい返答
使徒の働き8章20〜23節ペテロは答えます。あなたの金は、あなたとともに滅びるがよい。神の賜物を金で手に入れられると思ったからだ、と。さらにペテロは、あなたにはこのことについて何のあずかりも分もない。あなたの心が神の前に正しくないからだと言います。そして、その悪を悔い改めて主に祈るよう求め、彼が苦い胆汁の中にあり、不義の縄目の中にあるのを見ていると述べます。
祈りの依頼、そして本文の沈黙
使徒の働き8章24〜25節シモンは答えます。あなたがたが言ったことが何も私の身に起こらないように、私のために主に祈ってください、と。使徒の働きは、彼のその後の人生を語っていません。ペテロとヨハネは、主のみことばをあかしし語った後、エルサレムに帰り、サマリア人の多くの村々で福音を宣べ伝えました。物語はその後、ガザへの道に天使に遣わされるピリポに移り、シモンには戻りません。
魔術師シモンから学ぶこと
- 神の賜物は買えません。聖霊は代金によってではなく、恵みによって与えられます。
- 御霊の働きと、単に人目を引く力とは区別が必要です。ピリポはキリストを宣べ伝えましたが、シモンは自分が偉大であることを求めていました。
- 信じてバプテスマを受けた人も、自分の心を吟味する必要があります。ペテロは、シモンの心が神の前に正しくないと言いました。
- 悔い改めの道は開かれています。ペテロはシモンに、悔い改めて主に祈り、赦しを求めるよう呼びかけました。
- 福音は、群衆を魅了するものに勝利し、サマリアの町を満たしたような喜びをもたらします。
鍵となる聖句
シモンは信じてバプテスマを受け、ピリポについて行き、奇蹟に驚きました。神のわざへの率直な感嘆だけでは十分でなく、この章の続きが、心の動機を吟味するよう私たちを導くことをこの節は示しています。
ペテロは、神の賜物は金では手に入らず、シモンの心は神の前に正しくないと答えます。この言葉は、恵みが無償であることと、心が正しくあることの原則を示しています。
ペテロはシモンに、その悪を悔い改め、心の思いが赦されるよう主に祈ることを勧めます。重い過ちを犯した後でも、悔い改めの門は開かれていることを教えています。
魔術師シモンについての説教
よくある質問
聖書の魔術師シモンとは誰ですか?
シモンはサマリアの人で、魔術を行い、自分を偉大な者と称していました。ピリポの宣教を信じてバプテスマを受けましたが、使徒たちから聖霊を授ける力を金で買おうとして、ペテロに厳しく戒められ、悔い改めを求められました。
シモンという名前にはどんな意味がありますか?
シモンはヘブル語のシメオンのギリシア語形で、一般に聞くという意味に結びつけられます。創世記29章33節は、ヤコブの子シメオンについて、主が聞いてくださったという説明を与えています。魔術師シモンについては、説明がありません。
魔術師シモンの話は聖書のどこにありますか?
使徒の働き8章にあります。9-13節にシモンの紹介と信仰が、18-24節に金の申し出とペテロの答えが記されています。聖書の中で彼について語っているのは、この箇所だけです。
シモニー(聖職売買)とは何ですか。
シモニーという語は、魔術師シモンの名に由来します。聖なるものを、とくに教会での職務を、金銭で売買することを指します。この言葉自体は聖書には出てきませんが、使徒の働き8章18〜20節で、シモンが聖霊を授ける権威を得ようと使徒たちに金を差し出した出来事を指しています。ペテロのことばは原則を示しています。神の賜物は金で手に入れるものではありません。それは恵みによって与えられるのです。
魔術師シモンは本当に回心していたのですか。
本文は、シモンが信じてバプテスマを受けたと述べています(使徒の働き8章13節)。しかしその後、ペテロは、彼の心が神の前に正しくなく、苦い胆汁の中、不義の縄目の中にあると断言しています(21節、23節)。物語は、彼の霊的な状態を一言で決めつけてはいません。むしろ、神のみわざに心を引かれても、へりくだった心を持たないことがあり得ると示しています。私たちは、正直に自分を吟味し、神の恵みに信頼するよう招かれているのです。
サマリア人たちは、なぜバプテスマの後に聖霊を受けたのですか。
8章は、それを詳しく説明せずに事実を述べています。サマリア人は主イエスの御名によってバプテスマを受けていましたが、聖霊はまだ彼らのだれにも下っていませんでした(15〜16節)。ペテロとヨハネが祈り、手を置くと、彼らは聖霊を受けました。エルサレムの使徒たちがその場にいたことに気づきます。サマリアは、彼らの立ち会いのもとで聖霊を受けたのです。本文は、この形があらゆる時代の規則だとは述べていません。書かれていることにとどまるのがよいでしょう。
大能と呼ばれる神の力という言葉は、どういう意味ですか。
これはルカが伝える、使徒の働き8章10節のサマリア人のことばです。民衆がシモンをどう見ていたかを示しています。神の力を体現する人物、と見なしていたのです。ルカは、シモンが自分を偉大な者のように見せ、長い間魔術で人々を驚かせたので、人々が彼に耳を傾けたと説明しています。聖書は、この称号を認めてはいません。ピリポが宣べた福音は、この力に、神ご自身の真のみわざを対比させます。それは神からのみ来て、驚きではなく、喜びのうちに信仰によって受け取るものです。
ペテロがシモンに言った、もしできるなら、とはどういう意味ですか。
ペテロはシモンに、悪を悔い改め、主に祈って、心の思いが赦されるかもしれない、と告げます(使徒の働き8章22節)。もしできるならという言葉は、赦しの扉を閉ざすものではありません。心をご存じの神だけが裁かれるのだと、判断を神にゆだねています。ペテロは、シモンが赦されるとも、赦されないとも断言していません。彼に悔い改めと祈りを呼びかけ、決めるのは主であるとしているのです。