聖書は天使を、神によって創造された霊的な存在であり、人間とは異なる、神に仕えるために遣わされる者として描いています。ヘブル人への手紙の著者はこう述べています。「天使たちはみな仕える霊であって、救いを受け継ぐ者たちに仕えるために遣わされているのではないでしょうか」(ヘブル人への手紙 1章14節)。天使は神を礼拝し、神のメッセージを伝え、マリアへの受胎告知からイエスの復活に至るまで、救いの歴史に関わっています(マタイによる福音書 28章5節)。
聖書はまた、一部の天使が神に背いて悪霊となった反逆についても語っています。その中にはサタン自身も含まれ、サタンは「光の御使いに変装する」ことさえできます(コリント人への第二の手紙 11章14節、ユダの手紙 1章6節)。そのため聖書は、善と悪が対等であるかのような霊的戦いの考え方に警告を与えています。堕落した天使も、あくまで神の権威の下にある被造物であり、神と対等な存在では決してありません。
繰り返し強調されている点があります。天使は決して礼拝されてはならないということです。使徒ヨハネが御使いの前にひれ伏したとき、御使いはすぐにこう正しました。「そうしてはいけません。神を礼拝しなさい」(ヨハネの黙示録 22章9節、コロサイ人への手紙 2章18節)。神は天使に守りと世話の働きを委ねられますが(詩篇 91篇11節、ヘブル人への手紙 13章2節)、すべての栄光と礼拝は神おひとりのものです。
天使に関する聖書の言葉
« 御使たちはすべて仕える霊であって、救を受け継ぐべき人々に奉仕するため、つかわされたものではないか。 »
« これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道で あなたを守らせられるからである。 »
« するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、 »
« この御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、 »
« あなたがたは、わざとらしい謙そんと天使礼拝とにおぼれている人々から、いろいろと悪評されてはならない。彼らは幻を見たことを重んじ、肉の思いによっていたずらに誇るだけで、 »
« しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。 »
« 主は、自分たちの地位を守ろうとはせず、そのおるべき所を捨て去った御使たちを、大いなる日のさばきのために、永久にしばりつけたまま、暗やみの中に閉じ込めておかれた。 »
« 旅人をもてなすことを忘れてはならない。このようにして、ある人々は、気づかないで御使たちをもてなした。 »
天使に関するよくある質問
天使は聖書によれば本当に存在するのですか?
はい。天使は創世記から黙示録まで、聖書の中に何百回も登場し、神によって創造された、人間や動物とは異なる実在の霊的存在として描かれています。天使は神話でも詩的な象徴でもありません。
すべての人に守護天使がついているのですか?
聖書はそれを体系的には述べていませんが、神を恐れる者を守り導くために天使を遣わされる神の姿を示しています(詩篇 91篇11節)。イエスも幼子に関わる天使について語っています(マタイによる福音書 18章10節)。聖書の原則は明確です。神はご自分の民を、時に天使を通して顧みてくださいますが、信頼を置くべきは天使ではなく神ご自身です。
天使に祈ったり助けを求めたりしてもよいのですか?
いいえ。聖書は天使を礼拝することを明確に禁じており(コロサイ人への手紙 2章18節)、御使い自身が礼拝されることを拒む場面も描かれています(ヨハネの黙示録 22章9節)。祈りはイエスの名によって神おひとりに向けられるべきであり、天使は神に仕える者であって、祈りの取り次ぎ相手ではありません。
堕落した天使とは何ですか?
神に背いて元の立場を失った天使のことで、ユダの手紙 1章6節に描かれています。サタンや悪霊は堕落した天使として描かれ、今も活動していますが、すでにキリストの勝利によって打ち破られており、最終的な裁きが確定しています。
出会った「天使」が本当に神から来たものかどう見分ければよいですか?
聖書は、サタンでさえ光の御使いを装うことがあると警告しています(コリント人への第二の手紙 11章14節)。見極める基準は姿形ではなく、その語る内容です。福音に反すること、あるいは神以外のものを礼拝させようとすることは、どんな形であっても退けるべきです。