聖書 — 口語訳 (1955)

詩篇 5

概要

詩篇5篇は、笛の伴奏がつけられた、ダビデの祈りです。まず、神がご自分の言葉とうめきに耳を傾けてくださるようにと願います。ダビデは朝ごとに主を待ち望みます。続いて、神は悪を喜ばれず、偽りを言う者や血を流す者を受け入れられないことを語ります。しかし自分は、神の豊かな恵みによって、敬いをもって神の家に入り、神の義に導かれることを願います。詩は、神に身を避ける者の喜びと、盾のように守ってくださる神の守りで結ばれます。

表題によると、詩篇5篇は、指揮者にゆだねられ、笛の伴奏で歌われたダビデの詩です。つまり、イスラエルの礼拝で用いられた歌です。個人の嘆きの詩ですが、神への信頼が貫かれており、3節にちなんで朝の祈りと呼ばれることがよくあります。表題は、この詩が詠まれた状況を何も述べていません。ダビデは偽りを言う敵や暴力的な敵のことを語りますが、人生のどの出来事なのかは語らないので、想像で補わないほうがよいでしょう。詩は二つの道を対比させます。神のもとに身を寄せることのできない悪しき者の道と、神のいつくしみによって神の家に入る信じる者の道です。使徒パウロは9節をローマ人への手紙3章13節で引用し、すべての人に神の恵みが必要であることを示しました。今日も多くの信仰者が、目覚めたときにこの詩を祈り、一日を神にゆだね、自分が受けている不当な扱いを神にお任せしています。

この章の4つの区分

  1. 1-3節朝の祈り:主よ、わが叫びを聞いてください
  2. 4-7節神は悪を憎まれるが、私は恵みによって神の家に入る
  3. 8-10節敵に囲まれても、あなたの義に導いてください
  4. 11-12節主に身を避ける者の喜び

1主よ、わたしの言葉に耳を傾け、わたしの嘆きに、み心をとめてください。

2わが王、わが神よ、わたしの叫びの声をお聞きください。わたしはあなたに祈っています。

3主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。わたしは朝ごとにあなたのために いけにえを備えて待ち望みます。

4あなたは悪しき事を喜ばれる神ではない。悪人はあなたのもとに身を寄せることはできない。

5高ぶる者はあなたの目の前に立つことはできない。あなたはすべて悪を行う者を憎まれる。

6あなたは偽りを言う者を滅ぼされる。主は血を流す者と、人をだます者を忌みきらわれる。

7しかし、わたしはあなたの豊かないつくしみによって、あなたの家に入り、聖なる宮にむかって、かしこみ伏し拝みます。

8主よ、わたしのあだのゆえに、あなたの義をもってわたしを導き、わたしの前にあなたの道をまっすぐにしてください。

9彼らの口には真実がなく、彼らの心には滅びがあり、そののどは開いた墓、その舌はへつらいを言うのです。

10神よ、どうか彼らにその罪を負わせ、そのはかりごとによって、みずから倒れさせ、その多くのとがのゆえに彼らを追いだしてください。彼らはあなたにそむいたからです。

11しかし、すべてあなたに寄り頼む者を喜ばせ、とこしえに喜び呼ばわらせてください。また、み名を愛する者があなたによって 喜びを得るように、彼らをお守りください。

12主よ、あなたは正しい者を祝福し、盾をもってするように、恵みをもってこれをおおい守られます。

詩篇5篇を節ごとに読む

1-3節朝、祈りを神に差し出して待つ

ダビデは、耳を傾けてください、お聞きください、み心をとめてください、と三つの切なる願いで祈りを始めます。整った言葉だけでなく、うめきや叫びも神に差し出し、神はそのどちらも受け入れてくださいます。「わが王、わが神よ」と呼ぶとき、自らも王であるダビデは、自分の上にも王がおられることを認めています。3節は一日のリズムを示します。何よりも先に、朝ごとに主へ向かうのです。最後の言葉「待ち望みます」にも注目しましょう。祈って終わりにせず、城壁の上の見張りのように、神の答えに目を向け続ける姿です。あなたも、今日の始まりに心の重荷を神にゆだね、神がどう働かれるかに目を留めてみませんか。

4-6節悪に少しの場所も与えない聖なる神

ダビデは、なぜ神の答えを期待できるのかを語ります。神は悪の前で中立ではありません。悪人は神のもとに身を寄せることができず、高ぶる者は神の目の前に立てず、偽りと流血は神に忌みきらわれます。5節の「憎まれる」という言葉には、驚くかもしれません。聖書でこれは、悪を完全に退けることを表し、気分で変わる感情ではありません。同じ神は、悪人が死ぬことを喜ばず、その道を離れて生きることを望むと語っておられます(エゼキエル書33章11節)。偽りや欺きに苦しむ人にとって、これは良い知らせです。神は見ておられ、不正が最後に勝つことはありません。同時にこれは鏡でもあります。これほど清い神の前に、恵みなしに立てる人はいません。詩の続きは、まさにそのことを語ります。

7-8節神のいつくしみによって神の家に入り、まっすぐに歩む

7節は「しかし、わたしは」で始まります。ダビデは、自分を悪しき者よりまさった者とは見ていません。神の家に入れるのは、功績によるのではなく、「あなたの豊かないつくしみによって」です。「かしこみ伏し拝みます」とは、畏れと驚きに満ちた敬いのことです。私たちにとって、この道はイエスによって開かれました。ヘブル人への手紙は、イエスの血によってはばかることなく聖所に入れると語ります(ヘブル人への手紙10章19節)。続いてダビデは願います。「わたしのあだのゆえに、あなたの義をもってわたしを導き」。自分を見張る敵を前に、彼が何より求めるのは勝つことではなく、まっすぐであり続けることです。神が前に道をまっすぐにし、進むべき道を明らかにしてくださるよう願うのです。重圧の中では、勝たせてくださいと祈る前に、まず正しくあり続けられるよう祈ることが、最良の祈りであることが多いのです。

9-10節人を滅ぼす言葉と、神にゆだねる正義

ダビデは敵を口によって描きます。真実がなく、心には滅びがあり、舌はへつらいを語ります。「そののどは開いた墓」という像は強烈で、彼らの言葉は死のにおいを放ち、人の名誉と平和をのみ込みます。パウロはこの言葉を、罪の下にある全人類を表すために引用しました(ローマ人への手紙3章13節)。他人事として読むことはできません。10節は、さばきを求める祈りです。ダビデは神に、咎ある者たちを退け、そのはかりごとによって倒れさせてくださいと願います。しかし自分で復讐はせず、訴えを正しい審判者にゆだねます。問題の根は、彼らが神にそむいたことだからです。クリスチャンの受け止め方は分かれますが、多くの人は神にゆだねた正義の叫びと見て、イエスの光のもとで読み直します。イエスは、のろう者を祝福し(ルカによる福音書6章28節)、復讐を神にゆだねるよう教えておられます(ローマ人への手紙12章19節)。

11-12節神に寄り頼む者の喜びと守り

詩は視野を広げて結ばれます。一人の祈りが、「すべてあなたに寄り頼む者」の喜びになります。み名を愛する者、つまり神がご自身を知らせてくださったとおりの神を愛する者は、神のうちに尽きない喜びを見いだします。「お守りください」と訳された言葉は、だれかの上に覆いを広げる姿を思わせます。最後のたとえは盾です。神は、兵士の全身をおおう大きな盾のように、正しい者を恵みで囲んでくださいます。これは試練が来ないという約束ではありません。ダビデはまだ敵に囲まれたまま祈っています。戦いのただ中でも神の恵みが自分を包んでいるという確信です。新約聖書で正しい者とは、イエス・キリストを信じる信仰によって神に義とされた人です(ローマ人への手紙3章22節)。完全だからではなく、キリストのうちにいるから、あなたもこの約束を受け取れます。

詩篇5篇の祈り方

この詩篇を祈るとき

  • 朝、スマートフォンを開く前に、その日一日を神にゆだねたいとき。
  • 職場や学校、家族の間で、自分についてのうわさや偽りが広まっているとき。
  • 決断を迫られ、重圧の中でもまっすぐでありたいと願うとき。
  • 祈るにはふさわしくないと感じ、神のいつくしみを思い出す必要があるとき。
  • だれかへの怒りから、自分で仕返しをしたくなるとき。
  • 無防備でもろい自分を感じ、神の恵みに囲まれていることを知りたいとき。

詩篇5篇に基づく祈り

主よ、わが王、わが神よ。一日の始まりに、あなたに祈ります。私の言葉に耳を傾け、言葉にならないうめきも聞いてください。今朝、私はあなたに向かい、お答えを待ち望みます。あなたは悪を喜ばれません。偽りも、人を傷つける言葉も、私を苦しめる不正も、あなたはご覧になっています。私の口もまた、いつも真実だとは限らないことを認めます。私があなたの前に出られるのは、功績のゆえではなく、イエスにおいて示された、あなたの豊かないつくしみのゆえです。今日、あなたの義で私を導き、私の前に道をまっすぐにしてください。攻められるとき、仕返しをしないよう守ってください。私の訴えをあなたの手にゆだねます。あなたは正しい審判者だからです。私を苦しめる人を祝福することも教えてください。盾のように恵みで囲んでくださって、ありがとうございます。あなたに寄り頼む者の喜びをお与えください。み名が、今日一日、私の喜びでありますように。アーメン。

鍵となる聖句

3節
主よ、朝ごとにあなたはわたしの声を聞かれます。わたしは朝ごとにあなたのために いけにえを備えて待ち望みます。

ダビデは一日の始まりを祈りと待ち望みで迎えることを習慣にしました。朝は、ほかのどんな声よりも先に、神と会う約束の時になります。

7節
しかし、わたしはあなたの豊かないつくしみによって、あなたの家に入り、聖なる宮にむかって、かしこみ伏し拝みます。

ダビデが神の家に入るのは、自分の功績によるのではなく、神の豊かな恵みによります。これがあらゆる祈りへの入り口です。

8節
主よ、わたしのあだのゆえに、あなたの義をもってわたしを導き、わたしの前にあなたの道をまっすぐにしてください。

導きを求める願いです。敵がうかがう中で、まっすぐに人生を歩むこと。ダビデは神が自分の前に道をまっすぐにしてくださることを願っています。

12節
主よ、あなたは正しい者を祝福し、盾をもってするように、恵みをもってこれをおおい守られます。

神は正しい者を祝福し、恵みを盾のようにその周りに巡らせてくださいます。信じる者の喜びは、神に身を避けていることから来ています。

このテーマで祈る

説教が語っていること

詩篇5篇についてよくある質問

詩篇5篇はどういう意味ですか

ダビデの朝の祈りです。神に聞いていただけるよう叫び、神が悪を喜ばれないことを認め、敵に対して神の義に導かれるよう願います。結びは、神に身を避ける者の喜びで、神は彼らを盾のように恵みで囲んでくださいます。

朝に詩篇5篇をどのように祈ればよいですか

1節から3節をゆっくり読み、自分の祈りとします。感じていることを神に差し出し、静かに待ちます。次に8節を、その日の導きを求めて祈ります。最後に12節で、守ってくださる神に感謝して結びましょう。

なぜダビデはこの詩で敵のことを語るのですか

ダビデはしばしば、偽りを言い、欺く人々に攻撃され、自分で復讐しようとはしません。裁かれる神に自分の訴えをゆだねます。悪しき者についての言葉は、神が悪を憎まれることを思い出させ、自分で正義を行うことなく、守りを求めることを可能にしています。

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