聖書 — 口語訳 (1955)
詩篇 101
概要
詩篇101篇は、わが家のうちで直き心をもって歩もうとするダビデの決意です。ダビデは、目の前に卑しいことを置かず、人をそしることや高ぶりを退け、国のうちの忠信な者を求め、偽りを言う者を遠ざけると決めます。信仰者にとっては、まず自分の私生活、まなざし、交わりを吟味するよう招く詩篇です。
この章の3つの区分
1わたしはいつくしみと公義について歌います。主よ、わたしはあなたにむかって歌います。
2わたしは全き道に心をとめます。あなたはいつ、わたしに来られるでしょうか。わたしは直き心をもって、わが家のうちを歩みます。
3わたしは目の前に卑しい事を置きません。わたしはそむく者の行いを憎みます。それはわたしに付きまといません。
4ひがんだ心はわたしを離れるでしょう。わたしは悪い事を知りません。
5ひそかに、その隣り人をそしる者を わたしは滅ぼします。高ぶる目と高慢な心の人を耐え忍ぶ事はできません。
6わたしは国のうちの忠信な者に好意を寄せ、わたしと共に住まわせます。全き道を歩む者はわたしに仕えるでしょう。
7欺くことをする者は わが家のうちに住むことができません。偽りを言う者はわが目の前に立つことができません。
8わたしは朝ごとに国の悪しき者を ことごとく滅ぼし、不義を行う者をことごとく主の都から断ち除きます。
鍵となる聖句
わたしはいつくしみと公義について歌います。主よ、わたしはあなたにむかって歌います。
決意は賛美から始まります。ダビデは自分の行いを語る前に、神のいつくしみと公義を歌い、その決意を神に向けて述べています。
わたしは全き道に心をとめます。あなたはいつ、わたしに来られるでしょうか。わたしは直き心をもって、わが家のうちを歩みます。
全き生き方は、まず自分の家のうちで実践されます。詩人は、人前でだけ非の打ちどころがない者になろうとしているのではありません。誰も見ていない場所から始めます。
わたしは目の前に卑しい事を置きません。わたしはそむく者の行いを憎みます。それはわたしに付きまといません。
目の前に卑しいことを置かない。まなざしは入口であると認められています。詩人は、何を見るかを自分で決めます。
わたしは国のうちの忠信な者に好意を寄せ、わたしと共に住まわせます。全き道を歩む者はわたしに仕えるでしょう。
王は、忠信で、全き道を歩む者を探し、自分に仕える者とします。身の回りにいる人を選ぶことは大切です。
詩篇101篇についてよくある質問
詩篇101篇はどういう意味ですか
詩篇101篇は、家の中で全き心で生き、国を正しく治めるというダビデの約束です。悪、そしり、高ぶりを退け、忠信な人々を身近に置くと決めます。すでに得た完全さではなく、神の前で立てた決意を語っています。私生活と使命の一貫性について、すべての責任ある人、親や指導者にとっての鏡となる詩篇です。
詩篇101篇は誰が書きましたか
表題はダビデの作としています。本文は、正しく治めたいと願う王が一人称で書いたもので、2節ではあなたはいつ、わたしに来られるでしょうか、と問いかけています。契約の箱をエルサレムに迎えたころ、王位についた初めの時期を思い浮かべる読者もいますが、本文は特定していません。
詩篇101篇はどのように祈ればよいですか
自分を吟味する祈りとして用いましょう。一つ一つの決意を読み、それが自分のまなざし、言葉、交わりについて何を語っているかを考えます。そして、家庭で全き道を歩めるよう神に助けを求めましょう。ダビデが、意志の力だけではなく、神の前で、神の恵みの助けによって決意していることにも心を留めてください。
詩篇 101を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。