はじめに
すべてのクリスチャンリーダーが向き合わなければならない最も重要な課題の一つは、「ポジション」と「召命」の違いを理解することです。一見すると同じもののように思えるかもしれませんが、実際にはまったく異なるものです。ポジションとは、あなたに委ねられた役割のことです。牧師、長老、ミニストリーの責任者、グループのリーダー、チームのコーディネーターなどです。それは与えられたり、認められたり、場合によっては取り上げられたりすることもあります。一方、召命は神から来るものです。それは投票や肩書き、人からの評価によって生まれるものではありません。神があなたの心の中に置いてくださったものであり、あなたの霊的なアイデンティティの一部なのです。
使徒パウロはエフェソの信徒への手紙4章1節でこう述べています。「そこで、主にあって囚人となっている私は、あなたがたに勧めます。あなたがたが受けた召しにふさわしく歩みなさい」。問題が生じるのは、私たちがこの二つを混同し始めるときです。私たちのアイデンティティが自分の就いているポジションに依存していると、私たちは脆くなります。しかし、それが神の召命に根ざしているなら、私たちは変化や過渡期、そして一見目立たない時期さえも、方向を見失うことなく通り抜けることができます。ポジションは変わっても、召命は残るのです。
記事の構成
1. 召命はポジションに先立つ
聖書には、ポジションを受け取るよりも先に召命を生きた人々の例がいくつも見られます。ダビデを思い出してみましょう。彼がまだ一介の羊飼いにすぎなかったとき、神は彼を召し、王として油を注がれました。その油注ぎから王座に着くまでには、長い年月が流れました。その期間、彼のポジションは、神が彼の人生について宣言されたこととはまったく一致していませんでした。それでもダビデは、まだ人々に認められていなかったからといって、召された者であることをやめませんでした。彼は仕え続け、成長し続け、備え続けたのです。
今日、多くのリーダーたちはこれとは逆の状況を生きています。彼らはポジションを持っていますが、召命の意味を見失う危険にさらされています。そうなると、ミニストリーは生きるべき使命ではなく、果たすべき機能になってしまいます。神があなたを召されるのは、まず役割を担わせるためではなく、ご自身の計画に忠実であるためなのです。
2. 自分の価値を役職に結びつける危険
リーダーシップにおける最大の危険の一つは、自分自身の価値を自分の役職に結びつけてしまうことです。あなたのアイデンティティがポジションの上に築かれていると、絶えず確認を必要とするようになります。相談され、認められ、評価される必要を感じるようになります。他の誰かが成長すると脅威を感じます。自分の価値は自分がどれだけ不可欠であるかにかかっていると考えるため、権限を委譲することが難しくなります。
そうした場合、ミニストリーは仕えるための機会ではなく、個人的な安心の拠り所へと変わってしまう危険があります。そして役職があなたの内なる支えになってしまうと、ちょっとした変化、たとえば異動や批判、責任が他の誰かに委ねられることなどが起きるだけで、あなたは揺らいでしまうのです。
3. 御父に根ざしたアイデンティティの模範、イエス
イエスは完全な模範です。イエスはご自分が誰であるかを正確に知っておられ、群衆に自分のアイデンティティを確認してもらう必要がありませんでした。人々がイエスをたたえるときも、イエスは謙遜であり続けました。人々がイエスを拒むときも、イエスは忠実であり続けました。イエスの安心の根拠は人ではなく、御父にありました。自分の召命を知っているリーダーは、称賛によって舞い上がることも、批判によって立ち止まることもありません。
4. 召命は困難な時に支えとなる
どんなリーダーの人生にも、評価が薄れていく時期が訪れます。ミニストリーが困難な季節を通ることもあるでしょう。あなたが助けてきた人々が、何の感謝も示さないこともあるでしょう。長年愛してきた役職を離れなければならないこともあるでしょう。そのようなときに、根本的な問いが浮かび上がります。「あなたは何のために仕えているのか」という問いです。
もしポジションのために仕えているのなら、あなたはおそらくモチベーションを失うでしょう。しかし召命のために仕えているのなら、あなたは前進し続けることができます。召命は、あなたが人よりも先に神に仕えていること、そしてあなたの忠実さは目立つことではなく従順にかかっていることを思い起こさせてくれます。
5. 神が本当にあなたに問われること
重要なポジションに一度も就くことなく、神の御国のために大きな影響を与えた人々がいます。そして、大きなポジションに就きながら、本当の霊的遺産を残せなかった人々もいます。最後に神があなたに問われるのは、あなたがどんな肩書きを持っていたかではなく、あなたが受けた召命にどれほど忠実であったかということです。
覚えておきたいポイント
- ポジションは人からあなたに委ねられるものであり、召命は神から来るものです。
- ダビデは認められるよりもずっと前に召されていました。ポジションが油注ぎを決めるのではありません。
- あなたのアイデンティティがポジションの上に築かれていると、絶えず確認を必要とし、他の人の成長を脅威に感じるようになります。
- イエスは群衆の中にではなく、御父の内に安心を見出していました。
- 他のすべてが変わっても、残り続けるのが召命です。
自分への適用
- もし明日、今の役割を失ったとしても、あなたは同じ情熱をもって祈り続けるでしょうか。
- 自分を認めてくれる肩書きがなくても、あなたは他の人に仕え続けるでしょうか。
- 誰にも気づかれなくても、あなたは同じ熱心さで神を求め続けるでしょうか。
- 認められたいという思いが、召命の場所を奪ってしまっている領域はありませんか。
- 神があなたに委ねられた最初のシンプルな召命に、今日どのように立ち返ることができますか。
引用聖句
- エフェソの信徒への手紙 4章1節「そこで、主にあって囚人となっている私は、あなたがたに勧めます。あなたがたが受けた召しにふさわしく歩みなさい。」
- サムエル記上 16章11〜13節ダビデがまだ一介の羊飼いであったときに、王として油を注がれた場面。
よくある質問
ポジションと召命の主な違いは何ですか。
ポジションは人によって委ねられる役割であり、取り上げられることもあります。召命は神から来るものであり、あなたの心の中に置かれ、あなたの霊的なアイデンティティの一部となっています。ポジションは変わることがありますが、召命は残り続けます。
自分のアイデンティティをポジションの上に築いてしまっているかどうか、どうすれば分かりますか。
いくつかのサインがあります。絶えず相談されたり認められたりする必要を感じる、そばで誰かが成長すると脅威を感じる、権限の委譲が難しい、役職の変化によって深く動揺してしまう、などです。もしこうした特徴に心当たりがあるなら、あなたのアイデンティティが役職に寄りかかってしまっている可能性があります。
召命を受けているはずなのに、自分が見えない存在のように感じるときはどうすればよいですか。
王座に着くよりもずっと前に召され、油を注がれたダビデを思い出してください。一見目立たないように見える季節も、神があなたの人生について宣言されたことを無効にするものではありません。忠実に仕え続け、成長し続け、備え続けてください。評価が得られないときにこそ、召命があなたを支えてくれるのです。
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