はじめに
すべてが変わらなければいけないと感じているのに、どこから始めればいいのか分からない、そんな季節がありますね。イースターの日曜日に語られた説教者ミカのメッセージは、そんなあなたにシンプルで力強い答えを与えてくれます。神様があなたのために用意しておられる解放は、たった一つの条件を通して実現します。それはイエス様にとどまることです。そして神様は、あなたをただ何かから抜け出させるためだけに解放されるのではありません。あなたの内側を建て直し、新しい時代へと導き入れてくださるのです。
出エジプト記13章、ヨハネ15章、ルカ22~23章から、このメッセージはエジプト脱出、ぶどうの木のたとえ、そしてキリストの過越を一つに結びつけます。三つの箇所、一つの流れです。神様は民を解放し、神様は民を建て直し、神様は民を招いて、ご自分にとどまり、実を結び、自由の中を歩ませてくださいます。
記事の構成
1. 解放は遠回りから始まる
民がエジプトを出るとき、神様は最短ルートを選ばれませんでした。あえてイスラエルを荒野へと導かれたのです。
「パロが民を去らせたとき、神は、ペリシテびとの地の道が近かったけれども、その道から彼らを導かれなかった。神は『民が戦いを見て後悔し、エジプトに帰るかもしれない』と思われたからである。」(出エジプト記 13:17)
神様はご自分の民の心をよくご存じです。あまりに速い道は、まだ弱い信仰を押しつぶしてしまうことも分かっておられます。だからこそ、あえて遠回りを選ばれるのです。昼は雲の柱、夜は火の柱。神様は先頭を歩まれ、決してご自分の民から離れることはありません。
この道のりで、モーセはヨセフの骨を携えていきました。これは意味深い細部です。ヨセフはかつて兄弟たちに、自分の骨をいつか約束の地へ携え上ってほしいと誓わせていました。それはもはや骨にすぎませんが、世代を超えて受け継がれる約束が必ず実現することを、民に思い起こさせるのです。
一人の忠実な人の見た幻は、その人が世を去った後も長く実を結ぶことがあります。神様が今日あなたに与えてくださっているものは、あなただけのためではありません。あなたの後に続く人たちのためでもあるのです。
2. 新しい時代に入る前に、建て直される
民はエジプトから出ましたが、エジプトは民の中から出ていませんでした。四百三十年に及ぶ奴隷生活は、深い傷を残していたのです。海は開かれ、うずらは降り、水は岩から湧き出ました。それでも、少しの困難に出会うと、イスラエルはすぐに約束を疑ってしまいます。
ミカは多くの人が経験している現実を指摘します。解放されてはいても、まだ建て直されてはいないのです。主は私たちの内側を、つまり私たちの信仰、私たちの見方、私たちの信頼を、建て直そうとしておられます。それは、私たちが主の用意された自由の時を本当に歩めるようになるためです。
それが難しいのは、彼らが知っていたのがピラミッド、パロ、エジプトの文化、偽りの神々だったからです。そのすべてから出ることは、知っているものを手放して、まだ知らない地へと歩み出すことです。故郷を離れたことのある人なら分かるでしょう。それは単なる地理的な引っ越しではなく、霊的な移し替えなのです。神様はあなたを、慣れ親しんだものから、ご自分が用意された新しいものへと移してくださいます。
3. 木につながらなければ、枝にいのちは流れない
建て直しは、ただ一つの条件によってのみ起こります。それはキリストにつながり続けることです。ここでイエス様は、とても具体的なイメージを示してくださいます。
「わたしはまことのぶどうの木で、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていて実を結ばない枝は、みな父がこれを取り除き、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、これをきれいになさるのである。」(ヨハネ 15:1-2)
枝を刈り込むというのは、余分な部分を取り除いて、より大きな実を結ばせるためのものです。私たちは弱くされると思いがちですが、実際にはもっと多くの実を結べるようになるのです。主がある扉を閉じられる理由が分からないことがあるかもしれません。それは、あなたがもっと深く主に根ざし、もっと多くの実を結ぶためなのです。
「わたしにつながっていなさい、そうすればわたしはあなたがたのうちにいる。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。」(ヨハネ 15:4)
この動きは両方向に起こります。あなたがキリストにとどまり、キリストもあなたのうちにとどまってくださるのです。クリスチャンの生活とは、いつか答えてくれるかもしれない遠くにいる神様との関係ではありません。それは日々の、絶え間ない関係なのです。キリストがあなたのうちにとどまってくださるとき、祈っているのはもうあなただけではなく、御霊があなたのうちで祈ってくださいます。あなたの祈りは生きたものになり、あなたが今直面していることに合わせて形を変え、機械的なものから解き放たれていきます。
4. 神様は虐げる者たちに立ち向かわれる
説教者はさらにルカ22章と、2025年に教会へ与えられた言葉として紹介する二つの節を結びつけます。それは、暴力的な圧制者からの解放と、権力を握る略奪者からの解放です。
「見よ、主の名は遠い所から燃える怒りをもって、濃い煙の柱を伴ってこられる。そのくちびるは憤りで満ち、その舌は焼き尽くす火のようだ。」(イザヤ 30:27)
「その寝床の上で不義を計り、悪を行う者はわざわいだ。彼らは朝の光とともにこれを行う、その手に力があるからだ。彼らは畑を貪って、これを奪い、家を貪って、これを取り上げる。彼らは人とその家を、人とその嗣業を虐げる。」(ミカ 2:1-2)
神様は沈黙しておられません。パロに対して、ユダに対して、キリストを引き渡した宗教指導者たちに対して怒られたように、今日も虐げる者たちを打つために立ち上がられます。天では何も起こっていないように感じることがあるかもしれません。しかし、叫び求める民の声は、神様の御手を動かします。出エジプト記2章では、民が叫んだ途端、主は燃える柴を通してモーセを呼び、数百キロも離れた場所からモーセを遣わされました。
5. 要塞の背後にある霊的な戦いを見る
モーセと民との違いは、その見方にありました。モーセは新しい目でエジプトに戻ってきます。彼は奴隷制度を、要塞を、抑圧をはっきりと見ています。そして、パロに面と向かって語ることを恐れません。
「わたしたちは肉に従って歩いてはいるが、肉に従って戦っているのではない。わたしたちの戦いの武器は、肉に属するものではなく、神のためには要塞を打ちこわすほどの力あるものである。」(コリント人への第二の手紙 10:3-4)
悪魔を追い出すだけでは十分ではありません。要塞も打ち壊さなければならないのです。偽りの要塞、屁理屈の要塞、奴隷制度の要塞、富の要塞、支配の要塞です。だからこそ、エジプトには十の災いが下りました。民は、この戦いが霊的なものであることを見て、心に刻む必要があったのです。時には、一つや二つの奇跡ではなく、十の奇跡が必要な場合があります。見えないところで何が起きているかを、あなたが本当に理解するためです。あなたの祈りは実を結んでいないように見えても、実際には実を結んでいるのです。
6. 神様はあなたが着く前に備えてくださる
過越の前、イエス様はペテロとヨハネを遣わして食事を準備させます。
「見よ、あなたがたが町にはいると、水がめを持っている男に出会うであろう。そこで、その人がはいる家までついて行き、その家の主人に『弟子たちと一緒に過越の食事をする座敷はどこか、と先生が言っておられます』と言いなさい。そうすれば、その人は席の整えられた二階の広間を見せてくれるから、そこに用意をしなさい。」(ルカ 22:10-12)
すべてはすでに整えられていました。家も、部屋も、食卓も、食事もです。誰かが、どこかで、それと知らずに主の過越を準備していたのです。私たちは、自分の資源、つまり物質的、経済的な資源には限りがあると思いがちです。しかし神様は、まったく別のところに手を回してくださいます。あなたが必要としているものを求めに行くのに、限界はないのです。あなたが主にとどまるとき、主が語られたとおりに物事が展開していくのを見るようになります。
7. 十字架の香り
ゴルゴタへの道で、イエス様には十字架を担ぐ力がもう残っていませんでした。ローマ兵たちは、畑から帰って来たキレネ人シモンをつかまえます。
「そして、彼らがイエスをひいて行く途中、いなかから出てきたクレネ人シモンをつかまえ、それをイエスのうしろから負わせて十字架をかつがせた。」(ルカ 23:26)
その十字架には、イエス様の血と汗だけでなく、マリヤがベタニヤでイエス様に注いだナルドの香油の香りも残っていました。ミカはこう強調します。キレネ人シモンは、その木を担いだとき、この香りを感じたのです。それは偉大な牧者の香り、罪の赦しの香り、勝利と復活の香り、そしてあなたのために差し出された、量り知れない愛の香りです。
そして十字架の上で、二人の犯罪人の間で、一人は罵り、もう一人はイエス様が誰であるかを認めます。
「そこでイエスは彼に言われた、『よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう』。」(ルカ 23:43)
悔い改めるのに遅すぎるということはありません。十字架の上であってもです。この人は、木に釘づけにされたまま、最も大きな約束を受け取りました。そしてこの約束は、あなたのためでもあるのです。
8. 墓の前で、生きておられる方を探しなさい
復活の朝、女たちは遺体に塗るための香料を持ってやって来ます。しかし、彼女たちは探していたものを見つけることができません。
「なぜ、生きた方を死人の中に捜すのか。そこにはおられない。よみがえられたのだ。」(ルカ 24:5-6)
時には、閉ざされた墓、壊れてしまった状況、死んでしまった夢を見つけると思っていることがあるかもしれません。ところが、主がすでにあなたより先に通っておられたことに気づかされるのです。転がすことなど不可能に思えた石を、主はすでに転がしてくださっていました。あなたが死を予期していた場所に、主は二人の御使いを置かれます。あなたが敗北を見ていた場所に、主は亜麻布だけを地に残されます。復活の御霊があなたのうちに生きておられるとき、あなたをつなぎとめられる鎖はどこにもないのです。
覚えておきたいポイント
- 神様は遠回りを通して解放してくださいます。荒野は偶然ではなく、信仰を鍛える学び舎です。
- 解放されるだけでは十分ではありません。主はあなたを建て直し、備えておられる新しい時代に完全に入らせようとしておられます。
- 木につながらなければ、実を結ぶことはできません。キリストとの関係は一回限りのものではなく、日々のものです。
- 戦いは霊的なものです。悪霊を追い出すだけでなく、人を捕らえている要塞を打ち壊すことが大切です。
- 神様はあなたより先に備えてくださいます。あなたへの答えは、思いもよらない道を通って、すでに向かっています。
- 十字架には香りがあります。それは赦しの香り、復活の香り、そして量り知れない愛の香りです。
自分自身への問いかけ
- あなたの内側の建て直しは、今どの段階にありますか。主は、あなたの心のどんな「エジプト」を取り除こうとしておられますか。
- 今、神様があなたの人生の中で刈り込んでおられる枝は何でしょうか。より大きな実のために、それを主にお委ねすることができますか。
- あなたの祈りは生きたものですか、それとも機械的なものですか。何かを求める前に、毎日少しの時間を取って御霊の声に耳を傾けたら、何が変わるでしょうか。
- あなたが見えるようにならなければならない要塞は何ですか。恐れ、落胆、富への執着、支配、霊的な眠りでしょうか。イエス様の御名によって、それをどう打ち壊しますか。
- あなたはどんな墓の前で、まだ生きておられる方を探していますか。主がすでにあなたより先に通っておられたと信じるなら、何が変わるでしょうか。
引用された聖句
- 出エジプト記 13:17-22
- ヨハネ 15:1-8
- イザヤ 30:27-33
- ミカ 2:1-5
- コリント人への第二の手紙 10:3-7
- ルカ 22:1-20
- ルカ 23:26-43
- ルカ 24:1-12
よくある質問
「イエスにとどまる」とは具体的にどういうことですか。
それは感情でも、宗教的な形式でもありません。御言葉と祈りによって養われる、キリストとの日々の関係のことです。その関係の中で、御霊があなたの決断や願い、そして戦いに関わってくださいます。とどまるとは、日曜日だけでなく毎日、木につながり続けることです。
もっと早く進めるはずなのに、なぜ神様は私を荒野へ通らせるのですか。
イスラエルの場合と同じように、最短の道が必ずしも最も学びの多い道とは限りません。神様はあなたを遠回りさせることで、あなたの信仰を建て直し、開いてくださる自由の時を歩み続けられるように備えてくださっています。荒野は罰ではなく、備えのときなのです。
このメッセージが語る霊的な戦いとは何ですか。
それは、恐れ、偽り、抑圧、富への執着、落胆など、人を捕らえている目に見えない要塞との戦いです。この戦いは、粘り強い祈りと神の御言葉、そしてキリストがすでに十字架で勝利されたという信仰によって戦われます。
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