はじめに
マリアは身ごもっています。ヨセフは婚約者でありながら、何が起きているのか分からず、マリアの名誉を傷つけないよう、そっと縁を切ろうと決心します。まさにその瞬間、神は御使いを送り、夢の中でヨセフに語りかけられました。2025年12月14日に語られたこの説教では、マタイ1章18〜21節をもとに、ジャン=マルク・ボトロン師が御使いのことばを丁寧にひもとき、あなたのアドベントのための4つのシンプルな教訓を引き出します。それは、神はあなたの名前を知っておられること、神に従うことを恐れなくてよいこと、神は今も奇跡を行われること、そしてイエスはあなたを罪から救うために来られたということです。
メッセージの構成
1. 「ダビデの子ヨセフよ」:神はあなたの名前を知っておられます
- 御使いは「そこの、あなた」とは言いません。ヨセフの名前を呼びます。健康保険証やクレジットカード、顧客番号といった数字であふれるこの世界で、神はあなたを一人の人格として、名前で知っておられるのです。
- 創造の初めを思い出してみましょう。人間は神が造られたものの中で最も尊いものです。イエスご自身もこう確認しておられます。「空の鳥を見なさい……あなたがたは、鳥よりもはるかにすぐれた者ではありませんか」(マタイ 6:26)。
- 神は、望むなら誰にでも、たとえ子どもにでも語りかけることができます。大人たちがもう耳を傾けなくなったとき、神はサムエルに語られました。今日もなお、神は一人の子どもを用いることがおできになるのです。
- 神は、どんなに隠された状況であっても、あなたのことをすべてご存じです。井戸端のサマリアの女性のように(ヨハネ 4章)、神はあなたの過去も、現在も、未来も知っておられます。そして神が来られるのはあなたを裁くためではなく、恵みを与えるためです。
- 中心にある問いはこれです。あなたの名前は、子羊のいのちの書に記されているでしょうか(黙示録 21:27)。私たちは旅行や、ホテルや、飛行機のチケットを予約します。今日という日は、イエスを受け入れて、天国に自分の席を「予約」する日なのです。
2. 「恐れることはない」:神のみこころを行うことを恐れないでください
- 御使いはヨセフに言いました。「あなたの妻マリアを迎え入れることを恐れてはならない。」ヨセフは、すべてを理解できたわけではないまま、従わなければなりませんでした。
- あなたも今、岐路に立っているかもしれません。左に行くべきか、右に行くべきか分からない。そんなとき、恐れに縛られたままでいないでください。祈りましょう。神が正しい道へと導いてくださいます。
- 従うことは、時に試されます。代償を払ってでも真実を語るか、それとも嘘で自分を守るか、選ばなければならない場面が来るでしょう。真実を選んでください。神は、ご自分に従う者を祝福してくださいます。
- あなたは、誰を喜ばせたいのかを決めなければなりません。神なのか、それとも人なのか。もしイエスを選ぶなら、離れていく友人もいるかもしれません。それでも神はあなたを見捨てません。あなたを支える別の人たちを送ってくださいます。
- ペトロと使徒たちは、はっきりとこう言いました。「人に従うより、神に従うべきです」(使徒 5:29)。自分の損得を計算するのではなく、神のみこころを求めましょう。
- もしあなたが、あまりにも多くの重荷を背負っているなら、問題を積み上げ続けて、ついには倒れてしまう人のようにならないでください。重荷は、主の御足もとに下ろしましょう。あなたのことを気にかけてくださるのは、主ご自身です。
3. 「彼女に宿っているのは聖霊による」:神は今も奇跡を行われます
- イエスの誕生は、聖霊の力以外に説明のしようがない奇跡です。聖書全体は、奇跡に満ちています。
- 神はすべてを支配しておられる方です。人生を変え、状況を変え、体を癒やされます。もしあなたが奇跡を信じられないとしたら、それはまだ神の力を知らないからです。
- 多くの人は「見たら信じる」と言います。しかし違います。まず信じることから始めてください。そうすれば、神の栄光を見ることになります。それが聖書の順番です。
- イエスは驚くべき奇跡を行われました。中風の人が癒やされ、水がぶどう酒に変わり、五つのパンと二匹の魚で五千人が満腹し、目の見えない人が見えるようになり、死人がよみがえりました。それでも、パリサイ人たちはイエスを信じませんでした。
- 奇跡を見ることでは、誰も救われません。救うのは、イエスを信じることです。救われたのは、見た人たちではなく、信じた人たちだったのです。
4. 「彼はその民を罪から救う」:イエスは世界の救い主です
- 「あなたはその子をイエスと名づけなさい。この方こそ、その民を罪から救われる方だから。」イエスという名前そのものが、その使命を語っています。それは「救うこと」です。
- 罪は、蛇の毒のようなものです。目には見えませんが、命取りになります。何もしなければ、それはあなたを永遠の死へと導きます。
- 解毒剤はただ一つ、イエスのもとに来て、赦しを求めることです。十字架の上で、イエスはあなたに代わって代価を払われました。あなたのために罰さえ受けてくださったのです。私たちの罪を背負われたとき、神はイエスから顔を背けられました。
- 「神は、私たちを訴える債務証書を、規定とともに帳消しにし、これを取り除いて十字架に釘づけにされました」(コロサイ 2:14)。
- あなたは、罪の中にとどまり続ける必要はありません。イエスがあなたに求めておられるのは、この方があなたのためにそれを成し遂げてくださったと信じることです。
心に留めておきたいポイント
- 神はあなたの名前を知っておられます。あなたは、ほかのすべての被造物よりも大きな価値を、神の目に持っています。神はあなたと個人的な関係を持つことを望んでおられます。
- 恐れによって、従うことを妨げられないようにしましょう。神のみこころは良いものです。たとえすぐには理解できなくても。
- 神は今日も奇跡を行われます。ただし、信仰は目に見えるしるしより先に来ます。まず信じましょう。そうすれば、神の栄光を見るのです。
- イエスが来られたのは、はっきりとした一つの目的のためです。それは、あなたを罪から救うことです。ほかの名前も、ほかの道もありません。
- 「今日、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない」(ヘブル 3:15)。ふさわしい時は今です。明日ではありません。
あなた自身への適用
- 私の名前は、子羊のいのちの書に記されていると確信しているだろうか。イエスを主、救い主として受け入れ、すでに天国に自分の席を「予約」しただろうか。
- 今、私の人生のどんな岐路で、恐れが私を立ちすくませているだろうか。正しい道へ導かれるように、時間を取って祈っているだろうか。
- 私はまず神を喜ばせようとしているだろうか。それとも、自分の損得や他人の評価を先に計算しているだろうか。
- 私は、どんな重荷を、イエスの御足もとに下ろすことなく、一人で背負い続けているだろうか。
- 神は今も、私の健康や家族、行き詰まっているように見える状況の中で、奇跡を行うことができると、本当に信じているだろうか。
引用された聖句
- マタイ 1:18-21 ・ 御使いがヨセフに語ったことば
- ヘブル 1:14 ・ 救いを受け継ぐ者たちに仕えるために遣わされる霊としての御使いたち
- マタイ 6:26 ・ あなたがたは空の鳥よりもはるかにすぐれた者ではないか
- ヨハネ 4章 ・ 井戸端のサマリアの女性
- 黙示録 21:27 ・ 子羊のいのちの書に記されている者だけが入る
- ヨハネ 3:36 ・ 御子を信じる者は永遠のいのちを持つ
- 使徒 5:29 ・ 人に従うより神に従うべきである
- コロサイ 2:14 ・ 私たちを訴える証書を帳消しにし、十字架に釘づけにされた
- ヘブル 3:15 ・ 今日、もし御声を聞くならば、心をかたくなにしてはならない
よくある質問
マリアに御使いが送られたのに、なぜ神はさらにヨセフにも御使いを送られたのですか。
それは、ヨセフが信じることに苦しんでいたからです。マリアは御使いガブリエルから知らせを受けました(ルカ 1章)。聖霊の力によって男の子を産むという知らせです。しかしヨセフは疑いを抱き、ひそかに縁を切ろうとしていました。そこで神は、忍耐深く、夢の中で御使いを送り、ヨセフが間違いを犯す前に彼を引き止められたのです。この場面は、神が今も、みことばや御霊、あるいはあなたの人生に置かれた誰かを通して、私たちが間違った選択をしないように、使者を送ってくださることを示しています。
「名前がいのちの書に記されている」とは、具体的にどういう意味ですか。
黙示録 21:27は、子羊のいのちの書に名前が記されている者だけが天国に入る、と告げています。これは、行いによって獲得する登録ではありません。あなたの罪のために死んで復活されたイエスを信じることによって受け取る、賜物なのです。ヨハネ 3:36ははっきりとこう言っています。「御子を信じる者は永遠のいのちを持つ。」今日、イエスを主、救い主として迎え入れることで、あなたは自分の名前がそこに記されているという確信を持つことができます。
パリサイ人たちはイエスの奇跡を目にしていたのに、なぜそれでもイエスを信じなかったのでしょうか。それでも私たちがイエスを信じるべきなのはなぜですか。
まさにこのことが、救うのは奇跡ではなく信仰であることを示しています。パリサイ人たちは、中風の人が歩き、目の見えない人が見えるようになり、死人がよみがえるのを目にしました。それでも彼らは、イエスが神の子であると信じませんでした。本物の信仰は、劇的なしるしに依存しません。イエスのことばをそのまま受け止めるものです。まず信じることから始めてください。そうすれば、あなたの人生に神の栄光が開かれていくのを見るでしょう。
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