聖書 — 口語訳 (1955)
マタイによる福音書 1
概要
マタイによる福音書1章は、新約聖書を系図で始めます。イエスはダビデの子、アブラハムの子として紹介され、イスラエルの歴史はこの方へと向かっていました。この系図には、ラハブやルツのように意外な女性たちも名を連ねています。続いてマタイは、マリヤの妊娠に心を痛めるヨセフの側から、イエスの誕生を語ります。御使いはヨセフに恐れるなと告げます。この子は民をその罪から救う方であり、インマヌエル、すなわち神がわれらと共におられるという約束を成就します。
この章の5つの区分
1アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。
2アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、
3ユダはタマルによるパレスとザラとの父、パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、
4アラムはアミナダブの父、アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、
5サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、
6エッサイはダビデ王の父であった。ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、
7ソロモンはレハベアムの父、レハベアムはアビヤの父、アビヤはアサの父、
8アサはヨサパテの父、ヨサパテはヨラムの父、ヨラムはウジヤの父、
9ウジヤはヨタムの父、ヨタムはアハズの父、アハズはヒゼキヤの父、
10ヒゼキヤはマナセの父、マナセはアモンの父、アモンはヨシヤの父、
11ヨシヤはバビロンへ移されたころ、エコニヤとその兄弟たちとの父となった。
12バビロンへ移されたのち、エコニヤはサラテルの父となった。サラテルはゾロバベルの父、
13ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、
14アゾルはサドクの父、サドクはアキムの父、アキムはエリウデの父、
15エリウデはエレアザルの父、エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、
16ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。
17だから、アブラハムからダビデまでの代は合わせて十四代、ダビデからバビロンへ移されるまでは十四代、そして、バビロンへ移されてからキリストまでは十四代である。
18イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。
19夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。
20彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
21彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。
22すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。すなわち、
23「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
24ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。
25しかし、子が生れるまでは、彼女を知ることはなかった。そして、その子をイエスと名づけた。
鍵となる聖句
アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。
マタイはイエスを、二つの大きな約束とともに紹介します。待ち望まれた王であるダビデの子、そしてあらゆる国民が祝福を受ける源となるアブラハムの子です。
サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、
ラハブとルツは、ほかの地から来た二人の女性ですが、メシヤの系図に名を連ねています。神の恵みは、出自や過去によって閉ざされることがないと教えてくれます。
彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
御使いはヨセフをダビデの子と呼び、恐れるなと語りかけます。神への従順は、恐れや戸惑いを乗り越えるようにという招きから始まることが多いのです。
彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。
イエスという名は、主は救いであるという意味です。この節は、この子の使命を語っています。外側の困難からだけでなく、罪から救うことです。
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。
マタイはイエスの誕生を預言者の約束に結びつけます。インマヌエル、神がわれらと共におられるという言葉はクリスマスの中心です。神は遠くにとどまらず、人の歴史の中に入ってこられました。
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マタイによる福音書1章についてよくある質問
なぜマタイは系図から始めるのですか
ユダヤ人の読者にとって、系図はイエスが約束されたメシヤであることを示すものです。王としてはダビデの子孫であり、諸国民への祝福という点ではアブラハムの子孫です。マタイはそれを十四代ずつ三つに区切っています。また、ラハブやルツを含む女性たちも載せており、神があらゆる背景の人々をご自分の計画に迎え入れてくださることを示しています。
マタイ1章23節のインマヌエルとはどういう意味ですか
インマヌエルは「神がわれらと共にいます」という意味で、本文自身がそう説明しています。マタイはイザヤ書7章14節の約束を引用し、イエスにおいて神がご自分の民の中におられることを告げます。この福音書は、同じく共におられるという約束で終わっており、物語全体がその約束に包まれています。
イエスがご自分の民をその罪から救うとはどういう意味ですか
イエスという名は、主が救われるという意味を表します。21節は何から救うのかを、罪から、その罪責と力からだと明らかにしています。これは福音の中心となる知らせです。イエスは教えるためだけでなく、解放するために来られました。
マタイによる福音書 1を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。