メルキゼデクかソドムの王か:あなたはどちらの王を選びますか

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はじめに:二人の王があなたを迎えに来る

大きな軍事的勝利の後、アブラハムは谷へと下って行きます。すると、二人の人物が彼を迎えに出て来ます。二人の王です。二つの世界です。ソドムの王は、誘惑と呪いをもって近づいてくる敵の姿です。そして、いと高き神の祭司であるサレムの王メルキゼデクは、パンとぶどう酒と祝福をもってやって来る、キリストの姿です(創世記14章17-24節)。

今週の日曜日、ジャン=マルク・ボトロンは、私たちにシンプルな事実を思い起こさせてくれます。この二人の王は今も存在している、ということです。彼らは今もあなたのもとにやって来ます。一方は祝福を、もう一方は呪いを携えて。中立の立場はありません。「わたしは、いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置いた。あなたはいのちを選びなさい」(申命記30章19節)。あなたはどちらの王に従いますか。

アウトライン

1. アブラハムの勝利:強いクリスチャンと肉的なクリスチャン

2. ソドムの王:妥協という誘惑

3. メルキゼデク:王なる祭司の祝福

4. あなたの選択:祝福か呪いか

1. アブラハムの勝利:強いクリスチャンと肉的なクリスチャン

アブラハムはこの戦いを自ら求めたわけではありません。四人の王とソドムの王との争いに巻き込まれ、捕虜になった甥のロトのために、戦わざるを得なくなったのです。ロトは、この世のものに執着する弱いクリスチャン、肉的なクリスチャンの姿です。パウロはこう確認しています。「私たち力のある者は、力のない者たちの弱さをともに負うべきです」(ローマ人への手紙15章1節)。

マーティン・ルーサー・キングは、教会には二種類のクリスチャンがいると言いました。「温度計クリスチャン」と「サーモスタットクリスチャン」です。温度計は雰囲気に応じて上下します。すべてがうまくいっているときには神を賛美し、すべてがうまくいかないときには地下三階まで落ち込んでしまいます。一方、サーモスタットは適切な温度を保ちます。温度が下がれば、祈りをもってそれを一定に保つのです。神があなたを招いておられるのは、この後者のモデルです。

ロトを見てみましょう。彼が祈る姿は一度も描かれていません。祭壇を主のために築くのは、いつもアブラハムです。ロトは代理の信仰を生きており、叔父の信仰に寄りかかっています。ソドムを見たとき、彼はその町の魅力に引かれ、そこに潜む霊的な危険を見抜くことができませんでした。彼の歩みは、ゆっくりとした転落です。まずは平地に、次に町の近くに、そしてついには取引や裁きが行われる町の門にまで至ります。彼は詩篇1篇を、まさに逆の順序で生きたのです。悪しき者のはかりごとに歩み、罪人の道に立ち、ついには嘲る者の座に着いてしまいました。

一方、アブラハムは神の原則を実践します。エペソ人への手紙6章10-18節に描かれている霊的な武具、すなわち救いのかぶと、正義の胸当て、燃える矢を消す信仰の盾、真理の帯、福音の熱心という履物、そして御霊の剣である神のことばを身にまとっているからこそ、四人の王に勝利するのです。この装いなしには、火の中に出て行くことはできません。スーツにネクタイ姿で火事の現場に向かう消防士を想像してみてください。霊的な戦いにおいても同じです。この武具は目に見えませんが、確かに実在するものです。

患難、苦悩、迫害、危険にもかかわらず、パウロはこう結論づけます。「私たちを愛してくださった方によって、私たちは、これらすべてのことのうちにあっても、圧倒的な勝利者です」(ローマ人への手紙8章37節)。そしてヨハネの黙示録は、七回にわたって同じ約束を繰り返します。「勝利を得る者には……」と。

2. ソドムの王:妥協という誘惑

アブラハムが勝利したとたん、真っ先に姿を現すのがソドムの王です(創世記14章17節)。これは偶然ではありません。敵は、クリスチャンが勝利を収めることも、賛美することも、戦うことも喜びません。勝利の直後こそ、あなたの信仰を打ち砕こうと戻ってくるのです。

荒野でのイエス様を思い出してください(マタイの福音書4章1-11節)。40日間の断食の後、悪魔が姿を現します。イエス様は勝利されますが、御言葉は、敵が「時が来るまで」イエス様から離れたと記しています(ルカの福音書4章13節)。その後まもなく、敵はペテロの口を借りて試みます。イエス様が十字架のことを語られると、ペテロがそれに反対し、イエス様は「下がれ、サタン」と応じなければなりませんでした(マタイの福音書16章23節)。敵はいつも別の角度を探しています。だからこそイエス様は「目を覚まして祈っていなさい」と言われるのです(マタイの福音書26章41節)。「もう祈ったから、主が戻られるまで安心だ」と言うことはできません。

ソドムの王の提案は非常に巧妙です。彼はアブラハムにこう言います。「人々は私によこし、財産はあなたが取りなさい」(創世記14章21節)。ヘブル語では文字通り「魂をよこせ」という意味です。悪魔が求めているのはまさにこれ、です。自分の王国を広げるためです。今日、世界の人口80億人のうち、自らをクリスチャンだと言う人は約25億人(カトリック、プロテスタント、正教会を含む)で、およそ70パーセントの人々が神を知らずにいます。敵はこうした魂を、その支配のもとに引き留めているのです。イエス様はこの帝国を滅ぼすために来られました。そして敵は、自分に残された時が少ないことを知っています(ヨハネの黙示録12章12節)。

その上で敵は交換条件を提示します。「財産はあなたが取りなさい」と。魅力的な話です。もっと快適に、もっと計画的に、もっと安心して暮らせるでしょう。しかし、ここでアブラハムは誠実さを試されています。すべての人の心には、何かを所有したいという渇きがあり、お金はそのまま偶像になり得ます。お金そのものが悪いのではありません(アブラハムは非常に裕福でした)。しかし、お金があなたの安心の土台になってしまったとき、それは非常に危険なものになります。

アブラハムの本当の安心は、別のところにありました。この出来事の直後、神はこう言われます。「アブラムよ、恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい」(創世記15章1節)。だからこそアブラハムは、きっぱりとすべてを断ります。「あなたのものは、糸一本、くつひも一本たりとも私は受け取らない。あなたに『私がアブラムを富ませた』と言わせないためだ」(創世記14章23節)。彼は敵とのいかなる妥協も望まなかったのです。

あなたも、誠実さを試される場面に必ず出会います。心を定めてください。もしあなたがアブラハムのような毅然とした態度で敵に応じなければ、敵はあなたを間違った方向へと押しやってしまうでしょう。

3. メルキゼデク:王なる祭司の祝福

そして、もう一人の王が登場します。サレムの王メルキゼデク、いと高き神の祭司です。彼の名前は「義の王」を意味し、「サレム」は平和(シャローム)を意味します。ヘブル人への手紙の著者は、この奥義を私たちに開いてくれます。「このメルキゼデクは、サレムの王、いと高き神の祭司でした。……彼には父もなく、母もなく、系図もなく、その日々には初めもなく、いのちには終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっています」(ヘブル人への手紙7章1-3節)。

旧約聖書において、王の役割と祭司の役割を一人の人間が兼ねることは決してありませんでした。この二つの職務は厳格に分けられていたのです。メルキゼデクは唯一の例外です。だからこそ彼は、この二つの職務、王と大祭司を兼ね備えることのできた唯一の存在であるキリストを予表する人物なのです。

彼が携えて来たものに注目してください。パンとぶどう酒です(創世記14章18節)。これは、イエス様が最後の過越の夜、ご自身の血による新しい契約を預言的に告げながら、弟子たちに分け与えられたのと同じパンとぶどう酒です。メルキゼデクは、すでに十字架を告げ知らせていたのです。

そして彼は祝福をもってやって来ます。子どもの頃から呪いのようなものに苦しめられている人がいます。何をしても物事が進まず、仕事でも、家族関係でも、健康の面でも、すべてが行き詰まっているように感じるのです。「自分は運が悪い星の下に生まれた」「自分にはできない」「自分は失敗する運命だ」といった思いが頭の中をぐるぐると巡ります。しかし、あなたがキリストのもとに来るとき、メルキゼデクはパンとぶどう酒と祝福を携えて進み出てくださいます。イエス様はこう言われました。「信じる者には、すべてのことが可能です」(マルコの福音書9章23節)。そして詩篇の記者は、神が「青銅の扉を打ち砕き、鉄の貫の木を断ち切ってくださる」と語っています(詩篇107篇16節)。神のうちにあれば、あらゆる鎖が解かれるのです。

この祝福を前に、アブラハムはすぐさま応答します。「彼はすべてのものの十分の一を彼に与えた」(創世記14章20節)。アブラハムは裕福でしたが、それと同時に、深く寛大な人でもありました。すべては神から来ること、そして自分はただの管理者に過ぎないことを、彼は理解していたのです。注目すべきは、アブラハムがモーセの律法よりも前の時代を生きていたということです。十分の一を捧げるようにという成文化された命令は、まだ何一つ存在していませんでした。それは心に刻まれた霊的な原則であり、祝福を呼び込む個人的な確信だったのです。

イエス様も後にこう確認されます。「忌まわしいものだ。律法学者、パリサイ人、偽善者たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンの十分の一は納めるが、律法の中でもっと重要な、正義とあわれみと誠実はないがしろにしている。それこそ行うべきことである。もちろん、これらのことも見過ごしてはならないが」(マタイの福音書23章23節)。まず何よりも心の姿勢(正義、あわれみ、誠実)が大切であり、その上で、神に返すべきものをおろそかにしてはならないのです。

4. あなたの選択:祝福か呪いか

二人の王。二つの運命。二つの結末。決めるのは偶然ではなく、あなた自身の選択です。

ロトはソドムを選びました。ソドムの王の庇護のもとに身を落ち着け、その妥協の人生は、当然の結果を生み出しました。混乱、喪失、そして最終的には火の中から救い出さなければならないほどの惨めな人生です。アブラハムはメルキゼデクを選びました。義の王、平和の王、すなわちイエス様です。そして彼は、祝福と誠実さと寛大さ、実り豊かな人生を刈り取りました。

祝福も呪いも、偶然に訪れるものではありません。それらは、あなたが自分の人生を支配させている相手が誰であるかの、直接の結果なのです。もしまだイエス様に従うことを選んでいないなら、それは(あなたが望むと望まないとにかかわらず)、あなたが今もなお、もう一人の王に従っているということなのです。

ポイントのまとめ

  • 二人の王があなたを迎えに来ます。呪いを携えたソドムの王と、祝福を携えたキリストなるメルキゼデクです。中立の立場はありません。
  • 温度計クリスチャンではなく、サーモスタットクリスチャンになりましょう。祈りと御言葉によって、霊的な温度を保ちましょう。
  • 敵はしばしば勝利の直後に攻撃を仕掛けてきます。絶えず目を覚まして祈りましょう。
  • 悪魔が第一に求めているのはです。そして、あなたの誠実さと引き換えに、喜んで財産を差し出してきます。いかなる妥協も拒みましょう。
  • メルキゼデクは、新しい契約のパンとぶどう酒を携えて来られた、唯一の王なる祭司キリストを予表しています。
  • 十分の一献金は、モーセの律法よりも前からある心の霊的な原則であり、祝福を呼び込むものです。

あなた自身への適用

  • あなたは今、温度計クリスチャンでしょうか、それともサーモスタットクリスチャンでしょうか。何があなたの信仰を揺れ動かしているでしょうか。
  • ソドムの王は今、どのような場面で「有利に見える」妥協をあなたに持ちかけていますか。
  • あなたの安心の本当の源はどこにありますか。銀行口座でしょうか、仕事でしょうか、人脈でしょうか、それとも「わたしはあなたの盾である」と言われる主でしょうか。
  • 「自分にはできない」「自分は運が悪い星の下に生まれた」といった呪いの思いが、あなたの頭の中で繰り返されていないでしょうか。キリストはそれを打ち砕きたいと願っておられます。
  • 寛大さと十分の一献金について、あなたの心は、神から託されたものを忠実に管理する者の心になっているでしょうか。

引用された聖句

よくある質問

創世記14章のメルキゼデクとは誰で、なぜそれほど重要なのですか。

メルキゼデクは、サレム(古のエルサレム)の王であり、いと高き神の祭司です。創世記の中には一度だけ登場し、系図も死の記録もありません。ヘブル人への手紙の著者(7章1-3節)は、彼をキリストを予表する人物として描いています。旧約聖書の中で、王と祭司という二つの職務を兼ねる唯一の存在であり、それはのちにイエス様において結び合わされます。彼が携えて来たパンとぶどう酒は、すでに新しい契約を告げ知らせるものでした。

なぜアブラハムはソドムの王からのものをすべて断ったのですか。

もし財産を受け取れば、異教徒である王が後になって「私がアブラムを富ませた」(創世記14章23節)と言うことを許すことになってしまうからです。それでは、彼の依存関係と誠実さが損なわれてしまいます。アブラハムは、物質的な利益を失うことよりも、自分の祝福の源、すなわち神ご自身を失うことを恐れました。実際、この直後に神はこう言われます。「わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい」(創世記15章1節)。

十分の一献金は、今日のクリスチャンにとってもなお有効なのでしょうか。

この箇所が示しているのは、アブラハムがモーセの律法よりも前に、自発的に、確信をもって十分の一を捧げたということです。ですから十分の一献金は、そもそも律法上の規則である以前に、感謝と寛大さに結びついた心の霊的な原則なのです。イエス様は、マタイの福音書23章23節において、それを廃止されるのではなく、むしろ心の姿勢(正義、あわれみ、誠実)が第一であること、そしてそれでいて神に返すべきものをおろそかにしてはならないことを、あらためて示しておられます。

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