はじめに
八日前、沼津の教会で、私たちは「ジョイジョイスペシャル」と呼んでいる子どもたちの夏のプログラムを行いました。朝みんなで集まり、賛美を歌い、みことばを聞き、お昼にはみんなでカレーを食べました。特別なことは何もありませんでした。ただ、あの瞬間を除いては。ある小さな男の子が、自分の発見にすっかり得意になって、私の後ろから近づいてきて、私の頭のてっぺんを叩きながら、大きな声でこう聞いてきたのです。「なんでここに髪の毛がないの?」女の子たちも駆け寄ってきて、笑いながら一緒に叩き始めました。私は怒りで頭に血がのぼってもおかしくありませんでした。十年前だったら、きっと振り返って傷ついた顔をし、もう子どもたちを教会に迎えるのはやめようと思ったかもしれません。
ところが、心の奥には不思議な平安がありました。あきらめでもなく、「もういいや」という投げやりな気持ちでもなく、自分では作り出すことのできない静けさでした。そしてそこで、私はあることに気づいたのです。この平安こそ、聖霊が今も私を聖くし続けてくださっているしるしなのだ、と。私はもうすぐ六十歳になろうとしていて、年齢のせいで子どもたちから距離を置かなければならなくなるのではないかと考えていました。その答えは、あの小さなこぶしが私の禿げ頭に触れることを通してやって来ました。主が私を牧師として立たせてくださっている限り、これまでと同じように子どもたちを迎え続けることができるのです。
今朝は、テサロニケ第一4:1〜12から、あなたにこうお伝えしたいのです。聖くなるとは、神様の厳しい眼差しの下で緊張しながら生きることではありません。それは、たとえどんなに気まずい瞬間であっても、すべてをあなたのための益に変えてくださる神様(ローマ8:28)と共に、温かく、くつろいで生きることなのです。
メッセージの構成
1. なぜ聖霊はあなたを聖くしたいと願っておられるのか
2. その聖化をどう受け取るか:マリアの例
3. 聖霊があなたのうちに住んでおられることをどう見分けるか
1. なぜ聖霊はあなたを聖くしたいと願っておられるのか
パウロはテサロニケの教会にこう書き送っています。「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです」(テサロニケ第一4:3)。彼はあなたを脅すためにこう言っているのではありません。彼は、あなたが生きているこの世界がどのようなものかを知っているからこそ、こう言っているのです。誘惑に満ちた世界であり、たとえイエス様を信じ受け入れた人であっても、罪の圧力にさらされ続けている世界です。
あなたも覚えているかもしれません。信じたあの日、バプテスマを受けたあの日、そこには大きな喜びがありました。その喜びは消えることなく、今もあなたの人生を支え続けています。しかし、それから間もなく、数か月のうちに、あなたは何かがせり上がってくるのを感じたはずです。隣人に対する厳しい思い、口をついて出てしまった言葉、繰り返し訪れる誘惑。そしてあなたはこう自問したかもしれません。「どうしてこんなことがあり得るのだろう。私はクリスチャンなのに、それでもまだ倒れてしまう。もしかしたら、私はまともな人間ではないのかもしれない。」あなたに「あなたはもうだめだ」とささやくこの小さな声、これこそがサタンの好んで使う戦略です。
よく聞いてください。あなたが信仰を持って六か月であっても四十年であっても、牧師であっても目立たない一人の弟子であっても、誘惑に出会うことになります。あなたは内なる戦いを経験することになります。もし「そのような戦いは一度も経験したことがない」と言うなら、自分の救いをもう一度確かめてみる価値があるかもしれません。なぜなら、罪を感じ取れなくなることは聖さのしるしではなく、むしろその逆だからです。それは、どこかで聖霊の光が消えてしまったということなのです。
ですから、神様が望んでおられるのは、あなたが持ちこたえるための力を与えることです。誘惑に対してはっきりと「ノー」と言うこと。そして、あなたが倒れてしまい、もう終わりだと感じるときに、地に伏したままでいないことです。だからこそ、あなたは毎日、心の中に聖霊をお迎えする必要があるのです。聖化は、クリスチャン生活における任意のおまけではありません。あなたを下へ下へと引きずり込もうとするこの世界の中で、あなたを立たせ続けるために、神様が用いてくださるものなのです。
2. その聖化をどう受け取るか:マリアの例
聖霊に開かれた心とは何かを理解するために、ルカ2:19とルカ2:51を読んでみましょう。ルカは二度にわたって、マリアについて同じことを書き記しています。「マリアはこれらのことをすべて心に留めて、思いめぐらしていた」と。
マリアは単純に何でも鵜呑みにする人ではありませんでした。何も考えずに目を閉じて信じたわけではありません。彼女はみことばを、霊と知性の両方をもって受け止めています。自分には理解できないことが起こったとき(羊飼いたちが御使いのことを語ったとき、息子が知らせもせずに神殿に残っていたとき)、彼女は拒絶することもなく、パニックになることもありませんでした。彼女は心に留め、繰り返し思いめぐらし、神様が何を語ろうとしておられるのかを探し求めました。この姿勢こそが、聖化が育っていくための土壌なのです。
これをザカリヤと比べてみましょう。ルカ1:5〜20にある人物です。彼は正しい人であり、祭司であり、戒めにおいて非のうちどころのない人でした。書類の上では、彼はすべてを持っていました。肩書き、経験年数、実績です。御使いガブリエルがバプテスマのヨハネの誕生を告げたとき、ザカリヤはこう答えました。「私はそれをどうして知ることができましょうか。私は年をとっており、妻も年を重ねております。」正直に言えば、人間的にはうなずける反応です。私だって同じように言ったかもしれません。しかし御使いはこう答えます。「あなたは私のことばを信じなかった。」
その数か月後、ガブリエルがマリアを訪れたとき、彼女もまた一つの問いを口にします。「どうしてそのようなことがありえましょうか。」彼女の問いはザカリヤの問いに似ています。それなのに、その響きは違います。彼女は「そんなことはあり得ない」とは言っていません。彼女は「どのように」と尋ねているのです。そして御使いが答えると、彼女はこう結びます。「私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように」(ルカ1:38)。
言いにくいことですが、それでもあなたに伝えます。神様の前では、あなたの神学の学位は何の重みも持ちません。あなたの奉仕年数も何の重みも持ちません。重みを持つのは、今日この時、生きている信仰であり、神様にこう言う開かれた心です。「あなたを信頼します。あなたの望まれるようにしてください。」これこそが、聖霊があなたのうちに住まわれるために求めておられる姿勢です。あなたの実績とは何の関係もありません。あなたの応答する準備がすべてです。
3. 聖霊があなたのうちに住んでおられることをどう見分けるか
パウロはテサロニケ第一4:9〜12で続けます。彼は具体的な、日常的なしるしを挙げています。あなたが「私は本当に聖霊に満たされているのだろうか」と、いつまでも問い続けなくてもよいようにするためです。
まず、兄弟愛です。理屈だけの愛ではなく、あなたの頭のてっぺんを叩いてくる相手であっても、その兄弟姉妹をどのように迎え入れるかという、その姿の中に見える愛です。次に、穏やかな生活です。あちこち走り回らず、落ち着きなく動き回らず、自分に関係のないことに口を出さないことです。それから、真剣に働くこと。神様があなたに委ねられた仕事として、家族に対する責任として、教会での奉仕として。最後に、外部の人々に対して良い評判を持つこと。あなたの生活が、しっかりと立っていることを彼らが見て取れるようにするためです。
気づかれたでしょうか。これらのしるしのどれも、派手なものではありません。特別な賜物が求められているわけでもありません。ただ、平安に満ちた生き方、仕事への真剣さ、兄弟姉妹への誠実さ。これこそ、聖霊があなたのうちに来られたときに生み出すものです。それは花火ではありません。安定した光なのです。
あなた自身の歩みを振り返ってみてください。主は、困難な季節さえも、コロナ禍さえも、教会に強いられた計画の変更さえも用いて、礼拝を、宣教を、そしてあなた自身の内なる境界線を広げてくださいました。主は立ち止まることをなさいませんでした。あなたを混乱の真っ只中で見捨てることもありませんでした。主は恵みの上にさらに恵みを注いでくださいました。そして今もなお、注ぎ続けてくださっています。
心に留めたいこと
- 聖化とは、神様の厳しい眼差しの下で絶え間ない緊張を強いられることではありません。それは、主と共に過ごす、温かくくつろいだ生き方です。
- 誘惑に倒れることは、あなたがだめだということを意味しません。それは、あなたが毎日、心の中に聖霊をお迎えする必要があるということを意味します。
- 神様の前では、あなたの応答する備えのほうが、あなたの経歴よりも価値があります。マリアはそれを示し、ザカリヤはそれを見過ごしました。
- 聖霊の生きた証拠は、ごくありふれたものです。兄弟愛、穏やかな生活、しっかりとした仕事、良い証し。
- 神様はすべてを(あなたの気まずい瞬間さえも)用いて、あなたのうちに聖い心を形づくってくださいます。
自分への適用
- 今日、誰かの傷つく言葉があなたに突き刺さったとき、あなたの最初の反応は怒りでしょうか、それとも、自分でも説明できない平安でしょうか。
- あなたの人生の中に、いつのまにか罪だと感じなくなってしまった罪はありませんか。あなたは、神様にその光を取り戻してくださいと願う準備ができていますか。
- あなたは今、心に留めて思いめぐらすマリアと、信じる前に証拠を求めたザカリヤのどちらに、より近いでしょうか。
- テサロニケ第一4:9〜12にある四つのしるし(兄弟愛、穏やかな生活、しっかりとした仕事、良い証し)のうち、今週のあなたにとって最も脆いのはどれですか。
- 神様が何か否定的なことをあなたにとっての祝福に変えてくださった最近の瞬間を、一つ挙げることができますか。
引用された聖書箇所
- テサロニケ第一4:1〜12・本文の中心箇所
- ローマ8:28・「神を愛する者たちのために、すべてのことがともに働いて益となる」
- ルカ2:19、ルカ2:51・マリアがみことばを心に留める
- ルカ1:5〜20・ザカリヤとガブリエル
- ルカ1:26〜38・マリアへのお告げ
よくある質問
聖くなるとは、もう罪を犯さなくなるということですか。
いいえ。聖くなるとは、誘惑がやって来たときに持ちこたえるために、神様の恵みと聖霊の助けを毎日受け取ることを学ぶことです。クリスチャンの聖さとは、無欠点のパフォーマンスではなく、あなたを支え続けてくださるキリストとの生きた関係のことです。
聖霊が自分のうちに住んでおられるかどうか、どうすればわかりますか。
テサロニケ第一4:9〜12は、とてもシンプルなしるしを挙げています。兄弟愛、穏やかな生活、しっかりとした仕事、外部の人々への良い証しです。これらのしるしが、たとえゆっくりであっても育っているなら、聖霊は働いておられます。
なぜマリアは、この点においてザカリヤよりも良い模範なのですか。
マリアもザカリヤも、御使いに問いを投げかけました。しかしマリアは「どのように」と尋ねました(彼女は従うために理解したいと願っていました)。ザカリヤは「私はそれをどうして知ることができましょうか」と尋ねました(彼は信じる前に証拠を求めたのです)。聖化は、信じる前にすべての答えを持たなくても神様を信頼する、開かれた心から始まります。
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