はじめに
聖書全体を貫き、あなたの心を温めてくれるはずの一つの言葉があります。神様はすべての人が救われることを望んでおられる、というものです。知恵のある人たちだけではありません。神様に近いように見える人たちだけでもありません。すべての人です。まもなく81歳を迎え、48年にわたって神戸の教会に仕えてこられた菅原牧師は、この文章をテモテへの第一の手紙から書き起こし、この上なくシンプルな確信へとさかのぼっていきます。御父は、一人ひとりがご自分のもとに立ち返るその瞬間まで、最後の最後まで待っていてくださる、というのです。
すべての人が神様に従っているわけではありません。それは事実です。しかしそれは、神様が人間に対していつも苛立っておられるということを意味しません。むしろ神様は、人々の立ち返りを、悔い改めを、そしていつか誰かが「主よ、ここにおります」と言うその日を待ち望んでおられます。この忍耐こそが、御父の心そのものなのです。そして、この心から、教会の使命が生まれてくるのです。
これから見ていくこの本文は、非常に実践的な事柄(どのように祈るか、誰のために祈るか、あなたを傷つけた人をどう扱うか)と、一つの中心的な確信を織り交ぜています。イエス・キリストは、ご自分をすべての人のための贖いの代価として与えてくださった、という確信です。どうか、この時間、心を開いてこの言葉に触れてください。
メッセージの構成
1. 牧会書簡:受け継いでいく霊的な父
テモテへの第一の手紙とテトスへの手紙は、いわゆる牧会書簡と呼ばれるものです。パウロは、生涯の終わりに近づき、六十歳前後の頃にこれらを書いています。テモテとテトスはパウロの二人の弟子であり、彼の霊的な子どもたちです。パウロは生涯独身を貫いたため、「信仰による真実のわが子テモテへ」と書くとき、彼はキリストへと導き、後を託すために育て上げた一人の人物のことを語っているのです。
菅原牧師は、これをご自身の牧会と重ね合わせます。81歳になった今、彼は33歳の若い牧師、北山師に受け継いでいます。パウロが手紙を通して行ったことを、それぞれの世代の信仰者が、それぞれのやり方で行っていく必要があります。たいまつを受け渡し、励まし、正し、次の世代を備えることです。
パウロの手紙はどれも同じ言葉で始まります。「私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みとあわれみと平安とがあなたにありますように」。牧師は、この祈りの言葉を習慣にすることを勧めます。誰かに手紙を書くとき、兄弟姉妹を祝福するとき、この言葉をもう一度口にしましょう。「私たちの主イエス・キリストの恵みと平安が、あなたと共にありますように。」この言葉を聞いて、腹を立てる人は誰もいません。
2. 与えられた預言に従って、良い戦いを戦う
パウロはテモテにこう語ります。「あなたについて以前語られた預言にしたがって、私はこの命令をあなたにゆだねます。それによって、あなたが良い戦いを戦い、信仰と正しい良心を保つためです」(テモテ第一1:18〜19)。
初代教会では、預言、異言による祈り、病人のための祈りは当たり前のことでした。それから二千年が経ち、いくつかの教会は、こうした現れはもはや存在せず、聖書だけで十分だと考えています。菅原牧師はそうした教会を裁くことはしませんが、はっきりとこう断言します。使徒の時代に生きられていたことは、今日もなお生きられているのだ、と。彼の教会では、48年間、癒やしのための祈りをせずに礼拝を終えたことは一度もありません。かつて、鈴木五郎という牧師が彼にこう言いました。「菅原牧師、毎回の礼拝で、癒やしのために祈る時間を取りなさい。」彼はその言葉に従い、決して止めることはありませんでした。
医学は目覚ましい進歩を遂げましたし、それは一つの祝福です。しかしそれは、神様の癒やしが終わったことを意味するわけではありません。パウロがエペソの教会に語るように、教会は使徒と預言者という土台の上に建てられています(エペソ2:20)。そして、使徒、預言者、伝道者、牧師、教師という五つの奉仕は、今もなおキリストのからだを建て上げるために働いているのです(エペソ4:11)。
3. あなたを傷つけた人のためにどう祈るか
この本文には、信仰を捨ててしまった二人の人物、ヒメナオとアレキサンデルが登場します。パウロは彼らを、「彼らが冒瀆的な言動をしないように学ぶため」にサタンに引き渡しています(テモテ第一1:20)。これは強い言葉です。菅原牧師は謙遜にこう認めます。自分はこのような祈りを祈ったことは一度もなく、これはパウロのような、教会史の中で最も大きな影響を与えた人物ほどの器に許された祈りだと思う、と。
テモテへの第二の手紙で、パウロはさらにこう書いています。「銅細工人アレキサンデルは私に多くの害を加えました。主が彼のわざに応じて報いてくださるでしょう」(テモテ第二4:14)。パウロはあらゆる働きかけを尽くした末に、アレキサンデルを完全に神様の御手にゆだねたのです。
あなたも、誰かに理由もなく傷つけられたとき、不当な言葉を受けたとき、赦したくないという人間的な感情がこみ上げてくることがあるでしょう。それは自然なことです。しかし、あなたの祈りを正しい場所にとどめてください。あなたの敵の破滅を祈らないでください。ただこう祈ってください。「主よ、この人を顧みてください。私はこの人をあなたにお委ねします。あなたがこの人を扱ってください。」その水準にとどまってください。神様に、神様であることを委ねましょう。この祈りだけですでに大きな力があり、あなたの心を清く保ってくれます。
4. 権威者のために祈る
パウロは続けます。「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために、願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。私たちが、静かで落ち着いた生活を、あらゆる敬虔と品位を保って送るためです」(テモテ第一2:1〜2)。
これは選択肢ではなく、みことばの求めです。菅原牧師はこの教えを自国に当てはめ、日本の内閣総理大臣、閣僚、高級官僚、外交官のために祈っています。彼らが正しい決断を下し、平和を守り、この国が戦争に巻き込まれることのないようにと願ってです。
牧師はこう振り返ります。1941年12月8日、日本は真珠湾を攻撃しました。それから三年八か月にわたる全面戦争が続きました。日本は二百五十万人の兵士と、五十万人の民間人を失いました。ある政治的な決断のために、三百万の命が奪われたのです。指導者の一つの誤った決断で、国全体が転落してしまいます。だからこそ聖書は強く求めるのです。あなたの権威者たちのためにとりなしなさい、と。あなたの静かな祈りは、あなたが思う以上に重い意味を持っているのです。
5. 御父の心:すべての人が救われること
ここで中心的な聖句にたどり着きます。「私たちの救い主である神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます」(テモテ第一2:3〜4)。これは暗記すべき聖句です。菅原牧師はこう強調します。これこそが神様の御心そのものです、と。
イエス様は、ユダヤ人だけのために、あるいは一部のエリートだけのために死なれたのではありません。イエス様はすべての人のために死なれました。当時の人々のために、それ以前に生きた人々のために、そしてこれから生まれてくるすべての人のためにです。今、地上にはおよそ八十億の人間がいます。過去のすべての世代を加えれば、その数は幾十億、幾十億にも及びます。その一人ひとりの顔のために、イエス様は十字架の上で、罪ののろいを担ってくださったのです。
そして、神様がすべての人に知らせたいと願っておられる真理とは、理論でも、ギリシャ哲学の産物でもありません。真理とは、一人の人格です。イエス様はこう言われました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ14:6)。「真理とは何か」と尋ねたピラトの前で、イエス様は一言も概念も語られませんでした。イエス様ご自身がその答えだったのです。あなたもこれを覚えておいてください。真理とは、イエス・キリストご自身のことなのです。
6. 福音化の進んでいない国にもある希望
菅原牧師は自国を冷静に見つめています。日本は、いまだに世界で最も福音化の進んでいない国の一つです。韓国には巨大な教会が数多くあり、インドネシアはイスラム教徒が多数を占めながらもおよそ十五パーセントのクリスチャンを抱えています。マレーシアはおよそ七、八パーセント、中国はおよそ十パーセント、およそ一億四千万人のクリスチャンがおり、これは日本の人口総数を上回っています。この成長ぶりに比べると、日本の教会はいかにも小さく見えます。
しかし、神様の目で見つめるなら、その希望は計り知れないほど大きいのです。御父の心が、すべての日本人が救われることを望んでおられる以上、この希望が消えることはありません。牧師と共に、こう言い表しましょう。「日本にもまた希望がある。」あなたの町にも、あなたの地域にも、あなたの家族にも、そして、あなたには最も神様から遠く見えるあの同僚にも、希望はあります。神様は立ち上がり、目に見たこともないことを一つの国のうちになさることができるのです。
7. ただひとりの仲介者、すべての人のために与えられた贖いの代価
パウロは自分の論を結びます。「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者もひとりであって、それは人としてのキリスト・イエスです。この方は、すべての人の贖いの代価として、ご自身を与えてくださいました。しかるべき時になされた、この証しなのです」(テモテ第一2:5〜6)。
「贖いの代価」という言葉は、買い戻すこと、誰かを取り戻すために代価を支払うことを意味します。使徒ペテロもこう思い起こさせます。「あなたがたが贖い出されたのは、金や銀のような朽ちるものによってではなく」(ペテロ第一1:18)。支払われたその代価とは、イエス様の血です。あなたのいのちの代わりに、イエス様のいのちが差し出されたのです。イエス様は、あなたを罪の奴隷状態と永遠の死から連れ出すために、ご自分の血を流されました。あなたが今日息をしていられるのは、あなたのために無限の代価が支払われたからなのです。
牧師は、あなたの弟子としての歩みのための宿題として、一つの問いを開いたままにしています。この贖いの代価は、誰に対して支払われたのでしょうか。時間をかけて考え、探し、黙想してみてください。この問いは罠ではなく、十字架についての理解をさらに深めるための招きなのです。
心に留めたいこと
- 神様はすべての人が救われることを望んでおられます。これは敬虔な決まり文句ではありません。それは御父の脈打つ心そのものです。神様は忍耐強く、一人ひとりの悔い改めを待っておられます。
- 真理とは一つの概念ではなく、一人の人格です。イエス様を知ることこそ、テモテ第一2:4が語る真理の知識に至ることなのです。
- あなたの権威者のために祈りましょう。これは任意のことではありません。あなたの国の平和は、あなたの祈りに一部かかっているのです。
- あなたを傷つけた人のためには、祈りを清く保ちましょう。のろうことなく、その人を神様に委ねてください。御父にその人を扱っていただきましょう。
- イエス様はすべての人のために贖いの代価としてご自身を与えられました。あなたの救いは金で買われたのではなく、御子の血によって買われたのです。
自分への適用
- 今日、あなたが書いた言葉であれ、声に出した言葉であれ、「私たちの主イエス・キリストの恵みと平安が、あなたと共にありますように」と伝えることができる相手は誰でしょうか。
- あなたが恨みを抱えている相手はいませんか。あなたの祈りを変えて、ただこう言うことができますか。「主よ、この人を顧みてください」。
- あなたは、あなたの国の責任者たちのため、あなたが選んだ人々のため、あなたの生活に影響を与える決断を下す人々のために、定期的に祈っていますか。
- あなたが知っているすべての人、あなたに最も神様から遠く見える人も含めて、神様が本当に救おうとしておられると、あなたは信じていますか。
- 牧師の問いを少し黙想する時間を取ってください。贖いの代価は誰に支払われたのでしょうか。聖書の中に探してみましょう。
引用された聖書箇所
よくある質問
「神様はすべての人が救われることを望んでおられる」とは、正確にはどういう意味ですか。
これは、御父の深い願いが、例外なくすべての人の救いにあることを意味します。これは、すべての人が自動的に救われるという意味ではありません。神様は一人ひとりの自由を尊重されるからです。しかし、神様の心、神様の啓示された御心は、誰一人として滅びることなく、すべての人がイエス・キリストを知るに至ることなのです。
自分と意見の合わない政治家であっても、本当に彼らのために祈るべきなのでしょうか。
そうです。テモテ第一2:1〜2は、政治的な条件を付けることなく、これを明確に求めています。あなたの指導者たちの決断の質は、すべての人の平和、経済、安全に影響を与えます。あなたの祈りは投票ではなく、共通の善に対する責任を担う人々に、知恵と正義が与えられるようにと願うとりなしなのです。
自分を傷つけた相手のために、恨みを抱かずに祈るにはどうすればよいですか。
シンプルにいきましょう。神様にこう伝えてください。「主よ、この人をあなたにお委ねします。この人を顧みてください。この人を扱ってください。」その人の破滅を願わず、のろおうとしないでください。裁きは神様にお任せしましょう。この祈りは、あなたの心を守り、恵みへの扉を開き、あなたの内なる歩みをより自由にしてくれます。
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