神様を愛する者になりなさい(申命記11章)

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神様を愛する者になりなさい(申命記11章)

はじめに

申命記11章は、二つの命令に何度も立ち返ります。あなたの神、主を愛しなさい、そして主の命令を守りなさい、というものです。一見すると、これは守るべき規則のように見えます。しかし実際には、それは一つの関係への招きなのです。モーセはヨルダン川を渡ろうとしているイスラエルの第二世代に語りかけています。彼らの前には祝福と呪いが置かれています。その選択は、神様を愛する心を持つか、それとも道を外れてしまうかという、心のあり方の中で決まっていくのです。

このメッセージは、この本文を一節ずつたどりながら、あなたにも同じ問いを突きつけます。あなたは神様を愛する者になりたいのでしょうか、それとも、ただ規則に従おうとするだけの者になりたいのでしょうか。

構成

1. 主人に従うのではなく、主を愛する

「あなたは、あなたの神、主を愛し、いつも主の戒めと、おきてと、定めと、命令とを守らなければならない」(申命記11:1)。ここで「主」と訳されている言葉は、神様の固有の御名、ヤハウェを指しています。それは遠くにいる肩書き(「主人」「支配者」)ではなく、一人の人格を指しているのです。神様が求めておられるのは、主人に対する奴隷の服従ではなく、ご自分との人格的な関係なのです。

ヨハネはその手紙にこう書いています。「神を愛するとは、神の命令を守ることです。神の命令は重荷とはなりません」(ヨハネ第一5:3)。そしてイエス様もこう確認しておられます。「もしあなたがたがわたしを愛するなら、わたしの戒めを守るはずです」(ヨハネ14:15)。神様を愛することと、神様に従うことは切り離すことができません。もし従うことが重荷になっているなら、それは関係が欠けているというしるしです。あなたが神様を愛しているとき、あなたは神様が望まれることを望むようになるのです。

2. 神様がすでにあなたのためになさったことを思い起こす

2節から7節で、モーセは、この命令が、見てきた人々に向けられたものであることを思い起こさせます。彼らは、神様がパロに、紅海に沈められたエジプトの軍勢に、大地に飲み込まれたダタンとアビラムに何をなさったかを見てきました。彼らは、四十年間荒野で、マナを、岩からの水を、昼の雲の柱、夜の火の柱を経験してきたのです。

神様は、目を閉じたまま愛することを求めておられません。神様は、それを実際に経験した人々に語りかけておられます。もしあなたがクリスチャンなら、あなたにもあなた自身の歩みがあるはずです。救い出された経験、祈りへの答え、神様が担ってくださった困難な時期。神様を愛することは、あなたが思い出すところから始まります。

3. 愛する前に、まず神様を知る

知らない相手を愛することはできません。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物として、御子を遣わされました」(ヨハネ第一4:10)。愛は常に神様の側から始まります。神様は、イエス・キリストの十字架と復活を通して、ご自分を知らせてくださいました。

多くの聖句を知っていること、しっかりとした神学を持っていることだけでは十分ではありません。神様を知ることと、神様について知ることは同じではありません。日々続けられる生きた関係の中でこそ、あなたは神様がどのような方であるかを学び、そこにおいてのみ、あなたは本当に神様を愛することができるのです。

4. 神様が心を配られる地、日々受け取る祝福

「あなたがたが、はいって行って所有しようとしている地は、山や谷の多い地であって、天から降る雨の水を飲む地である。それは、あなたの神、主が心にかけておられる地であって、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主の目が絶えずその上に注がれている」(申命記11:11〜12)。

入れ物は用意され、それは素晴らしいものです。しかし、その中に祝福が注がれなければ、入れ物だけでは誰も養うことができません。イスラエルの半分は荒野です。この地を実り豊かにするのは、神様の絶えざる臨在です。祝福は、マナと同じように、日々受け取るものです。昨日の祝福は今日のあなたを養いません。明日の祝福を前もって受け取ることもできません。そして、誰もあなたに代わってそれを受け取ることはできないのです。

5. 道を外れる心から自分を守る

「あなたがたは心を惑わされて、離れて行き、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように気をつけなさい」(申命記11:16)。「道を外れる」と訳された言葉は、「欺かれる」という意味も持っています。一本道の上では、人は道に迷いません。道を惑わせるのは、選択肢が増えることです。あなたの心が神様以外のものを見つめるとき、選択肢は次々と増え、あなたは欺かれてしまうことがあるのです。

典型的な罠は繁栄です。「あなたの心の中で、『私の力、私の手の力が、この富を築いた』と言わないように気をつけなさい。あなたの神、主を心に留めなさい。あなたにこの富を築く力を与えてくださったのは主だからである」(申命記8:17〜18)。収入を求めること、安定した生活を求めること自体は問題ではありません。それが神様になってしまうことが問題なのです。イエス様はこうまとめておられます。「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます」(マタイ6:33)。

6. みことばをあなたの心に刻む

「あなたがたは、私が今日あなたがたに命じるこれらのことばを、あなたがたの心と、たましいのうちに納めなさい……あなたがたはこれを自分の子どもたちに教え……あなたがたの家の門柱と門に書きしるしなさい」(申命記11:18〜20)。人間の力で、自分のたましいに何かを刻み込むことはできません。それは聖霊の御業です。しかし、あなたにできることは、みことばをあなたの宝とすることです。「あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです」(マタイ6:21)。

聖句を暗記することは、その聖句によって生きているときにのみ意味を持ちます。みことばを知ることと、みことばによって生きることは同じではありません。みことばがあなたの宝となるとき、それはあなたの会話に、思いに、決断の中に、自然と現れてくるようになります。

7. 神様に堅く結びつき、祝福を選び取る

「もしあなたがたが、あなたの神、主を愛し、そのすべての道に歩み、主に堅く結びついて……これらすべての命令を注意深く守るなら……見よ、私は今日、祝福とのろいをあなたがたの前に置く」(申命記11:22、26)。神様に堅く結びつくとは、絶望的に足元にしがみつくことではありません。神様のもとにとどまり続け、離れないことです。

誰も意識的に呪いを選ぶ人はいません。それなのに、なぜ私たちは時にそれを受け取ってしまうのでしょうか。それは肉が強いからです。私たちの理性は祝福のほうが良いことを知っています。しかし肉は別の方向に引っ張ります。祝福を選び取るには、思い起こすこと、御霊によって神様がどのような方であるか、神様が何をなさったか、どのようにあなたを愛しておられるかを思い起こさせていただき、そのうえで信仰の一歩を踏み出すことが必要です。

8. 毎日の新生の洗い

「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、再生の洗いと、聖霊による刷新とをもって、私たちを救ってくださいました」(テトス3:5)。新生は一度限りのものです。それは、あなたがイエス様を信じたときに起こります。しかし、刷新は日々続くものです。あなたが倒れるたびに、あなたは悔い改め、再び赦しを受け取り、聖霊があなたの心を新しくしてくださるままに委ねる必要があります。十字架を前にして、恵みと、愛と、喜びを再び感じ取れるようになるまで。

この刷新がなければ、悔い改めは決まり文句になってしまいます。「ごめんなさい、ありがとう、また次に。」神様はそれ以上を望んでおられます。神様は、あなたの心が十分に新しくされ、次に同じ場面が来たとき、あなたが祝福を選び取ることができるようにと願っておられるのです。

心に留めたいこと

  • 神様を愛することと、神様の命令を守ることは、二つのことではなく、一つのことです。
  • あなたは知らない神様を愛することはできません。神様のほうが先にあなたを愛してくださったのです。
  • 祝福は、マナと同じように、日々、個人的に受け取るものです。
  • あなたの心は、神様以外のものを見つめるとき道を外れます。富はその典型的な罠です。
  • 心に刻まれたみことばは宝となり、重荷にはなりません。
  • 御霊による日々の刷新は、あなたが呪いではなく祝福を選び取ることを助けます。

自分への適用

  • 最近、神様があなたのために働いてくださったのはいつでしたか。少し立ち止まって思い起こし、感謝をささげましょう。
  • あなたの心の中で、神様が占めるべき場所を奪ってしまっている何か(お金、計画、人)はありませんか。
  • 神様のみことばは、あなたにとって本当に宝でしょうか、それとも宗教的な義務でしょうか。
  • あなたは毎日「マナ」を受け取っていますか、それとも昨日の霊的な蓄えの上で生きていますか。
  • あなたが悔い改めるとき、あなたは再び神様の愛を味わうところまで行きますか、それとも「ごめんなさい」で止まってしまいますか。

引用された聖書箇所

よくある質問

なぜ申命記11章はこれほどまでに愛を強調しているのですか。

愛がなければ、従うことは重荷となり、結局は崩れ落ちてしまうからです。神様は強いられた僕を望んでおられるのではありません。神様を知っているからこそ、神様を愛する子どもたちを望んでおられるのです。

「主に堅く結びつく」とはどういう意味ですか。

それはパニックの中で絶望的にしがみつくことではありません。それは、神様のもとにとどまり続け、離れないこと、そして一日のあらゆる場面の中で神様を思い起こすことを意味します。

神様を愛せという命令は誰に向けられているのですか。

神様を知っている人々にです。モーセは、荒野における神様の真実を目撃したイスラエルの第二世代に語りかけました。今日、この言葉は、イエス・キリストを信じ、その愛を経験した人々に向けられています。

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