はじめに
イスラエルはエジプトを出たばかりです。何世紀にもわたる奴隷状態が、ついに終わりを告げました。それにもかかわらず、パロは心変わりし、軍勢を差し向け、民は敵の戦車と海との間に挟まれてしまいます。あなたにも、このような瞬間があったかもしれません。解放が滑らかな道を開いてくれると思っていたのに、すべてが自分の前で閉ざされていくように感じる瞬間です。横浜教会と沼津教会がオールザイオン・キャンプで合同礼拝をささげた際に語られたこのメッセージは、出エジプト記14章に基づき、三つの単純な真理をあなたに思い起こさせます。主は今日、あなたの状況の中に生きておられます。主はあなたを通して働かれます。そして、主があなたを救われるとき、主はあなたの心に、へりくだった確信、うぬぼれとは違う健全な誇りを置いてくださいます。
メッセージの構成
1. 主は今日も生きておられる
- 出エジプト記14章の記事は、過去の物語ではありません。パロの心を頑なにしてご自分の栄光を現されたこの神は、今も働いておられます。
- クリスチャンになったからといって、困難が止まるわけではありません。むしろ、それが強まることさえあります。それは正常なことであり、神があなたを見捨てられたしるしではありません。
- 神の前で取り繕う必要はありません。出エジプト記14章10節でイスラエルが主に叫んだように、あなたも自分の嘆き、恐れ、「なぜですか」という思いを主の前に注ぎ出すことができます。十字架が存在するのは、まさにそのためなのです。
- 主はマイナスをプラスへと変えてくださいます。痛み、悲しみ、病は、主の御手の中で、その恵みが見える場所となるのです。
2. 救いは、主のみわざに参加することによって生きられる
- 出エジプト記14章21節において、海を分けたのはモーセではありません。主が、一晩中吹き続けた強い東風によって分けられたのです。モーセはただ手を差し伸べただけでした。
- 神は、それぞれの人に、その人のサイズに合ったものを託されます。それは、親が子どもに包丁ではなく、お皿を持たせるのと同じです。
- 仕えること、証しをすること、賛美すること、祈ること、礼拝に来ること。これらは一見小さな行為に見えますが、神の栄光は、まさにこうした行為を通してあなたに現されるのです。
- 救いは行いによって買い取るものではありません。ヨハネの福音書3章16節が思い起こさせるように、神は純粋な愛のゆえに御子を与えられました。あなたはただ、自分の心の扉を開けばよいのです。
3. 主は、へりくだった確信と健全な誇りを与えてくださる
- 出エジプト記14章31節。「イスラエルは、主がエジプト人に対して行われた大いなる御力を見た。民は主を恐れ、主と、そのしもべモーセとを信じた。」
- 神が働かれるのを見ることは、十字架を忘れさえしなければ、人を高ぶらせるものではありません。もし心がねたみや軽蔑で満ちたままなら、祝福そのものが虚栄心を養ってしまうことがあります。
- 十字架は、あなたが何も自分の功績で得たのではないことを思い起こさせます。それこそが、真のへりくだり、コンプレックスのないへりくだりと、穏やかな確信、「イエスは私のものであり、私はイエスのものである。人が私について何と言おうとも」という確信を生み出すのです。
- この確信こそ、神が主とともに歩む者に恵みの上に恵みを加えてくださる理由です。礼拝の場に一輪のバラを持って来られた姉妹の母親のように、信仰の遺産は、世代から世代へと受け継がれていくのです。
覚えておきたいポイント
- 解放の後にも、なお戦いはやって来ます。それは歩みの誤りではなく、道の続きなのです。
- あなたは、主に喜ばれるように取り繕うことなく、自分の苦悩を叫ぶ権利を持っています。主は、必要なだけあなたの声に耳を傾けてくださいます。
- 神があなたを通して成し遂げられることは、劇的である必要はありません。神は、あなたが担えるものを求めておられる、それだけなのです。
- 救いは常に神の側から来るものであり、あなたの努力から来るものでは決してありません。しかし主は、モーセのように手を差し伸べるようにと、あなたを招いておられます。
- 健全な誇りは、十字架から生まれます。十字架がなければ、祝福そのものがあなたをつまずかせることがあるのです。
実践のための問いかけ
- 今、あなたの目の前にある「紅海」とは何でしょうか。解決が不可能に思える状況とは。
- あなたは、自分が本当に感じていることを、隠さずに神に語ったことがありますか。それを妨げているものは何でしょうか。
- 今週、神があなたに担うよう求めておられる小さなことは何でしょうか。家庭、仕事、教会の中で。
- あなたは自分の救いを、自分の努力の中に求めていますか、それともキリストが十字架ですでに成し遂げられたことの中に求めていますか。
- あなたが祝福を経験しているとき、それはあなたを十字架に近づけていますか、それとも静かにあなたの誇りを養っているでしょうか。
引用聖句
よくある質問
クリスチャンになってからも、なぜ困難は続くのでしょうか。
それは、エジプトを出たことが道の終わりではなく、始まりだからです。イスラエルは解放されましたが、その数節後には、パロが再び軍勢を差し向けます。クリスチャンになることは、試練を消し去るのではなく、その試練をともに通り抜けてくださる方を変えるのです。生ける主は、こうした紅海のような場面を用いて、あなたの人生に主の栄光を現されます。
本当に神に不満を訴えてもよいのでしょうか。
はい、よいのです。イスラエルの民は出エジプト記14章11〜12節で、包み隠すことなく苦々しい思いをモーセにぶつけていますが、神は彼らを退けるどころか、海を開かれます。あなたは、苦しみを美しい言葉で飾り立てなくても、神に聞いていただくことができます。十字架は、まさにあなたの叫びを受け止めるために立てられたのです。
高ぶることなく、へりくだった確信を保つにはどうすればよいでしょうか。
絶えず十字架に立ち返ることによってです。神があなたを祝福してくださるたびに、その代価を別の方が支払ってくださったことを思い出してください。この記憶は、人々の目の前で決して屈しないへりくだりと、人々の拍手に左右されない確信とを、同時に生み出してくれます。
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