ウザとオベデ・エドム:軽々しさか、神への恐れか

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はじめに

人は、他の人の才能や賜物、美しさ、豊かさをうらやましく思いがちです。大阪オンヌリキリスト教会のこの早天礼拝は、一つの警告から始まります。神の国では、そうした強みがしばしばつまずきの石になるのです。才能のない人は熱心に神にすがります。ところが能力の高い人は、祈りも聖霊の助けもなく、自分の経験とノウハウだけで進めると考えてしまいます。

この日の聖書箇所は歴代誌上13章9〜14節です。ダビデは契約の箱をエルサレムに運び上げようとします。それは良い、すばらしい決断でした。ところが途中のキドンの打ち場で牛がつまずき、ウザが手を伸ばして箱を押さえると、主が彼を打たれます。箱はオベデ・エドムの家に置かれ、その家は三か月のあいだ祝福されました。

メッセージの題は、その対比を表しています。軽々しさはさばきを招き、神を恐れる心は祝福を招きます。説教者は、あなたが何かに取り組むときの三つの教訓を語ります。神のためにすることも例外ではありません。

メッセージの流れ

1. 良い決断が悲劇に変わる

  • サウルは不従順のために王位を失いました。一方ダビデは、契約の箱の前で神に尋ね、神に従う国を築こうとします。
  • 王位が確立すると、ダビデは箱を取り戻すことを最優先の務めと考えます。箱があれば、彼の国は神がともにおられる国として、すべての人の前で認められるはずでした。
  • 彼は多くのイスラエルの民を集め、念入りに準備し、箱は喜びと歌と楽器の音の中を進んでいきます。
  • そこへ悲劇が起こります。ウザが神の前で死ぬのです。喜びは恐れと悲しみに変わりました。何が間違っていたのでしょうか。ウザはただ箱が落ちないようにしたかっただけです。神は行き過ぎではないでしょうか。

2. 自分の考えではなく、神のみこころに従って行う

  • 第一の教訓です。すべては、あなたの思いや方法ではなく、主のみこころに従って行わなければなりません。
  • ダビデも、祭司たちさえも、最も大切なことを見落としていました。神が定められた方法です。民数記4章15節にあるとおり、ケハテの子らが聖なる物を運び、それに触れれば死にます。神はこの手引きを、ご自分の民を守るために与えられました。
  • 説教者は神の聖さを思い起こさせます。至聖所には大祭司のほかだれも入れず、アロンの二人の息子は聖なる火を軽く扱ったために死にました。
  • 箱は肩に担いで運ぶものでした。説教者はユーモアを交えて想像します。「それでは地味すぎる。どうせならリムジンを使おう。立派に運べば、神も民も喜ぶだろう」。人々は、みことばではなく、諸国民のやり方と自分たちの熱心に従ったのです。
  • こうして神は、ダビデの治世の初めに厳しい教訓を与えられました。イスラエルの国では、神が王なのです。

3. ペレヅ・ウザ:神が私たちの力を打たれるとき

  • 第二の教訓です。自分の情熱や能力に頼らず、主の御声を確かめて、それに従いなさい。
  • 11節で、ダビデは怒り、その場所はペレヅ・ウザと呼ばれるようになります。説教者によれば、ウザという名はヘブライ語で力や強さを思わせます。ウザは、倒れかけた箱を自分の力で押さえました。「主がウザを打たれた」を意味するペレヅ・ウザは、つまり神が彼の力を打たれたということです。
  • 神のみわざは、人間の能力や力によっては成し遂げられません。みことばへの従順と、神を恐れる心によって成し遂げられます。
  • 多くの信仰者が、自分の考えと情熱の罠に陥っています。

4. ローレン・カニンガムの家族の例

  • ユース・ウィズ・ア・ミッションの創設者で、『Is That Really You, God?』の著者であるローレン・カニンガムは、世界中の若者が福音を携えて地の果てまで出ていくという幻を受けました。
  • 彼は証しの中で、祖父の話を語っています。祖父はある日、福音を伝えるよう召されました。すぐに子どもたちを親族に預け、家族は離れ離れになりました。ローレン・カニンガムの父は祖父にならって主に身をささげましたが、叔母たちは父親のやり方にひどく失望して信仰を離れました。彼女たちが戻ってきたのは、長い苦難と傷の年月を経た、ずっと後のことでした。
  • 説教者は、この本の一節を読みます。神の御声を聞くことはそれほど難しくありませんが、絶えず耳を傾けていなければ、神の最善を逃してしまうことがあります。何をするかを知った後は、いつ、どのようにするかを知らなければなりません。祖父は召しに従いましたが、神がそれをどのように果たさせようとしておられるかは求めませんでした。もし神の導きを求め続けていたなら、その後の苦しみはおそらくずっと小さかったでしょう。
  • 何をするにも、自分の考えや熱心が神のみこころより先に立たないように気をつけてください。祈りの中で自分に問いかけましょう。これは本当に神が望んでおられることだろうか。神はどのようにそれをするよう望んでおられるだろうか。
  • 説教者は、その反対の行き過ぎにも注意を促します。何か手伝いを頼まれるたびに、「祈ってみます」と答えて逃げてしまう人です。これもまた問題です。

5. 怒りから神への恐れへ

  • 12節で、ダビデの怒りは恐れに変わります。「どうして神の箱をわたしのところに迎えることができようか」と彼は言います。
  • ダビデは箱をダビデの町に運ぶことをあきらめ、ガテ人オベデ・エドムの家に運ばせます。
  • 説教者は、オベデ・エドムがレビ人で、コラの子らを通じたケハテの子孫であったと説明します。そのため、契約の箱を守る資格がありました。

6. オベデ・エドムの家の祝福

  • 第三の教訓です。主の祝福は、主のやり方に従って行う人々の共同体の上にとどまります。
  • 14節では、箱はオベデ・エドムの家に三か月とどまり、主は彼の家とその持ち物すべてを祝福されました。
  • オベデ・エドムは、これに値するような特別なことは何もしていません。王から箱を託されたときに従い、神が言われたとおり、聖なるものとして守りました。彼は神の律法を知っており、その謙遜な従順は喜びにあふれる奉仕になりました。
  • 彼は霊的な洞察力のある人で、神の栄光を人生の目的とした人として描かれています。説教者によれば、歴代誌上26章は、彼が箱に従って自分の地方を離れ、エルサレムに移り住んだことを示しています。彼の人生の目的は神だったのです。

7. 箱が喜びのうちにエルサレムに入る

  • オベデ・エドムが祝福されたという知らせは、おそらくダビデの耳にも届きます。彼は、箱が恐れる対象ではなく、みことばに従って敬うなら祝福の源になるのだと悟ります。
  • 励まされたダビデは、箱を運び上げることを決め、律法に従って備え、喜び踊りながら箱をエルサレムに迎え入れます。
  • 神のみこころを軽んじる力や熱心は、恐れと死をもたらします。神のやり方への従順は、すべての人に喜びと祝福をもたらします。
  • 説教者は会衆のために祝福を祈ります。あなたが自分の考えや能力を前に出すのではなく、聖さと謙遜をもって主の御声に従い、主にとっても、あなたの共同体にとっても、あなた自身にとっても祝福となりますように。

心に留めたいこと

  • 神の国では、あなたの強みが、祈りや聖霊への依存を省く口実になるなら、罠になりえます。
  • 良い目的だけでは足りません。神は方法も見ておられ、それをみことばの中で示しておられます。
  • ペレヅ・ウザは、神のみわざを自分が代わりに支えようとする人間の力を、神が打たれることを思い起こさせます。
  • 神に聞くことは、召しを受けるところで終わりません。いつ、どのようにするかも求める必要があります。祈りを、務めから逃れる口実にしてはいけません。
  • オベデ・エドムはただ従い、その家全体が祝福されました。謙遜な従順は、共同体全体の祝福になります。

個人への適用

  1. 今日、どんな才能や経験、能力があなたを、祈らずに行動するよう駆り立てていますか。
  2. 神のために進めているプロジェクトで、神のやり方を求めましたか。それとも、自分の目的を確認しただけでしたか。
  3. あなたの人生に「新しい車」はありませんか。神が示された方法より、自分に都合のよい方法です。
  4. 頼まれた奉仕を避けるために、「祈ってみます」と答えてしまうことはありませんか。
  5. オベデ・エドムのように、今週神があなたに託されることを、恐れと喜びをもって受け入れ、家族と教会がそれによって祝福されるために、あなたは何ができるでしょうか。

引用した聖句

よくある質問

ウザはただ箱を押さえようとしただけなのに、なぜ神は彼を打たれたのですか。

このメッセージは、問題はもっと前にあったことを示しています。ダビデと祭司たちは、神が定められた方法を見落としていました。民数記4章15節によれば、ケハテの子らは聖なる物に触れずに運ばなければならず、触れれば死ぬことになっていました。それなのに、人々は諸国民のやり方にならって車を選びました。ウザは、神が恐れをもって扱うよう求められたものを、自分の力で支えようとしたのです。

ペレヅ・ウザという名前はどういう意味ですか。

説教者によれば、ウザという名はヘブライ語で力や強さを思わせます。ペレヅ・ウザは、主がウザを打たれたこと、つまり彼の力を打たれたことを意味します。神のみわざは、人間の能力や力によってではなく、みことばへの従順と神を恐れる心によって成し遂げられます。

なぜオベデ・エドムの家は祝福されたのですか。

オベデ・エドムは、特別なことは何もしていません。王から箱を託されたときに従い、神が言われたとおり、聖なるものとして守りました。三か月のあいだ、主は彼の家と、彼に属するすべてのものを祝福されました。その祝福は、箱が恐ろしい物ではなく、みことばに従って敬うなら祝福の源になることを、ダビデに示しました。

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