聖書の人物 エレミヤ

生涯、名前の意味、人生の教訓

要約

エレミヤはヒルキヤの子で、アナトテの祭司の家に生まれたユダの預言者です。神は王ヨシヤの治世十三年から彼を若くして召し、エルサレム陥落まで忠実に支え続けました。彼は耳を傾けない民にさばきを告げて苦しみ、のちにバビロンへ捕え移された人々へ、将来と希望の約束を送ります。弱さを抱えながらも、決して見捨てない神に支えられた人として記憶されています。

エレミヤという名前の意味

エレミヤという名は、ヘブル語のイルメヤフと結びつけられ、「主が高める」または「主が立てる」の意味に理解されることが多いのですが、正確な意味については議論があります。聖書はこの名の由来を説明していません。ただし、神が彼を生まれる前から知り、聖別しておられたことは記されています(エレミヤ書1章5節)。

エレミヤの生涯

  1. 若い日の召命

    エレミヤ書1章1-10節

    ヨシヤ王の時代、アナトテの祭司ヒルキヤの子エレミヤに主の言葉が臨みます。神は生まれる前から彼を知り、聖別したと告げます。エレミヤは若者にすぎず語れないと答えますが、神はその言い訳を退け、御手で彼の口に触れて御言葉を授けます。

  2. 全てに立ち向かう堅固な町

    エレミヤ書1章17-19節

    神はエレミヤに、立ち上がって命じることをすべて語り、人々の顔を恐れないよう命じます。彼を堅固な町、鉄の柱、青銅の城壁として立て、ユダの王や民と戦っても勝たせない、わたしがあなたと共にいて救うと約束されます。

  3. 陶器師の家

    エレミヤ書18章1-12節

    神はエレミヤを陶器師の家へ遣わします。ろくろで作る器が壊れると、陶器師は気に入るように別の器に作り直します。神はイスラエルにも同じようにできると告げ、悪い道から立ち返るよう呼びかけますが、民は自分の思いに従うと答えます。

  4. バビロンの捕囚への手紙

    エレミヤ書29章1-14節

    エレミヤはバビロンに捕え移された人々に手紙を送ります。家を建て、畑を作り、家族を増やし、住む町の平安を求めるように命じます。神には平安と将来と希望を与える計画があり、一心に尋ね求める者は神に会えると告げます。

  5. 水ために投げ込まれる

    エレミヤ書38章1-13節

    エルサレム包囲の間、エレミヤはカルデヤ人に降伏して命を得るよう勧めます。怒った高官たちは彼の死を求め、水のない水ための泥の中に投げ込みます。王の家のエチオピヤ人エベデメレクがゼデキヤ王に願い出て、預言者は引き上げられます。

エレミヤから学ぶこと

  • 神は自分は若すぎる、力が足りないと感じる人を召されます。その人を使命にふさわしくするのは、神の臨在です。
  • 神に従うことは人気を約束しません。エレミヤは厳しい言葉を携え、忠実さの代価を払いました。
  • 神は陶器師であり、私たちは粘土です。神は忍耐をもって、うまくいかなかったものを作り直すことができます。
  • 自分で選んだのではない捕囚の中でも、神は生き、建て、周りの人の益を求めるよう命じ、希望を持ち続けさせます。
  • 泥の中に沈むとき、神は思いがけない助け手としてエベデメレクのような人を送られることがあります。

鍵となる聖句

エレミヤ書1章5節

神はエレミヤを生まれる前から知り、諸国民の預言者として立てておられました。私たちの価値と召しは、年齢や能力、過去の経験によりません。

エレミヤ書1章8節

「彼らを恐れてはならない、わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」。語れという命令には臨在の約束が伴い、反対に立つにはそれで十分です。

エレミヤ書29章13節

「あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う」。この言葉は捕囚の民に与えられました。故郷から遠く離れても、心から求めれば神に会えます。

エレミヤについての説教

よくある質問

なぜエレミヤは涙の預言者と呼ばれるのですか。

エレミヤは耳を傾けない民にさばきを告げ、そのために苦しみました。脅され、打たれ、水ための中に投げ込まれました。民のかたくなさを前にした深い痛みがその働きにあらわれているため、伝統的に涙の預言者と呼ばれています。

エレミヤという名前の意味は何ですか。

名前はヘブル語のイルメヤフと結びつけられ、「主が高める」または「主が立てる」と理解されることが多いのですが、意味には議論があります。聖書は名の由来を説明しませんが、神が彼を生まれる前から預言者として立てたことを示しています(エレミヤ書1章5節)。

エレミヤの物語は聖書のどこにありますか。

エレミヤ書にあります。1章に召命、18章に陶器師、29章に捕囚の民への手紙、38章に水ための出来事が記されています。マタイの福音書2章17-18節にも、ラマで泣き声が聞こえたという言葉が引用されています。

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