要約
オムリは、ユダの王アサの時代の北王国イスラエルの王です。軍の長でしたが、ジムリが王エラを殺したあと、軍によって王と宣言されました。ライバルのティブニを退けて十二年間王位にあり、サマリアの山を買ってそこに町を建て、のちに子アハブが治めます。しかし彼は先の王たちの誰よりも悪を行いました。政治的な成功も、神への忠実さがなければ価値がないことを教えられます。
オムリという名前の意味
聖書はオムリの名前の意味を示さず、その由来も議論されています。本文は家系や部族も記さず、まずイスラエルの軍の長として登場します(列王記第一16章16節)。
オムリの生涯
エラ王の暗殺
列王記第一16章8-14節ユダの王アサの第二十六年、バアシャの子エラがティルツァでイスラエルを治めます。彼が酔っている間に、戦車隊の半分の長ジムリが謀反を起こして彼を打ち殺しました。ジムリはその後、預言者エフーを通して主が告げられたとおり、バアシャの家をことごとく滅ぼします。
陣営で王とされる
列王記第一16章15-18節ジムリが王であったのは七日間だけです。そのとき、イスラエルの軍はペリシテ人の町ギブトンを包囲していました。謀反を聞くと、イスラエルは皆、その日、軍の長オムリを陣営で王としました。オムリはティルツァを攻めます。町が攻め取られたのを見たジムリは王宮に入って火を放ち、死にました。
ティブニに勝つ
列王記第一16章21-23節イスラエルの民は二つに分かれ、半分はギナテの子ティブニを王にしようとし、半分はオムリに従いました。オムリに従う民が勝ち、ティブニは死んで、オムリが王となります。ユダの王アサの第三十一年に治世が始まり、十二年間続き、そのうち六年はティルツァで治めました。
サマリアの建設者
列王記第一16章24節オムリはシェメルからサマリアの山を銀二タラントで買い、その山に町を建てました。山の持ち主シェメルの名にちなんで、その町をサマリアと名づけます。彼はそこに葬られ、子アハブもサマリアで王となりました。
先の王たちよりも悪く
列王記第一16章25-28節聖書の評価は厳しく、オムリは主の目に悪を行い、先の誰よりも悪かったと記されます。彼はヤロブアムの道を歩み、偶像で主の怒りを引き起こしました。彼の業績はイスラエルの王の年代記に記されています。彼は死んでサマリアに葬られ、アハブが代わって王となりました。
オムリの定め
ミカ書6章16節預言者ミカは、民がオムリの定めとアハブの家のすべての行いを守っていると責めます。王の名は、神のみこころに反する生き方の象徴となりました。預言者は、彼らの計りごとに従って歩む者は荒廃に渡され、そしりを受けると告げます。
オムリから学ぶこと
- 政治や軍事の成功は神への忠実さの代わりにはなりません。聖書はオムリを主の前での歩みで評価します。
- 父の選択は子に影響します。アハブは父の悪を受け継ぎ、さらに悪を行いました。
- 指導者が見過ごした罪は、ミカが示すように、民全体の習慣になることがあります。
- 神が求めておられるのは、公義と誠実と、へりくだって神と共に歩むことであり、オムリの定めとは正反対です。
鍵となる聖句
オムリに対する神の評価です。勝利やサマリアの建設にもかかわらず、本質が語られます。彼は主の目に悪を行い、先の誰よりも悪かったのです。
ミカは、オムリの定めとアハブの家を、従ってはならない手本として語ります。不忠実な王の影響は、その死後も長く民の生活に残りました。
同じ章の対比です。主が求めておられるのは、公義を行い、誠実を愛し、へりくだって神と共に歩むことであり、オムリの定めに従うことではありません。
よくある質問
オムリはなぜ有名なのですか。
オムリは、シェメルから銀二タラントで山を買い、サマリアを建てたことで知られます(列王記第一16章24節)。また、イゼベルを妻にしたアハブの父でもあります。アハブの後は、その子アハズヤとヨラムがイスラエルを治めました(列王記第一22章40節、列王記第二3章1節)。
オムリは良い王でしたか。
聖書によれば、そうではありません。業績には触れていますが、主の目に悪を行い、先の誰よりも悪を行ったと断じます(列王記第一16章25-26節)。彼はヤロブアムの道を歩み、偶像でイスラエルの神である主を怒らせました。
オムリの話は聖書のどこにありますか。
列王記第一16章15-28節に記されています。預言者ミカもミカ書6章16節で彼に触れています。ユダの女王アタルヤも、列王記第二8章26節でイスラエルの王オムリの孫娘と呼ばれています。