聖書の人物 ナアマン

生涯、名前の意味、人生の教訓

要約

ナアマンは預言者エリシャの時代、紀元前九世紀のスリヤ王軍の長です。勇士でしたが重い皮膚病でした。イスラエルの捕虜の少女の言葉に従ってイスラエルへ行き、ヨルダン川に七度身を浸していやされます。そしてイスラエルのほかに神はいないと告白しました。イエスもナザレの会堂でこの出来事を引用されました。

ナアマンという名前の意味

ナアマンという名は、ヘブル語で「快い」や「好ましい」を意味する語に結びつけられるのが一般的です。聖書にはこの名の説明がないため、この意味はあくまで慎重な見方です。

ナアマンの生涯

  1. 皮膚病の将軍

    列王紀下5章1-3節

    ナアマンは主君に重んじられ、主がスリヤに勝利を与えた人でした。しかし勇士でありながら重い皮膚病でした。捕虜としてイスラエルから連れて来られ、その妻に仕える少女が、サマリヤの預言者ならいやせると話します。

  2. サマリヤへの旅

    列王紀下5章4-8節

    スリヤの王は手紙と銀、金、衣服を持たせてナアマンを送ります。イスラエルの王は罠だと思って衣を裂きました。神の人エリシャは事情を知り、ナアマンを自分のもとへ来させるよう王に伝えました。

  3. 怒りとヨルダン川

    列王紀下5章9-14節

    エリシャは出て来ず、ヨルダン川で七たび身を洗うよう使いに伝えさせます。ナアマンは怒り、ダマスコの川のほうがよいと言います。しもべたちに説得されて従い、七度身を浸すと、その肉は幼な子の肉のようになりました。

  4. 信仰の告白

    列王紀下5章15-19節

    ナアマンは従者を連れて戻り、イスラエルのほかに全地のどこにも神はいないと告白します。エリシャは贈り物を一切受け取りません。ナアマンはイスラエルの土を求め、今後は主以外の神にはいけにえをささげないと誓いました。

  5. ゲハジの欲

    列王紀下5章20-27節

    エリシャのしもべゲハジはナアマンを追い、主人の名を使って密かに銀と衣服を求めます。エリシャはすべてを知っていました。ナアマンの病はゲハジとその子孫に移り、ゲハジは雪のように白くなってエリシャの前を去りました。

ナアマンから学ぶこと

  • 神は幼い少女のへりくだった一言さえ用いて、奇跡の扉を開かれます。
  • 地位も富も肩書きも神の恵みを買うことはできず、恵みはへりくだる者が受けるものです。
  • 単純な指示は誇りを傷つけることがありますが、従うことがいやしへの道を開きます。
  • 神の恵みはイスラエルの境を越えます。イエスもルカ4章でそのことを思い起こさせました。
  • 受けた恵みは売り物ではありません。ゲハジは欲のために高い代価を払いました。

鍵となる聖句

列王紀下5章3節

捕虜の少女は女主人に言います。「ああ、御主人がサマリヤにいる預言者と共におられたらよかったでしょうに」。力のない子どもの一言が、物語全体を動かしました。

列王紀下5章13節

しもべたちは「まして彼はあなたに『身を洗って清くなれ』と言うだけではありませんか」と迫ります。指示の単純さは、その力を少しも損なわないと示して、ナアマンの高ぶりを崩しました。

列王紀下5章14節

ナアマンは「神の人の言葉のように七たびヨルダンに身を浸すと、その肉がもとにかえって幼な子の肉のようになり、清くなった」のです。いやしは神の言葉への従順のあとに来ました。

列王紀下5章15節

ナアマンは「わたしは今、イスラエルのほか、全地のどこにも神のおられないことを知りました」と告白します。異邦人がイスラエルの神を認めたことは、恵みが一つの民だけのものでないしるしです。

ナアマンについての説教

よくある質問

ナアマンはなぜ初めヨルダン川で身を洗うことを拒んだのですか。

エリシャが出て来て、見事なしぐさで病をいやしてくれると期待していたからです。単純な指示に腹を立て、ダマスコの川のほうがよいと考えました(列王紀下5章11-12節)。しもべたちに説得されて従い、いやされました。

ナアマンという名前の意味は何ですか。

ナアマンという名は、ヘブル語で「快い」や「好ましい」を意味する語に結びつけられるのが一般的です。聖書に説明はないため、慎重な推測にとどまります。この物語で大切なのは、むしろいやしと信仰の告白です。

ナアマンの物語は聖書のどこにありますか。

列王紀下5章にあります。イエスもルカによる福音書4章27節で、イスラエルに多くの重い皮膚病の人がいた中、清められたのはスリヤ人ナアマンだけだったと語り、この出来事に触れておられます。

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