要約
ナインのやもめの息子は、聖書に名前が記されていない青年です。やもめの一人息子で、イエスがガリラヤの小さな町ナインの門に着いたとき、墓へ運ばれるところでした。イエスは母親をあわれみ、棺に触れて起き上がるよう命じられました。死んだ人は起き上がって話し始め、母親に返されました。この奇跡を記すのはルカの福音書だけで、神がその民を顧みてくださったことを示しています。
ナインのやもめの息子という名前の意味
聖書はこの青年の名前を記さず、やもめである母親の一人息子としてのみ伝えています(ルカの福音書7章12節)。町の名ナインは、「快い」「愛らしい」を意味するヘブル語に結びつけられることが多いものの、確かなことは分かっていません。
ナインのやもめの息子の生涯
町の門で出会う二つの行列
ルカの福音書7章11-12節百人隊長のしもべがいやされた翌日、イエスは弟子たちと大勢の群衆とともにナインへ向かわれます。門の近くで葬列に出会いました。やもめの一人息子が墓へ運ばれるところで、町の多くの人が母親に付き添っています。母親は子どもと支えを同時に失ったのです。
泣かなくてもよい
ルカの福音書7章13節だれもイエスに何も頼んでいません。やもめを見て深くあわれまれたのは、イエスご自身です。最初の言葉は死んだ人にではなく母親に向けられ、泣かなくてもよいと語られました。奇跡は、苦しむ人への主のまなざしと優しさから始まります。
青年よ、起きなさい
ルカの福音書7章14-15節イエスは近づいて棺に触れ、かついでいた人たちは立ち止まります。イエスが青年に起きなさいと命じられると、死んでいた人はすぐに起き上がって話し始めました。イエスは青年を弟子として手元に置かず、母親に返されました。悲しみで壊れた家族が回復されたのです。
神がその民を顧みてくださった
ルカの福音書7章16-17節人々は恐れに打たれ、神をあがめました。大預言者が私たちの間に現れた、神がその民を顧みてくださったと口々に語り、この知らせはユダヤ全土と周辺に広まりました。のちにイエスは、死人が生き返ることもしるしの一つだとバプテスマのヨハネに伝えられます。
ナインのやもめの息子から学ぶこと
- イエスは、もう祈る力さえない人の痛みを見て、ご自分のほうから先に近づいてくださいます。
- 主のあわれみは受け身の感情ではありません。行動へと動かし、人が避けるものにも触れさせます。
- イエスの言葉は死に対する権威を持っています。それはご自身の復活と、信じる者の復活を告げています。
- 神は、一人息子を失ったやもめのような弱い人を心にかけ、悲しみが壊したものを回復してくださいます。
鍵となる聖句
主は母親を見て深くあわれまれました。奇跡の前に、悲しむ母親へ向けられたイエスの心があります。
イエスは棺に触れ、死んだ人に生きている人のように語りかけられます。青年は起き上がって話し始めました。いのちは主の言葉だけで戻ります。
人々は、これが単なる不思議ではないと悟りました。イエスにあって、神ご自身が民を助けに来られたのです。
ナインのやもめの息子についての説教
よくある質問
ナインのやもめの息子の話は聖書のどこにありますか。
ルカの福音書だけに、7章11節から17節に記されています。カペナウムの百人隊長のしもべのいやし(ルカの福音書7章1-10節)の直後にあり、バプテスマのヨハネがイエスに送った質問の前に置かれています。
イエスはなぜナインのやもめの息子を生き返らせたのですか。
本文には、母親の願いも信仰も記されていません。ルカは、イエスが彼女を見て深くあわれまれたことを強調します。この奇跡は、一人息子を失う母親への神の心を示し、イエスこそ神がその民を顧みてくださる方であることを表しています。
イエスは福音書で何人をよみがえらせましたか。
福音書は、イエスご自身の復活の前に三人のよみがえりを記します。ナインのやもめの息子(ルカの福音書7章)、ヤイロの娘(マルコの福音書5章、ルカの福音書8章)、ベタニアのラザロ(ヨハネの福音書11章)です。これらのしるしは、イースターの朝の死に対する勝利を指し示しています。