聖書の人物 悔い改めた強盗

生涯、名前の意味、人生の教訓

要約

悔い改めた強盗は、エルサレムのどくろと呼ばれる場所で、イエスと共に十字架につけられた二人の犯罪人の一人です。もう一人がイエスをののしる中、彼は仲間をたしなめ、自分たちの刑は当然であり、イエスは何も悪いことをしていないと認めました。そして御国の位にお着きになる時に思い出してほしいと願い、今日わたしと一緒にパラダイスにいる、という約束を受けました。救いは最後の瞬間まで、信仰によって受ける恵みであることを示す物語です。

悔い改めた強盗という名前の意味

聖書は彼の名を記していません。ルカは単に犯罪人の一人と呼び、マタイとマルコは強盗と呼んでいます。後代の伝承が彼にディスマスという名をつけましたが、聖書には根拠がありません。

悔い改めた強盗の生涯

  1. イエスの隣で十字架につけられる

    ルカ23章32-33節

    二人の犯罪人がイエスと一緒に処刑場へ連れて行かれ、どくろと呼ばれる場所で、一人は右、一人は左に十字架につけられます。罪のないイエスが罪人の一人に数えられ、その刑場で、この男の回心が起こります。

  2. 十字架のまわりの嘲り

    ルカ23章34-39節

    イエスは自分を十字架につける人々のために、父よ、彼らをお赦しください、と祈られます。民衆は見つめ、指導者や兵士たちはあざけります。犯罪人の一人もそれに加わり、イエスをののしって、自分と私たちを救ってみろ、と言います。

  3. 神を恐れる心と罪の告白

    ルカ23章40-41節

    もう一人の犯罪人は仲間をたしなめ、同じ刑罰を受けながら神を恐れないのか、と言います。自分たちの刑は当然の報いだと認め、この方は何も悪いことをしていない、とイエスの潔白を証言します。言い訳をせず、罪を告白したのです。

  4. 祈りと約束

    ルカ23章42-43節

    彼はイエスのほうを向き、御国の位にお着きになる時には私を思い出してください、と願います。十字架の上の方に王を見たのです。イエスは、今日あなたはわたしと一緒にパラダイスにいる、と答えられます。差し出せる行いは何もなく、ただ恵みによる救いの確かさを受けました。

悔い改めた強盗から学ぶこと

  • 救いは行いで得る報酬ではなく、信仰によって受ける恵みです。
  • 生きている限り、イエスに立ち返るのに遅すぎることはありません。
  • 本当の悔い改めは、言い訳をせずに自分の罪を認めます。
  • 神を恐れるとは、神の義を真剣に受け止め、キリストに身を避けることです。
  • イエスの約束は、信じる者に今すぐ確かな安心を与えます。

鍵となる聖句

ルカ23章41節

強盗は自分への刑罰が当然だと認め、イエスの潔白を言い表します。自分の罪とキリストの清さの両方を見ることが、悔い改めの中心です。

ルカ23章42節

十字架の上で語られた一文の祈りです。すべてが反対を示しているように見える中で、イエスが御国に来られると信じる、素朴で全き信頼の表れです。

ルカ23章43節

イエスの答えは厳かで、しかも今日という即時のものです。赦しが完全であり、信じて死ぬ者は主のもとに迎えられることを示しています。

よくある質問

なぜイエスは十字架の上の強盗を救われたのですか。

この人が悔い改めて信じたからです。自分の罪を認め、イエスの潔白を告白し、御国で思い出してほしいと願いました。イエスは何の行いも求めず、信仰に楽園の約束で答えられました。恵みによる救いを最も明確に示す場面です。

良い強盗の名前は何ですか。

聖書は名前を記していません。福音書は犯罪人または強盗がイエスと共に十字架につけられたと述べるだけです。ディスマスという名は後代の伝承に由来し、聖書の事実ではなく伝説として扱うべきです。

悔い改めた強盗の物語は聖書のどこにありますか。

イエスと強盗の会話はルカの福音書23章39節から43節にだけ記されています。マタイ27章とマルコ15章にも、イエスと共に十字架につけられた二人の強盗が、十字架の場面で触れられています。

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