要約
良きサマリヤ人は歴史上の人物ではなく、イエスが語ったたとえ話の主人公です(ルカ10章25-37節)。律法の専門家が、私の隣人とはだれですかと尋ねました。イエスは、エリコへの道で半殺しにされた人の話をされます。祭司とレビ人は通り過ぎましたが、旅をしていたサマリヤ人はかわいそうに思い、その人を介抱しました。イエスは、あなたも行って同じようにしなさいと結ばれます。
良きサマリヤ人という名前の意味
この人物には名前がなく、教えのための人物像です。「サマリヤ人」はサマリヤ地方の住民を指し、その名はオムリ王がシェメルから買った山に建てた町サマリヤに由来します(列王記第一16章24節)。「良き」という形容は聖書本文にはなく、伝統から来ています。
良きサマリヤ人の生涯
律法の専門家の質問
ルカ10章25-29節ある律法の専門家がイエスを試そうとして、永遠のいのちを受け継ぐには何をすべきかと尋ねます。イエスが律法に目を向けさせると、彼は神と隣人への愛を挙げます。イエスは、それを行えば生きると認めます。しかし彼は自分を正当化しようとして、では私の隣人とはだれかと問い、たとえ話がその答えとなります。
半殺しにされた人
ルカ10章30-32節イエスは、エルサレムからエリコへ下る一人の人の話をされます。強盗が彼の物をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにして去りました。祭司がたまたま同じ道を通り、彼を見て反対側を通り過ぎます。レビ人も同じようにしました。神殿の奉仕に携わる二人が足を止めなかった理由を、たとえ話は語りません。
かわいそうに思ったサマリヤ人
ルカ10章33-34節そこへ旅をしていたサマリヤ人が来ます。ユダヤ人が付き合いを避けていた人です。彼はその人を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱しました。彼の愛は、時間と労力と財産を犠牲にするものでした。
二デナリと約束
ルカ10章35節翌日、サマリヤ人は宿屋の主人に二デナリを渡し、介抱を頼みます。足りない分は帰りに自分が払うと約束しました。彼の思いやりは応急処置で終わらず、何も返せない見知らぬ人のために、長期にわたる責任を引き受けたのです。
あなたも行って同じようにしなさい
ルカ10章36-37節イエスは問いを返されます。強盗に襲われた人の隣人になったのは、三人のうちだれだと思うかと。専門家は、その人にあわれみをかけた人ですと答えます。イエスは、あなたも行って同じようにしなさいと言われました。問題は、だれが愛されるに値するかではなく、私がだれの隣人になるかに変わりました。
良きサマリヤ人から学ぶこと
- 隣人とは、定義すべき人々の分類ではなく、私が近づくと選ぶ相手のことです。
- 思いやりのない宗教は、神の律法の最も大切な点を見落としています。
- 本物の愛は、時間とお金と快適さを犠牲にし、長く続く責任を引き受けます。
- あわれみに国境はありません。イエスは、聞き手が遠ざけていた人を模範に選ばれました。
- 多くのクリスチャンは、イエスご自身を真のサマリヤ人と見ます。自分で自分を救えない私たちの傷を包みに来てくださった方です。
鍵となる聖句
律法の専門家は律法をよくまとめています。全存在で神を愛し、自分自身のように隣人を愛することです。たとえ話全体が、この第二の戒めが具体的に何を意味するかを示します。
かわいそうに思ったという表現は、はらわたから湧き上がる深い感情を表す言葉です。サマリヤ人は行動する前に、傷ついた人を見つめ、その苦しみに心を動かされました。
イエスは問いの向きを変えます。専門家は自分の隣人はだれかと尋ねましたが、イエスは、傷ついた人の隣人になったのはだれかと尋ねます。最後の命令は単純で実際的です。あわれみを行いなさい。
良きサマリヤ人についての説教
- 善いサマリア人:あなたの「隣人」の常識をくつがえすたとえ話説教者は、たとえ話の衝撃を強調します。主人公はユダヤ人ではなく、ユダヤ人が付き合いを避けていたサマリヤ人です。また、私たちに近づいて傷を包んでくださるイエスを、真の良きサマリヤ人と見ます。
- 善きサマリア人のたとえ話―ルカ10章25-37節 聖書研究この学びは、イエスが語りの速度を緩め、サマリヤ人の一つ一つの行いを細かく描いていることに気づきます。また、半殺しにされた人の中に自分を見いだし、まったく無償のあわれみを受けるしかない者として、自分を見るよう勧めます。
- あのサマリア人は、実はイエスなのかもしれない説教者は、たとえ話の二つの読み方を示します。サマリヤ人に倣うことと、彼の中にイエスを見ることです。かわいそうに思うと訳される動詞は、共観福音書で、イエスか、神を表す登場人物が主語になると指摘します。
よくある質問
良きサマリヤ人は実在したのですか。
良きサマリヤ人はたとえ話の登場人物で、イエスが教えるために語られた物語です。話は、ある人がエルサレムからエリコへ下って行ったという言葉で始まり、名前も歴史的な細部もありません(ルカ10章30節)。目的は事件を伝えることではなく、私の隣人とはだれですかという問いに答えることです。
なぜイエスはサマリヤ人を選ばれたのですか。
ユダヤ人とサマリヤ人は付き合いがありませんでした(ヨハネ4章9節)。通り過ぎる祭司とレビ人に対し、サマリヤ人を隣人愛の手本とすることで、イエスは聞き手の偏見を揺さぶられます。律法に本当に従う者を示すのは、宗教的な所属ではなく、あわれみです。
良きサマリヤ人のたとえ話はどこにありますか。
ルカの福音書だけにあり、10章25-37節に記されています。イエスと律法の専門家との永遠のいのちをめぐる対話の中にあり、イエスがマルタとマリヤの家を訪ねる場面の直前に置かれています。