聖書の人物 サレプタのやもめ

生涯、名前の意味、人生の教訓

要約

サレプタのやもめは、預言者エリヤの時代の大干ばつの中、イスラエルの外のシドンの地サレプタに住んでいた名のない女性です。自分と息子のための最後の食事を用意しようとしていたとき、神の命令でエリヤを養うことになりました。彼女は預言者の言葉に従い、粉と油は尽きず、死んだ息子も生き返りました。イエスもナザレの会堂で彼女に言及されました(ルカの福音書4章26節)。

サレプタのやもめという名前の意味

聖書はこの女性の名前を記しておらず、やもめという境遇と町の名で示しています。サレプタという地名は、金属を溶かす意味のヘブル語の動詞に結びつけられることがありますが、確かではなく、聖書も説明していません。

サレプタのやもめの時代背景

サレプタのやもめの物語は、預言者エリヤの時代に起こります。一般には紀元前9世紀とされます。イスラエルではアハブ王がサマリヤで治めていました。聖書は、アハブが主の目に悪を行い、それまでのだれよりも悪かったと記します。彼はシドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻とし、バアルに仕えてその祭壇を築きました(列王紀上16章30〜33節)。そのような中で、エリヤはアハブに、自分の言葉のないうちは雨も露もないと告げます。のちにイエスは、天が閉じたのは三年六か月だったと述べています(ルカ4章25節)。干ばつは国全体を襲い、ききんは厳しくなりました。サレプタ(列王紀上ではザレパテ)はイスラエルの外、シドンに属する海岸の町で、イゼベルの出身地の方角にあたります。律法はやもめと寄留者への配慮を求めていました。夫のいないやもめは、家を守る者も働き手もなく、非常に弱い立場に置かれがちでした。この女は異邦人でやもめ、しかもききんの中で子を養わなければなりません。主が預言者を遣わされたのは、そのような女のもとでした。

サレプタのやもめの生涯

  1. 干ばつとケリテ川

    列王紀上17章1〜7節

    ギレアデのテシベに住むエリヤは、アハブに「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」と告げます。主はエリヤに、東へ行ってケリテ川のほとりに身を隠すよう命じ、川の水を飲ませ、からすに養わせると言われます。エリヤは主の言葉のとおりにしました。しかし、しばらくして国に雨がなかったので、その川はかれます。干ばつを預言した人自身も、その影響を受けました。神が与えられた水源が尽きたのです。

  2. サレプタへ行きなさい

    列王紀上17章8〜12節

    主の言葉が再びエリヤに臨み、シドンに属するサレプタへ行って住むようにと告げます。主はそこのやもめ女に命じて、エリヤを養わせると言われました。エリヤは立って出かけ、町の門で、たきぎを拾っているやもめ女に会います。彼は水を少し、続いて一口のパンを求めます。女は「あなたの神、主は生きておられます」と誓い、パンはなく、かめに一握りの粉とびんに少しの油があるだけだと言います。たきぎを二、三本拾い、自分と子供のために調理して食べ、死のうとしているところだったのです。

  3. 小さいパンと主の言葉

    列王紀上17章13〜16節

    エリヤは「恐れるにはおよばない」と言い、まず自分のために小さいパンを一つ作って持ってくるよう求め、そのあとで彼女と子供のために作るようにと言います。そして、イスラエルの神、主の言葉を伝えます。主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない、と。女は行って、エリヤが言ったとおりにしました。彼女と彼および彼女の家族は久しく食べ、主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えませんでした。

  4. 子の死と母の問い

    列王紀上17章17〜18節

    これらの事の後、その家の主婦であるこの女の男の子が病気になります。病気はたいそう重く、ついに息が絶えました。女はエリヤに言います。「神の人よ、あなたはわたしに、何の恨みがあるのですか。あなたはわたしの罪を思い出させるため、またわたしの子を死なせるためにおいでになったのですか」。彼女は痛みを隠さず、敬虔な言葉で覆い隠すこともしません。聖書は彼女の解釈を肯定せず、奇跡のあとに続く試練の中で、彼女が語ったことをそのまま記しています。

  5. エリヤ、屋上のへやで祈る

    列王紀上17章19〜22節

    エリヤは「子をわたしによこしなさい」と言い、女のふところから子供を取り、自分のいる屋上のへやへかかえて上り、寝台に寝かせます。主に呼ばわり、この家のやもめにさえ災をくだして、子供を殺されるのですか、と訴えます。そして三度子供の上に身を伸ばし、「わが神、主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」と祈りました。主はエリヤの声を聞きいれられ、子供の魂はもとに帰って、彼は生きかえりました。聖書の中で、死んだ人が生きかえったと記される最初の出来事です。

  6. ごらんなさい、あなたの子は生きかえりました

    列王紀上17章23〜24節

    エリヤは子供を屋上のへやから家の中へ連れて降り、その母にわたして言います。「ごらんなさい。あなたの子は生きかえりました」。女は答えます。「今わたしはあなたが神の人であることと、あなたの口にある主の言葉が真実であることを知りました」。粉と油が尽きないのを見たあとでも、彼女がこの告白をしたのは、生きている子を前にしたときでした。物語はそこで終わり、彼女のその後は語られません。注目は主の言葉に向けられ、その真実を異邦の女が認めます。

  7. イエスがナザレでサレプタを思い起こす

    ルカ4章25〜29節

    ナザレの会堂でイザヤ書を朗読したあと、イエスは、預言者は自分の郷里では歓迎されないものだと言われます。そして、エリヤの時代に、三年六か月にわたって天が閉じ、イスラエル全土に大ききんがあった際、多くのやもめがいたのに、エリヤはそのだれにもつかわされないで、ただシドンのサレプタにいるひとりのやもめにだけつかわされた、と語られます。会堂にいた者たちはみな憤りに満ち、イエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまで引っぱって行って、突き落そうとしました。この異邦の女は、聞く者たちが退けた恵みの例となります。

サレプタのやもめから学ぶこと

  • 水源が枯れたとき、神はすでに次の備えを整えておられ、それは思いがけない場所にあることもあります。
  • 信仰は具体的な従順で表れます。やもめはまず手元に残ったものをエリヤに渡し、それから受け取りました。
  • 神は御言葉のとおり、日ごとに備えてくださり、明日の分を貯めさせることはありません。
  • 痛みや疑問の中でも、神の人に、そして命を返してくださる神に向かうことができます。
  • 神の恵みは遠いと思われる人にも届きます。イエスご自身がこの異邦の女性を挙げておられます。

鍵となる聖句

列王記上17章9節

神はエリヤをサレプタへ遣わすとき、そこに一人のやもめに養うよう命じてあると告げます。備えは預言者の到着より先に、イスラエルの外の貧しい人のもとにありました。

列王記上17章14節

エリヤは主の約束を告げます。雨が降る日まで粉は尽きず、油は絶えません。備えは神の言葉に支えられ、日ごとに与えられます。

ルカの福音書4章25-26節

イエスは、イスラエルのやもめではなく異邦の女のもとに預言者が遣わされたと語り、サレプタのやもめを挙げます。聞く人々は恵みについてのこの教えを受け入れませんでした。

サレプタのやもめについての説教

よくある質問

聖書のサレプタのやもめとは誰ですか?

シドンの地の町サレプタに住むやもめで、干ばつの間、神が預言者エリヤを養うよう命じた女性です。最後の食べ物をエリヤと分け合い、粉と油が尽きないのを見て、死んだ息子も生き返りました(列王記上17章8-24節)。

なぜ神はエリヤをこのやもめのもとに遣わしたのですか?

聖書は、神がそこに一人のやもめにエリヤを養うよう命じておられたと記しています(列王記上17章9節)。イエスは、エリヤがイスラエルのやもめではなくシドンの女に遣わされたと語られました(ルカの福音書4章25-26節)。ほかの理由は記されておらず、神の恵みの自由を示しています。

サレプタのやもめの物語は聖書のどこにありますか?

列王記上17章8節から24節に記されています。またイエスがナザレの会堂で語られたとき、ルカの福音書4章25節と26節でこの出来事に触れておられます。

エリヤの時代の干ばつは、どれくらい続きましたか。

イエスは、天が閉じたのは三年六か月だったと言われます(ルカ4章25節)。列王紀上17章にはこの合計は書かれていませんが、18章1節には、多くの日が過ぎて、三年目に主の言葉がエリヤに臨んだと記されています。主はエリヤにアハブの前に出るよう命じ、雨を地のおもてに降らすと告げます。サレプタのやもめは、このききんの期間をエリヤの言葉のもとで過ごしました。エリヤがケリテ川にどれくらいいたのかは、聖書に明記されていません。

やもめが言った「あなたの神、主は生きておられます」とはどういう意味ですか。

女は、粉が一握りしかないと言う前に、この言葉でエリヤに答えます(列王紀上17章12節)。主を「わたしの神」ではなく「あなたの神」と呼び、主をエリヤの神として語っています。エリヤが来る前に彼女が何を信じていたか、イスラエルの神を知っていたかは、聖書に書かれていません。ただ、彼女が自分の状況について主を証人としていることは分かります。子が死に、そして生きかえったあと、彼女は、あなたが神の人であることを知りましたと言います(24節)。信仰は、主の言葉が確かめられるにつれて、段階的に現れます。

なぜやもめは子の死に際して自分の罪のことを口にしたのですか。

女はエリヤに、自分の罪を思い出させ、子を死なせるために来たのかと尋ねます(列王紀上17章18節)。どの罪のことなのか、実際に罪があったのかは書かれていません。ただ、子の死を、神の人がそこにいることと自分の罪に結びつけたことは分かります。エリヤはその質問には答えず、子を取って屋上のへやに上り、主に呼ばわります。聖書は、子の死を母の罪の結果としては描きません。祈りを聞き、いのちを返される神を示しています。

なぜエリヤは先に自分のためのパンを求めたのですか。

やもめは、最後の食事のための一握りの粉と少しの油しかないと言ったばかりでした。エリヤは恐れるにはおよばないと言い、まず自分のために小さいパンを作るよう求めます(列王紀上17章13節)。この求めには主の約束が添えられ、雨の降る日まで粉は尽きず、油は絶えないと告げられます(14節)。ほかの説明は書かれていません。女は見る前に従い、エリヤの言葉どおりにして、そのあとで備えを見ました。神は約束なしに信じるよう求めるのではなく、ご自身の言葉に頼るよう招いておられます。

「この子供の魂をもとに帰らせてください」とはどういう意味ですか。

聖書はまず、子供の息が絶えたと記します(列王紀上17章17節)。エリヤは「わが神、主よ、この子供の魂をもとに帰らせてください」と祈り(21節)、主がその声を聞きいれられると、子供の魂はもとに帰って生きかえりました(22節)。ここでは、死は魂が去ることとして、いのちはその帰りとして語られ、それを行うのは主です。物語は何かの技術を説明しません。エリヤの動作は祈りに伴うものであり、聖書が強調するのは、しもべの祈りに答えて主が働かれたということです。

粉と油はいつまで尽きなかったのですか。

エリヤの言葉が期限を示しています。主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えないというのです(列王紀上17章14節)。続けて、彼女と彼および彼女の家族は久しく食べ(15節)、主がエリヤによって言われた言葉のように、粉は尽きず油は絶えなかった(16節)と記されます。この備えの終わりは物語られていません。ただ18章で、主が三年目に雨を告げられます。備えは蓄えではなく、神の言葉によって支えられていたのです。

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