はじめに
「あなたがたは、自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人が押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ、自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人が押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。」(マタイ6:19-20)。純福音東京教会の主任牧師、志垣重政牧師は、このメッセージにとても具体的なタイトルをつけました。「天国の預金通帳」です。
元実業家の牧師は、お金の世界をよく知っています。富そのものが悪いとは言いません。ただ、私たちは何も持っていけないこと、この世の富は一日で消えてしまうことがあること、そして、持ち主が神様であるために何ものも手を触れることのできない口座があることを思い起こさせてくれます。
牧師はマタイ6:19-24に沿って、一歩ずつ進んでいきます。あなたの宝のある所に、あなたの心が向かいます。心が向かう所に、あなたの目が注がれます。そして、あなたが見ているものによって、本当の主人がだれなのかが明らかになります。
メッセージのあらすじ
1. 持っていけない財産
- かつては百万長者が話題になりました。その後、ドル建ての億万長者の時代が来ました。10億ドルは、今日のレートで約1600億円です。そして今は「兆万長者」という言葉が聞かれ始めています。イーロン・マスク氏の資産は1兆ドル、約160兆円に達したと言われます。
- 牧師は、会社を経営していたころ、億万長者になろうと必死で戦っていたと打ち明けます。目標のすぐそばまで来たとき、神様に止められ、牧師になりました。
- この金額を実感できるように、日本のお墓の値段と比べます。3.3平方メートルの区画で、平均約150万円。160兆円あれば、それを1億区画買えます。国内でも最も高額な青山霊園でさえ、1区画約1500万円ですから、1000万区画買えることになります。
- 「しかし、この肉体の幕屋を離れるとき、私たちは何も持っていくことができません。」小さな一区画で足りますし、今では納骨堂や散骨のように、それすら必要としない人もいます。
- 牧師は念を押します。「物質的なものが悪いと言っているのではありません。」それらは神様が造られたもので、尊いものであり、私たちは豊かになるべきです。けれども、どのように保管し、どのように守り、自分のものだと信じたとしても、最後にはさびつき、虫に食われ、盗まれてしまいます。
2. 地上の宝は決して安全ではない
- 老後のために、年金を納め、貯金をし、不動産を買います。しかし「戦争が一度起これば、すべてがゼロになります」。安全だと思っていた預金も、一日で消えてしまうことがあります。
- 牧師はリーマン・ブラザーズの危機に触れます。世界で三本の指に入る大手投資銀行が崩壊しました。同じことは再び起こりえます。
- 人工知能の時代についても語ります。牧師が前日に読んだ新聞記事によると、AIのシステムはすでに、プログラムした人の予測を超えて動き、企業にハッキングを仕掛けているというのです。銀行に預けているもの、さらにはスマートフォンの中にあるものでさえ、一瞬で持ち去られるかもしれません。
- 「だからこそ、イエス様は、むしろ天に宝をたくわえなさいと言われたのです。」
3. 天にどうやって預けるのか
- 牧師はユーモアを交えて問いかけます。預金をするために、天国まで行って、また戻ってこなければならないのでしょうか。「まず、戻ってこられるとは思いません。」
- イエス様の言葉の意味はこうです。私たちが持っているものはすべて、神様から受けたものです。それを地上で神様のみこころにしたがって用いることが、天に預けることです。お金だけではありません。才能、奉仕、献身、礼拝、祈り、賛美、そのすべてが天への預金です。
- ようやく金利が上がってきました、と牧師は言います。借金のある人には悪いニュースですが、貯金のある人にはささやかな喜びです。けれども忘れてはなりません。預金がなければ、利息はあなたには関係ありません。「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」(ガラテヤ6:7)。まかなければ、刈り取りはありません。預けなければ、引き出しもありません。
- この世の富は、いつ消えてもおかしくありません。けれども天の預金通帳は、神様が名義人です。そこには、さびも、虫も、盗人もありません。私たちは、イエス・キリストを受け入れた日から、この通帳を持っています。
- 神様は、私たちが御前にささげたものを決して忘れません。弱い人を助けることは小さなことに思えるかもしれませんが、小さな者に一杯の冷たい水を与えることでさえ(マタイ10:42)、この通帳に記されます。「記憶されているだけではありません。記録されているのです。」ささげた礼拝、そして何よりも神様への愛も、そこに記されます。
4. 地上でも天でも引き出せる
- この通帳には特徴があります。天で使えるだけでなく、地上でも使えるのです。残高があれば、あるときは癒やしを、あるときは救いを、心が悲しみのときには喜びを引き出すことができます。そして永遠のいのちは、私たちはいつでも、すでに引き出すことができます。
- ドルカス。彼女は裕福ではありませんでしたが、裁縫がとても上手でした。当時、服を買う余裕のなかった やもめたちのために心を尽くし、服を縫って贈りました。彼女が亡くなったとき、ペテロが到着すると、やもめたちは泣きながら、彼女の作った服を見せました。ドルカスはギリシア語の名前で、タビタはユダヤの名前です。ペテロが「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は生き返りました(使徒行伝9:36-41)。彼女は生涯、天の通帳に預けつづけ、ペテロは復活の力によってその預金を「引き出した」のです。
- コルネリオ。イタリア隊の百人隊長で、ユダヤ人ではありませんでした。多くの施しをし、神を恐れ、福音を知らないまま祈っていました。祈りの中で、ペテロを招くよう告げられ、その家の者たちみなが聖霊のバプテスマを受けました(使徒行伝10章)。異邦人で最初に聖霊を受けた人々でした。それが、彼の善い行いからの引き出しだったのです。
- 「その引き出しは、さまざまな形で現れます。お金だけではありません。」この口座は破綻しません。名義人は、アルパでありオメガ、最初の者であり最後の者、初めであり終りである方だからです(黙示録22:13)。
- 五つのパンと二匹の魚。ひとりの少年が、自分のささやかな食事を天の銀行に「預け」ました(ヨハネ6:9)。イエス様はそれをすぐに引き出し、大群衆に分け与えられ(牧師は3万人と語っています)、十二のかごがいっぱいになるほど残りました。
- ペテロの漁。ペテロは一晩中網を打っても、何も獲れませんでした。彼はただ、群衆に教えるためにイエス様に舟を貸しただけでした。するとイエス様は、深みにこぎ出して網を下ろしなさいと言われました。魚など獲れない真昼に、網は破れそうになり、二そうの舟は魚でいっぱいになって沈みそうになりました(ルカ5:1-7)。
- サレプタのやもめ。イエス様の約900年前、エリヤはイスラエルの偶像礼拝のために、三年半雨が降らないと告げます。エリヤ自身にも食べるものがなくなります。神様は彼を、金持ちのところではなく、サレプタの非常に貧しいやもめのところへ遣わされます。彼女には、ひとにぎりの粉と少しの油しかなく、息子と最後のパンを食べて死ぬ覚悟をしていました。エリヤはそのパンを求めます。「それを聞くと、なんという人かと思います。」けれども彼は、飢饉の終わりまで粉はつきず、油はなくならないと約束します。彼女は信じ、最後のパンを「預け」、そのとおりになりました(列王紀上17:8-16)。
- 「神様の祝福は、いつも一度にすべてを引き出すとは限りません。」ときには毎日引き出します。毎日の粉、毎日の油。そして、家族は飢えることがありませんでした。
5. あなたの宝のある所に、心もある
- 多くの人が、まじめな心で言います。「状況が良くなったらささげます。」牧師はその考えを責めませんが、自分の経験から証しします。「苦しいときこそ、行動すべきときです。」苦しいときに祈り、苦しいときに礼拝に来て、みことばを求め、感謝の賛美をささげるのです。あなたにできることがわずかでも、神様の前でそれをすることが、天に宝をたくわえることです。
- 21節:「あなたの宝のある所には、心もあるからである。」何も贈らずに、だれかに「愛している」とは言えません。
- 牧師は、自分の若いころは給料が現金で封筒に入って渡されたと語ります。牧師は自分の封筒を一度も開けず、そのまま奥様に渡していました。先に自分の分を取る夫もいれば、全部使ってしまう夫もいました。なぜ封筒ごと渡すのか。「愛しているからです。」奥様に喜んでほしかったのです。義務ではなく、愛でした。
- 親を敬うと言いながら、必要なことを何もしないなら、それは偽善です。「愛していれば、与えたくなります。」無理にではなく、必要なら自分が我慢してでも与えるのです。親は子どもを愛しているから、子どもに物を買い与えます。神様との関係も同じです。何もしないで「愛しています」と叫ぶだけなら、本当に愛していることにはなりません。
- 牧師は簡単な点検を勧めます。仕事以外の自由な時間を、何に使っているかを見てください。お金がどこへ行っているかを見てください。失うのが怖いものは何かを見てください。そこに、あなたの心があります。
- イエス様は、やもめが神殿の賽銭箱に小さな銅貨二枚を入れるのをご覧になり(マルコ12:41-44)、彼女はほかのだれよりも多くささげたと言われました。牧師にとって、それは神様を最も愛した女性でした。牧師は計算してみせます。雀二羽が一アサリオンで売られ(マタイ10:29)、一アサリオンは小銭八枚分ですから、雀一羽は小銭四枚分です。二枚の銅貨では、このやもめは雀一羽さえ買えませんでした。
- 「彼はわたしを愛して、わたしに結びついているゆえ、わたしは彼を救い出す。彼はわたしの名を知っているゆえ、わたしは彼を守る」(詩篇91:14)。神様から離れず、神様により頼み、私が望むことをみことばの中に求める。すべては、神様との愛の関係にかかっています。
- 十分の一献金は、神様と私たちの間の信仰の土台です。「十分の九は自分のもので、十分の一が神様のもの、というわけではありません。」すべては神様のものです。私たちのいのちも、自分のものだと思っているすべても。神様は、十分の九で生活をやりくりし、十分の一を御家のためにささげなさいと言われます。十分の一献金によって、私たちは「私の全生涯は神様のものです」と告白するのです。
- 「神様は宇宙で一番の大富豪です。イーロン・マスク氏でも足もとにも及びません。」神様は私たちの小銭を欲しがっているのではありません。私たちの心、どれほど神様を愛しているかを見たいのです。
6. 目は、からだのあかり
- 22節と23節:「目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。」
- 目が見えなければ、動くことはできても、障害物も崖も見えません。ケガをしたり、命を落としたりします。光が必要です。
- イエス・キリストを受け入れてから、私たちにはキリストの光があります。その光は、私たちがどこから来たのか、なぜここにいるのか、どこへ行くのか、つまり神様のもとへ帰るのだということを示してくれます。アダムとエバの罪の重大さとともに、イエス様が2000年前に十字架ですべてを贖ってくださったこと、そして私たちが今、神の子どもとして生きていることも示してくれます。
- この光がなければ、「この世の富と、栄光と、権力と、快楽しか見えません」。それしか価値が見えないとき、滅びに向かうほかありません。イエス・キリストを受け入れるとは、霊の目が開かれることです。
- だから伝道しなければなりません。「私たちの家族は、まだ霊的に盲目です。友人もそうです。」福音とは、その人たちにこの光を届けることです。
- 数日前に東京で開かれたクリスチャン音楽フェスティバルでは、50人以上がイエス様を受け入れるために立ち上がりました。「日本で50人が立ち上がるのは、大きなことです。」けれども、キリストの光がなければ、人は闇に戻ってしまいます。ですから、伝道し、そして信じた人たちを引き続き世話していかなければなりません。
- 宝は心の問題を問いかけました。目は、何を見るかの問題を問いかけます。心は宝へと向かい、その宝を霊の目で見るとき、その向こうに神様がおられることに気づきます。「何を見ているかがわかれば、何を求めているかがわかります。何を求めているかがわかれば、どう生きればよいかがわかります。」
7. だれも、ふたりの主人に仕えることはできない
- 24節:「だれも、ふたりの主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、あるいは、一方に親しんで他方を軽んじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」
- 「私たちの心はひとつしかありません。」大きくても小さくても、神様が与えてくださったのはひとつだけです。二つのものを同時に愛することはできません。優先順位が必要です。だから私たちは、まず神の国と神の義を求めるのです(マタイ6:33)。私たちの宝がそこにあるので、愛を神様に向けるのです。
- 教会生活でも同じです。教会を転々とする人がいます。そのように分かれた心では、ひとつの教会を長く愛することはできません。
- 結婚においても、神様は男と女をひとつのからだにされました(マタイ19:6)。それぞれの心はひとつだけで、その二つの心がひとつにならなければなりません。
- 「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マルコ12:30)。心を尽くして愛することが、天に宝をたくわえることです。そして、そのように神様を愛する人は、神様が自分に何を望んでおられるのかを、自分ひとりで想像しなくても理解できるようになります。
- 牧師は繰り返します。富を愛してはいけない、権力を持ってはいけないと言っているのではありません。それらはすべて必要です。しかし、それは地上で生きるための手段にすぎません。「私の人生の目的は、神様を愛して生きることです。ほかにはありません。」
- 牧師は祝福の言葉で締めくくります。あなたが日々、この天の預金通帳から引き出し、神様が祝福の中であなたを導いてくださるのを、感謝と賛美とともに見ることができますように。
この記事のポイント
- この地上を去るとき、私たちは何も持っていけません。この世の富は、戦争、銀行の破綻、ハッキングなどで、一日で消えてしまうことがあります。
- 天に宝をたくわえるとは、神様が私たちに委ねてくださったすべて、つまりお金、才能、奉仕、礼拝、祈り、賛美を、神様のみこころにしたがって用いることです。
- 神様は何ひとつ忘れません。一杯の水さえ天の通帳に記され、この通帳からは今すぐ引き出すことができます。一度にすべてのときも、日々少しずつのときもあります。
- あなたの宝のある所に、心もあります。自由な時間とお金の使い方は、あなたが本当に愛しているものを表します。十分の一献金は、すべてが神様のものだという告白です。
- 私たちの心はひとつしかありません。神と富とに兼ね仕えることはできません。人生の目的は、神様を愛することです。
個人への適用
- 今週、あなたは自由な時間とお金を何に使っていますか。それは、あなたの心がどこにあるかについて何を示していますか。
- ささげる、祈る、奉仕するのを、状況が良くなるまで待っていませんか。苦しいときでも、今すぐできる小さな一歩は何ですか。
- 今週、あなたの周りの弱い人に、どんな「一杯の水」をささげられますか。
- あなたはお金を「十分の九は自分のもの、十分の一は神様のもの」と考えていますか。それとも、すべてが神様のものだと認めていますか。
- あなたの家族や友人のうち、キリストの光を届けてほしいと必要としているのはだれですか。
引用された聖句
- マタイ6:19-24
- マタイ6:33
- ガラテヤ6:7
- マタイ10:42
- 使徒行伝9:36-41
- 使徒行伝10章
- 黙示録22:13
- ヨハネ6:5-13
- ルカ5:1-7
- 列王紀上17:8-16
- マルコ12:41-44
- マタイ10:29
- 詩篇91:14
- マタイ19:6
- マルコ12:30
よくある質問
マタイ6:19-20の「天に宝をたくわえる」とは、どういう意味ですか。
志垣重政牧師によれば、お金を預けるために天国へ行くという意味ではありません。私たちが持っているものはすべて神様から来ています。それを神様のみこころにしたがって用いることが、天に預けることです。お金だけでなく、才能、奉仕、献身、礼拝、祈り、賛美も含まれます。
天の預金通帳から、今すぐ「引き出す」ことはできますか。
はい、牧師によれば、この通帳は天でも地上でも使えます。引き出しの形はさまざまで、癒やし、救い、心が悲しいときの喜びなどがあります。牧師は、ドルカス、コルネリオ、五つのパンを差し出した少年、ペテロの漁、そして粉のつぼが日々空にならなかったサレプタのやもめを挙げています。
なぜイエス様は、宝のある所に心もあると言われるのですか。
私たちの心は、いつも自分にとって大切なものへ向かうからです。牧師は、自由な時間とお金を何に使っているか、そして何を失うのが怖いかを点検するよう勧めます。そこに私たちの心があるからです。愛する人は与えます。神様を愛する人は、それを具体的な行いで示します。
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