聖書は心の暗闇を知らない本ではありません。預言者エリヤはアハブとイゼベルから逃れた後、えにしだの木の下で「主よ、もうたくさんです。わたしのいのちを取ってください」と願いました(列王紀上19章4節)。ダビデは「わがたましいよ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちで思いみだれるのか」(詩篇42篇11節)と叫びました。エレミヤは「哀歌」を書き、ヨブは自分の誕生日を呪いました。聖書の英雄たちも深い絶望を経験しました。
神はうつの中にある人を責めません。むしろ近づいてくださいます。「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる」(詩篇34篇18節)。エリヤに対して神がされたことは印象的です。説教もせず、叱責もせず、食事を与え、休ませ、そして静かに語りかけられました(列王紀上19章5-12節)。神はうつを信仰の失敗とは見ておられません。壊れた心に最も近づいてくださる方です。
うつは霊的な問題だけでなく、身体的・感情的な側面も持っています。聖書は祈りと同時に実際的な助けも重視しています。エリヤに食事と休息が必要だったように、今日の私たちにも適切な医療やカウンセリングが必要な場合があります。祈りと専門家の助けは矛盾しません。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイによる福音書11章28節)とイエスは招かれています。
うつに関する聖書の言葉
« 主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。 »
« わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。 »
« 恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。 »
« すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 »
« 主よ、すみやかにわたしにお答えください。わが霊は衰えます。わたしにみ顔を隠さないでください。さもないと、わたしは穴にくだる者のように なるでしょう。 »
« 自分は一日の道のりほど荒野にはいって行って、れだまの木の下に座し、自分の死を求めて言った、「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」。 »
« わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。 »
« わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。 »
うつに関するよくある質問
うつは信仰が足りないからですか?
絶対にそうではありません。エリヤは火を天から降らせた直後にうつを経験しました。ダビデは「神の心にかなう人」と呼ばれましたが、深い絶望を何度も経験しました。うつは信仰の度合いとは関係なく、脳の化学的な変化、トラウマ、過労など多くの要因が絡み合います。うつの人を信仰不足だと責めることは、聖書に反する残酷な行為です。
聖書の中でうつを経験した人物は誰ですか?
多くの信仰の英雄がうつに似た状態を経験しました。エリヤは死を願い(列王紀上19章)、ダビデは何度も「たましいよ、何ゆえうなだれるのか」と嘆き(詩篇42-43篇)、ヨブは自分の誕生を呪い(ヨブ3章)、エレミヤは「涙の預言者」と呼ばれました。モーセさえ民の重荷に疲れ果てました(民数記11章)。
薬を飲みながら神を信頼することはできますか?
もちろんです。薬を飲むことと信仰は矛盾しません。神は医学を通しても癒しを与えてくださいます。糖尿病の人がインスリンを使うことが不信仰ではないように、うつの人が適切な薬を服用することも不信仰ではありません。祈りと治療は対立するものではなく、神が用いてくださる両方の手段です。
うつの人をどう助けられますか?
まず傾聴してください。解決策を急がず、その人の痛みに寄り添いましょう。安易に「もっと祈れば」「信仰があれば」とは言わないでください。実際的な助け(食事を届ける、一緒に散歩する、通院に付き添う)が大きな支えになります。そして専門的な助けが必要な場合は、カウンセリングや受診を優しく勧めてください。ガラテヤ6章2節は「互に重荷を負い合いなさい」と教えています。