「穏やかな心は、からだの命である、しかし興奮は骨を腐らせる」(箴言14章30節)。嫉妬は内側から人を蝕む毒です。聖書は嫉妬の破壊力を繰り返し描いています。カインの嫉妬は兄弟殺しに至り、サウルの嫉妬はダビデへの殺意に変わり、ヨセフの兄たちの嫉妬は弟を奴隷に売るところまで行きました。嫉妬は放置すれば、人間関係と魂を破壊します。
興味深いことに、聖書は「神はねたむ神である」とも語ります(出エジプト記20章5節)。しかしこれは人間の嫉妬とはまったく異なります。神の「ねたみ」は愛する者への聖なる情熱であり、花嫁を守る花婿の忠実さに似ています。人間の嫉妬が「自分が持っていないものを欲しがる」のに対し、神の「ねたみ」は「愛する者が偽りの神に奪われることを惜しむ」ものです。
嫉妬の解毒剤は愛と感謝です。「愛はねたまない」(コリント人への第一の手紙13章4節)。他者の祝福を喜び、自分に与えられた恵みに感謝するとき、嫉妬の毒は力を失います。十戒の「むさぼってはならない」(出エジプト記20章17節)は、他者のものを欲しがる心を戒めます。満足する心は、神が自分に十分に備えてくださっているという信頼から生まれます。
嫉妬に関する聖書の言葉
« 穏やかな心は身の命である、しかし興奮は骨を腐らせる。 »
« ねたみと党派心とのあるところには、混乱とあらゆる忌むべき行為とがある。 »
« 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、 »
« 愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。 »
« あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。 »
« 憤りはむごく、怒りははげしい、しかしねたみの前には、だれが立ちえよう。 »
« そして、宴楽と泥酔、淫乱と好色、争いとねたみを捨てて、昼歩くように、つつましく歩こうではないか。 »
« わたしをあなたの心に置いて印のようにし、あなたの腕に置いて印のようにしてください。愛は死のように強く、ねたみは墓のように残酷だからです。そのきらめきは火のきらめき、最もはげしい炎です。 »
嫉妬に関するよくある質問
嫉妬は常に罪ですか?
人間の嫉妬は、他者が持つものを自分も欲しがる、あるいは他者の成功を妬む心です。これは聖書が明確に戒める肉の業の一つです(ガラテヤ5章21節)。ただし、正当な関係を守ろうとする思い(配偶者の忠実さを望むなど)は、神のねたみに通じる正当な感情と区別できます。
「神はねたむ神である」とはどういう意味ですか?
神のねたみは利己的な感情ではなく、愛する民への聖なる情熱です。結婚の契約において配偶者の忠実さを求めることが正当であるように、神は契約の民が偽りの神々に心を奪われることを悲しまれます。これは所有欲ではなく、最も深い愛の表現です。
どうすれば嫉妬を克服できますか?
まず嫉妬を正直に神の前に認めることから始まります。次に、感謝の習慣を育てましょう。自分に与えられた恵みを数えるとき、他者のものを欲しがる心は薄れます。また他者の成功を積極的に祝福する訓練も有効です。ローマ12章15節は「喜ぶ者と共に喜べ」と教えます。嫉妬は愛と感謝によって追い出されます。