聖書はストレスについて何と言っていますか?

ストレスについての重要な聖句と聖書の答え。

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ストレスは、忙しさや責任、先の見えない不安に満ちたこの世界の一部です。イエスご自身も重圧と疲れを知っておられましたが、こう招いてくださいます。「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイによる福音書 11章28節)。聖書は緊張のない人生を約束してはいません。「あなたがたは世にあっては悩みがある」(ヨハネによる福音書 16章33節)と言われる通りです。しかし、勇気を与える臨在と、心を守る平安を約束しています(ピリピ人への手紙 4章7節)。

ストレスの多くは、突き詰めればさほど重要でないことに気を取られ、動揺することから生まれます。もてなしの準備に追われるマルタに、イエスは優しくこう答えられました。「あなたは多くのことに心を配って思い煩っている。しかし、無くてならぬものは多くはない、いや、一つだけである」(ルカによる福音書 10章41節)。聖書は、重荷をひとりで背負うのではなく、神にゆだねるよう招いています。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神に委ねなさい。神があなたがたのことを心にかけていて下さるからである」(ペテロの第一の手紙 5章7節)。これは詩篇の「主はあなたをささえられる」(詩篇 55篇22節)という約束の反響です。

ストレスは人を疲れさせますが、神は自分の力だけで耐えるようにとは求めておられません。「主を待ち望む者は新たなる力を得」「疲れ果てることがない」(イザヤ書 40章31節)。深い試練に苦しんでいたパウロは、こう答えを受け取りました。「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱さの中に完全にあらわれる」(コリント人への第二の手紙 12章9節)。ストレスは、自分の意志の力だけで克服すべきものではなく、日ごとに、必要な力を与えて下さる方にゆだねていくものなのです(ピリピ人への手紙 4章13節)。

ストレスに関する聖書の言葉

  • « すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 »

    マタイによる福音書 11章28節

  • « これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。 »

    ヨハネによる福音書 16章33節

  • « そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。 »

    ピリピ人への手紙 4章7節

  • « 主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。 »

    ルカによる福音書 10章41節

  • « 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。 »

    ペテロの第一の手紙 5章7節

  • « あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。 »

    詩篇 55篇22節

  • « しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。 »

    イザヤ書 40章31節

  • « ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 »

    コリント人への第二の手紙 12章9節

ストレスについての説教

ストレスに関するよくある質問

ストレスは罪なのですか?

いいえ、ストレスそのものは罪ではありません。それは重圧に対する人間的な反応であり、イエスご自身もゲツセマネで経験されました(マタイによる福音書 26章38節)。それが問題になるのは、神を信頼することを拒む思い煩いに変わるときです(マタイによる福音書 6章34節)。聖書は、それを恥じるのではなく、祈りの中で神に委ねるよう招いています。

聖書はストレスにどう対処するよう教えていますか?

聖書はまず祈りと感謝を勧めています。「思い煩うことはいっさい捨てて、あらゆる場合に、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」(ピリピ人への手紙 4章6節)。またイエスがマルタに示されたように、本当に大切なことを優先することも教えています(ルカによる福音書 10章41節)。そして神が新たにして下さる力に頼ることも勧めています(イザヤ書 40章31節)。

祈っているのに、なぜストレスが消えないのですか?

祈りは自動的にストレスを消し去るものではありませんが、それを負う姿勢を変えてくれます。ピリピ人への手紙4章7節が約束する平安は、心を「守る」のであって、感覚を麻痺させるのではありません。ストレスは、信仰の欠如だけでなく、実際の疲労やスケジュールの過重を示していることもあります(ペテロの第一の手紙 5章7節)。

聖書は働きすぎと休息について何と言っていますか?

神ご自身も七日目に休まれました(創世記 2章2節-3節)。イエスも、疲れた者を招いて、ご自身のもとで休ませて下さいます(マタイによる福音書 11章28節)。休息はぜいたくではなく従順の行為であり、すべてが自分の力だけにかかっているのではないことを思い出させてくれます。

ストレスを感じるのは信仰が弱いからですか?

必ずしもそうではありません。詩篇の記者たちも苦しみの中で叫んでいますが、それが咎められることはありません(詩篇 55篇22節)。信仰の弱さが表れるのは、むしろストレスが長く居座り、決して神にゆだねられないときです。

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