不安とストレスに打ち勝つ聖書の言葉20選

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はじめに

不安やストレスは、信仰があってもなくても、ほとんどすべての人が経験するものです。明日への恐れ、疲労、下すべき決断、眠れない夜。聖書はこの現実を決して軽く見ることなく、繰り返しそれに向き合うよう語りかけます。ここでは、思い煩いを手放す、神の平安を受け取る、恐れの中で神の臨在を感じる、重荷を下ろす、安らぎを取り戻すという5つのテーマに分けて、20の聖書の言葉を紹介します。それぞれの参照箇所には全文へのリンクを付けていますので、文脈や意味をさらに深く知ることができます。

思い煩いを手放す

1. マタイ6章25節

「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。」

イエスは山上の説教の核心部分で、心の真の優先順位について教えた直後にこの言葉を語られました。ここで求められているのは無頓着さではなく、本当に重みを持つものを見極めることです。神が与えてくださる命は、私たちを苛む思い煩いをはるかに超えています。この問いを心に留めておくことは、多くの不安の悪循環をあらかじめ断ち切る力になります。聖書でマタイ6章25節を読む

2. マタイ6章34節

「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」

この節は、思い煩いについての教えを締めくくり、私たちの意識を「今日」という日に引き戻します。ストレスはしばしば、想像上の未来によって増幅されます。イエスは、今日という日のために十分な恵みへと視点を戻されるのです。人生全体の保証を求めて祈るのではなく、今日という一日のために祈ること、それ自体がすでに信仰の行為なのです。聖書でマタイ6章34節を読む

3. ピリピ4章6節

「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。」

パウロはこの言葉を獄中で記しており、そのことがこの呼びかけに特別な重みを与えています。彼は思い煩いを消し去れと言っているのではなく、それを感謝とともに祈りへと変えるようにと勧めています。これは具体的な行動です。重荷をひとりで抱え込み繰り返し思い悩む代わりに、神の前にそれを言葉にして差し出すのです。聖書でピリピ4章6節を読む

4. 箴言12章25節

「心に憂いがあればその人をかがませる、しかし親切な言葉はその人を喜ばせる。」

聖書の知恵は、思い煩いがもたらす影響を現実的に見つめています。それは人を「かがませ」、心だけでなく体にも重くのしかかります。しかし同時に、シンプルで人間的な解決策も示されています。それは、受け取る、あるいは語りかける励ましの言葉です。これは、不安な心に良い言葉を語る共同体の価値を思い起こさせてくれます。聖書で箴言12章25節を読む

神の平安を受け取る

5. ヨハネ14章27節

「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」

逮捕される直前、イエスは弟子たちに、状況次第で変わる世の平安とは異なる平安を残されました。この平安は、問題が何もないことの上にではなく、約束されたイエスの臨在の上に築かれています。それゆえ、周りのすべてが揺らいでいるように見えるときでも、心は騒ぐことなくいられるのです。聖書でヨハネ14章27節を読む

6. ヨハネ16章33節

「これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

イエスは、これから訪れる苦難をありのままに告げます。ストレスのない人生を約束されているわけではありません。しかしイエスは、すでに勝ち取られたご自身の世に対する勝利に、勇気の根拠を置かれます。ですから、ストレスが最終的な結論なのではありません。キリストの勝利が確かであるという事実が、物事の見え方を変えるのです。聖書でヨハネ16章33節を読む

7. ピリピ4章7節

「そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」

この平安は、前の節で語られた祈りへの招きに直接続くものであり、神からの具体的な応答です。それは「人知ではとうてい測り知ることのできない」ものであり、思考によって得られる結論ではなく、心と思いを守る賜物です。それはまるで見張りのように、内なる生活を積極的に守り続ける存在です。聖書でピリピ4章7節を読む

8. イザヤ書26章3節

「あなたは全き平安をもって こころざしの堅固なものを守られる。彼はあなたに信頼しているからである。」

預言者は、思いを神に向け続ける者にだけ与えられる完全な平安について語っています。ストレスは、無数の起こりうる脅威に注意が分散することから生まれることが多いものです。この節は、視線をもう一度神へと向け直すよう招いています。信頼することは数ある選択肢の一つではなく、この約束された平安が与えられるための条件そのものなのです。聖書でイザヤ書26章3節を読む

恐れの中で神の臨在を感じる

9. イザヤ書41章10節

「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」

根こそぎにされ、脅かされていた民に向けて語られたこの節は、恐れや不安に対して最もよく引用される箇所の一つです。神はただ「恐れるな」と言うだけではありません。その理由、すなわちご自身の臨在、力、助けを示されます。強くする、助ける、支えるという三つの動詞は、慰めるだけでなく、具体的に行動する神の姿を描き出しています。聖書でイザヤ書41章10節を読む

10. ヨシュア記1章9節

「わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。

ヨシュアはモーセの後を継ぎ、民を未知の地へと導かなければなりませんでした。それはまさにストレスや疑いを生みやすい状況です。「強くあれ」という命令は単なる願望ではなく、「あなたの神、主が共におられる」という約束に基づいています。求められている強さの源は、人間の資質だけではなく、神の臨在にあるのです。聖書でヨシュア記1章9節を読む

11. 詩篇91篇1節

「いと高き者のもとにある 隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は」

この詩篇は、全能者の陰にある避け所と安らぎのイメージで始まります。この隠れ場にとどまることは、恐れをひとりで処理しようとするのではなく、日々神に近づくという選択を意味します。これは、一度だけ探し求めるのではなく、何度でもこの守りのもとに立ち返るようにという招きです。聖書で詩篇91篇1節を読む

12. テモテ第二1章7節

「というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。」

パウロは、反対や重責を前にして恐れに陥りそうになっている若い指導者に宛ててこれを書いています。彼は、自分たちが受けた御霊がどのようなものであるかを思い起こさせます。それは人を萎縮させる臆病さとは正反対の、力と愛と慎みの霊です。したがって不安は信仰の欠如の証拠なのではなく、すでに与えられているこの賜物を思い出すようにという呼びかけなのです。聖書でテモテ第二1章7節を読む

重荷を下ろす

13. マタイ11章28節

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」

イエスは、あらかじめ何かを満たす条件を課すことなく、疲れた者、重荷を負う者「すべて」に語りかけておられます。ここで約束されている休みは一時的な休憩ではなく、重荷を抱えたままイエスのもとに来るようにという招きです。感情的あるいは霊的な重荷がひとりで背負うには重すぎるものになってしまった人にとって、この節は中心的な意味を持ちます。聖書でマタイ11章28節を読む

14. ペテロ第一5章7節

「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」

ペテロは、神の前にへりくだることと、思い煩いを神にゆだねることを、ひと続きのこととして結びつけています。「ゆだねる」という言葉は、いつまでもひとりで背負い続ける重荷ではなく、下ろすべき荷物であることを示しています。その理由はシンプルかつ十分なものです。神ご自身があなたを、一人の人格として顧みてくださるからです。聖書でペテロ第一5章7節を読む

15. 詩篇55篇22節

「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。」

ダビデは、信頼していた身近な人に裏切られるという深い苦しみの中でこの詩篇を記しました。それでも彼は、状況に押しつぶされるのではなく、自分の身の上を主にゆだねることを選びます。続く約束、「主はあなたを支えられる」は、すべてが揺らいでいるように感じられる試練を通っているすべての人に向けられています。聖書で詩篇55篇22節を読む

16. 詩篇94篇19節

「わたしのうちに思い煩いの満ちるとき、あなたの慰めはわが魂を喜ばせます。」

この節は、ストレスという経験を的確に描写しています。心の内側で、必ずしも止めることのできない多くの思いが渦巻く様子です。詩人はこの内なる混乱を否定するのではなく、魂を喜ばせる神の慰めを受け取ったことを証しします。これは、心の乱れを認めたうえで、その後に安らぎを受け取るという、率直な祈りです。聖書で詩篇94篇19節を読む

安らぎを取り戻す

17. 詩篇4篇8節

「わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。」

この節は、詩篇の前半で語られる厳しい状況にもかかわらず、穏やかな眠りと、神だけが与えてくださる安全とを結びつけています。ストレスはしばしば人から休息を奪いますが、ここでは主への信頼こそが、安らかに眠りにつくための条件となっています。安心をもたらすのは危険が存在しないことではなく、見守っていてくださる神の臨在なのです。聖書で詩篇4篇8節を読む

18. 詩篇56篇3節

「わたしが恐れるときは、あなたに寄り頼みます。」

ダビデは、敵の手の中に置かれるという客観的に恐ろしい状況の中でこの詩篇を作りました。彼は「わたしが恐れるとき」という恐れそのものを否定してはいません。しかしそれに対して、神に寄り頼むという意図的な選択で応えます。こうして恐れと信頼はひととき共存しながらも、やがて信頼が少しずつ勝っていくのです。聖書で詩篇56篇3節を読む

19. 詩篇34篇4節

「わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された。」

この詩篇は個人的な証しです。ダビデは、主を求めたところ、自分のすべての恐れから、一つの例外もなく救い出されたと語っています。過去形で語られているこの動詞は、今ある恐れについても同じような結末を期待させてくれます。すぐに解決策を求めるよりも、まず神を求めること。それがここで示されている最初の一歩です。聖書で詩篇34篇4節を読む

20. ローマ8章28節

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」

パウロは、起こることすべてがそれ自体で良いものだと約束しているのではありません。神を愛する者たちのために、神がすべてのことを働かせて益としてくださる、と約束しているのです。この視点は、目の前のストレスを超えて、今の困難だけにとどまらない、より大きな計画へと視野を広げてくれます。それは試練そのものをなくすわけではありませんが、試練に確かな意味を与えてくれるのです。聖書でローマ8章28節を読む

よくある質問

不安は信仰の欠如のしるしなのでしょうか。
いいえ、そうではありません。聖書は、ダビデ、ヨシュア、弟子たちといった信仰の人々もまた、恐れや不安に襲われていたことを示しています。聖書はこうした感情を非難するのではなく、それをひとりで抱え込むのではなく神の前に差し出すようにと勧めています。

これらの聖書の言葉を、日々のストレスに対して具体的にどう用いればよいのでしょうか。
一日にひとつを選んで黙想し、暗唱してみましょう。それを一人称に置き換えて、短い祈りとして口にするのもよい方法です。不安が高まったとき、眠りにつく前、あるいは難しい決断を下す前にその言葉を読み返すことで、少しずつ心の中に根づいていきます。

祈りは、不安が長引く場合の専門的なサポートに代わるものなのでしょうか。
いいえ、そうではありません。御言葉の黙想と祈りは心を落ち着かせ、力を与えてくれますが、慢性的であったり生活に支障をきたしたりする不安には、牧会的、あるいは専門的な適切なサポートも必要です。この二つは互いを排除するものではなく、補い合うものです。

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