はじめに
癒しは聖書の中心的なテーマの一つです。聖書の中で神は、体を癒し、砕かれた心を包み、ご自身に望みを置く者に完全な回復を約束するお方として示されています。ここでは、癒しに関する25の聖書箇所を口語訳から一言一句そのまま引用し、次の五つのテーマに分けてご紹介します。すなわち、癒し主なる主の約束、砕かれた心の癒し、体と魂を癒すイエス、信仰と祈りによる癒し、そして将来の完全な回復の約束です。それぞれの参照箇所はBibleGatewayの全文リンクにつながっており、文脈の中で各聖句をじっくり読み、静かに黙想することができます。
癒し主なる主 ― その御名とその約束
神は体を癒す前に、まずご自身の御名によってご自身を現されます。それは「癒す方」という御名です。これらの聖句は、他のすべての聖句の土台となるものです。癒しは偶然の出来事ではなく、神のご性質そのものに属しているのです。
1. 出エジプト記 15章26節
「言われた、「あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、わたしは、かつてエジプトびとに下した病を一つもあなたに下さないであろう。わたしは主であって、あなたをいやすものである」。」
イスラエルは紅海を渡ったばかりで、荒野で初めて、癒し主として自らを現される神と出会います。ここで神は、癒しをご自身の御名に結びつけ、契約の約束とされました。聖書で出エジプト記15章26節を読む。
2. エレミヤ書 30章17節
「主は言われる、わたしはあなたの健康を回復させ、あなたの傷をいやす。それは、人があなたを捨てられた者とよび、『だれも心に留めないシオン』というからである。」
エレミヤは、もはや誰も気にかけないと言われる傷ついた町シオンに、この約束を告げます。神はご自分で、人々が見捨てたものを包むと約束されます。聖書でエレミヤ書30章17節を読む。
3. エレミヤ書 17章14節
「主よ、わたしをいやしてください、そうすれば、わたしはいえます。わたしをお救いください、そうすれば、わたしは救われます。あなたはわたしのほめたたえる者だからです。」
預言者自身が、この癒しを完全なものにできるのは神だけであると認めて、自らの癒しのために祈っています。この聖句は、約束を自分自身の祈りへと変えるよう招いています。聖書でエレミヤ書17章14節を読む。
4. マラキ書 4章2節
「しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。」
旧約聖書最後の預言者は、この光に満ちたイメージで締めくくります。癒しは、義の太陽の上りとともに来るのです。これは、落胆した世代の中で神を恐れる者たちに向けられた、未来への約束です。聖書でマラキ書4章2節を読む。
5. 詩篇 107篇20節
「そのみ言葉をつかわして、彼らをいやし、彼らを滅びから助け出された。」
この詩篇は、民が経験したいくつもの苦難を語り、それぞれが叫びと救出とで締めくくられています。ここでは、神ご自身の御言葉こそが癒しの道具となっています。聖書で詩篇107篇20節を読む。
砕かれた心の癒し
聖書は癒しを体だけに限定することは決してありません。これらの聖句は、疲れた魂、砕かれた心、打ちひしがれた霊について、またそのようなときに神が近くにおられることについて語っています。
6. 詩篇 34篇18節
「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。」
ダビデは、恐れと屈辱を経験した大きな危機の後にこの詩篇を書きました。彼はそこから、神の近さが内的な苦しみの中でこそ最も確かに感じられることを学びました。聖書で詩篇34篇18節を読む。
7. 詩篇 147篇3節
「主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる。」
この詩篇は、創造に対する神の力を賛美した直後に、砕かれた心への神の優しさを思い起こさせます。星の数を数えるその同じ御手が、最も内密な傷をも包んでくださるのです。聖書で詩篇147篇3節を読む。
8. 詩篇 6篇2節
「主よ、わたしをあわれんでください。わたしは弱り衰えています。主よ、わたしをいやしてください。わたしの骨は悩み苦しんでいます。」
ダビデは、体と魂の両方に及ぶ疲労困憊の中からここで祈っています。この叫びは、飾らない言葉で、ただ自分の弱さを訴えるだけでも、神に癒しを求めることができることを示しています。聖書で詩篇6篇2節を読む。
9. 詩篇 41篇4節
「わたしは言った、「主よ、わたしをあわれみ、わたしをいやしてください。わたしはあなたにむかって罪を犯しました」と。」
この詩篇では、ダビデの病は、神の前での自らの心の点検を伴っています。ここでは魂の癒しが、体の癒しに先立つ前提として求められています。聖書で詩篇41篇4節を読む。
10. イザヤ書 61章1節
「主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、」
イザヤはここで、最も打ちひしがれた人々に良い知らせを伝えるために油を注がれた、神の遣わされる者の使命を告げています。イエスは後に、ナザレの会堂でこの箇所を朗読し、これをご自身のものとされます。聖書でイザヤ書61章1節を読む。
体と魂を癒すイエス
福音書は、多くの場合誰からも忘れられていた病人たちの前で、イエスが絶えず足を止められる姿を描いています。これらの聖句は、イエスの十字架と、昔も今も変わらずイエスが与えてくださる癒しとを結びつけています。
11. イザヤ書 53章5節
「しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」
イザヤは、すぐには認められることのない民の代わりに傷つけられる、苦しむ僕の姿をあらかじめ描いています。この聖句は、その僕の苦しみと、彼のために苦しみを受けた人々の癒しとを、初めて結びつけるものです。聖書でイザヤ書53章5節を読む。
12. マタイの福音書 8章17節
「これは、預言者イザヤによって「彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた」と言われた言葉が成就するためである。」
マタイは、イエスの前に連れて来られた多くの病人をイエスが癒された、ある晩の出来事の直後にこれを記しています。この福音書記者は、これらの癒しの中に、イザヤの預言の具体的な成就を見ています。聖書でマタイの福音書8章17節を読む。
13. マルコの福音書 5章34節
「イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。」
十二年間病気であった女性が、群衆の中でひそかにイエスの衣に触れました。イエスは彼女を匿名のままにせず、人々の前で平安と癒しの言葉をかけられました。聖書でマルコの福音書5章34節を読む。
14. ルカの福音書 4章18節
「「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、」
イエスは故郷の町の会堂でこのイザヤの箇所を朗読し、この日、人々の目の前でこれが成就したと宣言されます。こうしてイエスは、体と心の両方に及ぶ包括的な癒しの使命として、ご自身の使命を定義されます。聖書でルカの福音書4章18節を読む。
15. ヨハネの福音書 5章6節
「イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。」
ある男は、癒しの力があると評判の池のそばで三十八年間待ち続けていましたが、一度もその時に間に合って池に入ることができませんでした。イエスの問いかけは、癒しがまず、イエスの前であえて言い表す願いから始まることを思い起こさせます。聖書でヨハネの福音書5章6節を読む。
信仰と祈りによる癒し
イエスの復活の後、弟子たちはイエスの御名によって、信仰と祈りを通して癒しを行い続けました。これらの聖句は、弱さの中にあってもなお神の力に拠り頼むことを学んでいく教会の姿を示しています。
16. 使徒行伝 3章6節
「ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。」
ペテロとヨハネは、宮の前で物乞いをしている、生まれつき足の不自由な男に出会います。二人は物質的には何も与えるものを持っていませんでしたが、イエスの御名によって、それよりもはるかに大きなものを彼に与えました。聖書で使徒行伝3章6節を読む。
17. ヤコブの手紙 5章15節
「信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。」
ヤコブはここで、教会に対して具体的な指示を与えています。すなわち、長老たちを招いて病人のために祈ってもらうことです。癒しは、一人だけの孤立した祈りではなく、共同体によって捧げられる祈りの実りとして示されています。聖書でヤコブの手紙5章15節を読む。
18. ペテロの第一の手紙 2章24節
「さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。」
ペテロは、信仰のゆえに実際の苦しみを経験している、離散した信者たちに宛てて書いています。彼は、イザヤ書53章と同じように、彼らの癒しを、十字架上のキリストの傷と結びつけています。聖書でペテロの第一の手紙2章24節を読む。
19. ローマ人への手紙 8章11節
「もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。」
パウロはここで、なお死ぬべきもろい体を担っている信者たちに、御霊によって与えられる新しい命について語っています。この約束は、それなしにはどんな癒しも完全にはならない、終わりの日の復活へと目を向けさせます。聖書でローマ人への手紙8章11節を読む。
20. コリント人への第二の手紙 12章9節
「ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」
パウロは、持病ともいえる肉体の試練を取り除いてくださるよう、三度神に求めましたが、それはかないませんでした。この神の答えは、癒しが時として、即座の解放ではなく、十分な恵みという形を取ることがあることを示しています。聖書でコリント人への第二の手紙12章9節を読む。
完全な回復の約束
聖書は最終的に、その日その日の癒しよりもさらに先を見つめます。それは、一人ひとりのためだけでなく、創造全体のための完全な回復を約束しています。
21. 詩篇 30篇3節
「主よ、あなたはわたしの魂を陰府からひきあげ、墓に下る者のうちから、わたしを生き返らせてくださいました。」
ダビデは、立ち直れないと思うほどの重い試練を通り抜けた後、この歌を作りました。彼はそこから、文字通り自分を生き返らせてくれた癒しへの賛美を捧げています。聖書で詩篇30篇3節を読む。
22. イザヤ書 58章8節
「そうすれば、あなたの光が暁のようにあらわれ出て、あなたは、すみやかにいやされ、あなたの義はあなたの前に行き、主の栄光はあなたのしんがりとなる。」
イザヤは、断食と最も貧しい者への正義を新たに見いだしつつある民に、この約束を語りかけています。ここで約束されている癒しは、神と他者に向けられた生き方の結果として芽生えるものです。聖書でイザヤ書58章8節を読む。
23. ヨエル書 2章25節
「わたしがあなたがたに送った大軍、すなわち群がるいなご、とびいなご、滅ぼすいなご、かみ食らういなごの食った年を わたしはあなたがたに償う。」
ヨエルは、通り過ぎた跡のすべてを食い尽くしたいなごの大群を経験したばかりの民に語りかけています。神はここで、収穫だけでなく、まるで失われなかったかのように、その年月そのものを回復すると約束しておられます。聖書でヨエル書2章25節を読む。
24. ヨハネの黙示録 21章4節
「人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。」
ヨハネはここで、神がついにご自分の民と共に完全に住まわれる新しい都を描いています。これは究極の約束です。すなわち、痛みそのものが消え去るゆえに、もはや癒しを求める必要すらない世界です。聖書でヨハネの黙示録21章4節を読む。
25. ヨハネの黙示録 22章2節
「都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。」
聖書の最後のこの幻は、その葉が今もなお癒しのために用いられる命の木を描いています。今度はその癒しが、諸国民全体という規模で及びます。これは、出エジプト記15章26節で聖書が開いたのと同じ約束、すなわち「神は癒される」という約束をもって聖書を締めくくる、希望のイメージです。聖書でヨハネの黙示録22章2節を読む。
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よくある質問
聖書は体の癒しについて何と語っていますか。
聖書は、出エジプト記15章26節から福音書に描かれるイエスの癒しに至るまで、神を体を癒す方として示しています。イエスは深い憐れみから病人を癒され(マルコの福音書5章34節、ヨハネの福音書5章6節)、教会は祈りを通してこの働きを続けています(ヤコブの手紙5章15節、使徒行伝3章6節)。体の癒しは自動的なものでも魔法のようなものでもありません。パウロ自身も癒されなかった試練を経験し、それに対して神は恵みをもって応えられました(コリント人への第二の手紙12章9節)。
聖書は内面の癒しと砕かれた心について何と語っていますか。
いくつもの詩篇が、主は砕かれた心に近く、打ちひしがれた霊を持つ者を癒されると告げています(詩篇34篇18節、詩篇147篇3節)。イザヤは、まさにこれらの心を癒すために神の遣わされる者が来ることを告げ知らせており(イザヤ書61章1節)、この使命はナザレでイエスご自身によって引き継がれます(ルカの福音書4章18節)。内面の癒しは多くの場合、詩篇6篇2節のダビデの祈りのような、飾らない正直な祈りを通して訪れます。
これらの聖句を黙想と祈りにどのように用いればよいですか。
一日に一節を選び、BibleGatewayのリンクを通してその文脈の中でゆっくりと読み、エレミヤ書17章14節でしているように、それを自分自身の祈りとして言い換えてみるとよいでしょう。暗唱のためには、詩篇107篇20節ヨハネの福音書5章6節のような短い聖句から始め、それから長い箇所に取り組むとよいでしょう。これらの聖句は、ヤコブの手紙5章15節にならって、大勢で共に祈ることもできます。
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