聖書 — 口語訳 (1955)

使徒行伝 3

概要

使徒行伝3章は、ペンテコステのあと、使徒たちが公に行った最初のいやしを伝えます。ペテロとヨハネは祈りのために宮に上り、生まれながら足の不自由な物乞いの男に出会います。ペテロには金も銀もありませんが、イエスの名によって立ち上がるよう命じます。人々は驚いて駆け集まります。ペテロはこの機会に、無知のために退けられたけれども神が定めておられたイエスを宣べ伝え、一人ひとりに悔い改めを呼びかけます。力は人からではなく、イエスの名から来ることをこの章は示しています。

この章の4つの区分

  1. 1-10節足の不自由な物乞いが「美しの門」で立ち上がる
  2. 11-16節ペテロの説明:働いたのはイエスの名
  3. 17-21節悔い改めなさい:慰めの時が来る
  4. 22-26節預言された方と、すべての民への祝福

1さて、ペテロとヨハネとが、午後三時の祈のときに宮に上ろうとしていると、

2生れながら足のきかない男が、かかえられてきた。この男は、宮もうでに来る人々に施しをこうため、毎日、「美しの門」と呼ばれる宮の門のところに、置かれていた者である。

3彼は、ペテロとヨハネとが、宮にはいって行こうとしているのを見て、施しをこうた。

4ペテロとヨハネとは彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。

5彼は何かもらえるのだろうと期待して、ふたりに注目していると、

6ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。

7こう言って彼の右手を取って起してやると、足と、くるぶしとが、立ちどころに強くなって、

8踊りあがって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神をさんびしながら、彼らと共に宮にはいって行った。

9民衆はみな、彼が歩き回り、また神をさんびしているのを見、

10これが宮の「美しの門」のそばにすわって、施しをこうていた者であると知り、彼の身に起ったことについて、驚き怪しんだ。

11彼がなおもペテロとヨハネとにつきまとっているとき、人々は皆ひどく驚いて、「ソロモンの廊」と呼ばれる柱廊にいた彼らのところに駆け集まってきた。

12ペテロはこれを見て、人々にむかって言った、「イスラエルの人たちよ、なぜこの事を不思議に思うのか。また、わたしたちが自分の力や信心で、あの人を歩かせたかのように、なぜわたしたちを見つめているのか。

13アブラハム、イサク、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光を賜わったのであるが、あなたがたは、このイエスを引き渡し、ピラトがゆるすことに決めていたのに、それを彼の面前で拒んだ。

14あなたがたは、この聖なる正しいかたを拒んで、人殺しの男をゆるすように要求し、

15いのちの君を殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死人の中から、よみがえらせた。わたしたちは、その事の証人である。

16そして、イエスの名が、それを信じる信仰のゆえに、あなたがたのいま見て知っているこの人を、強くしたのであり、イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で、このとおり完全にいやしたのである。

17さて、兄弟たちよ、あなたがたは知らずにあのような事をしたのであり、あなたがたの指導者たちとても同様であったことは わたしにわかっている。

18神はあらゆる預言者の口をとおして、キリストの受難を予告しておられたが、それをこのように成就なさったのである。

19だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。

20それは、主のみ前から慰めの時がきて、あなたがたのためにあらかじめ定めてあったキリストなるイエスを、神がつかわして下さるためである。

21このイエスは、神が聖なる預言者たちの口をとおして、昔から預言しておられた万物更新の時まで、天にとどめておかれねばならなかった。

22モーセは言った、『主なる神は、わたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟の中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう。その預言者があなたがたに語ることには、ことごとく聞きしたがいなさい。

23彼に聞きしたがわない者は、みな民の中から滅ぼし去られるであろう』。

24サムエルをはじめ、その後つづいて語ったほどの預言者はみな、この時のことを予告した。

25あなたがたは預言者の子であり、神があなたがたの先祖たちと結ばれた契約の子である。神はアブラハムに対して、『地上の諸民族は、あなたの子孫によって祝福を受けるであろう』と仰せられた。

26神がまずあなたがたのために、その僕を立てて、おつかわしになったのは、あなたがたひとりびとりを、悪から立ちかえらせて、祝福にあずからせるためなのである」。

鍵となる聖句

6節
ペテロが言った、「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」。

ペテロは、男が求めるものを自分は何も持っていないと認めますが、それよりはるかに大きなもの、イエス・キリストの名の力を与えます。教会が差し出すのは富ではなく、イエスご自身です。

12節
ペテロはこれを見て、人々にむかって言った、「イスラエルの人たちよ、なぜこの事を不思議に思うのか。また、わたしたちが自分の力や信心で、あの人を歩かせたかのように、なぜわたしたちを見つめているのか。

ペテロは栄光を受けることを拒みます。人々の目を自分たちからイエスへ向けさせる姿は、奉仕の模範であり続けています。働かれたのは神であって、使徒たちではありません。

16節
そして、イエスの名が、それを信じる信仰のゆえに、あなたがたのいま見て知っているこの人を、強くしたのであり、イエスによる信仰が、彼をあなたがた一同の前で、このとおり完全にいやしたのである。

いやしは、イエスの名により、イエスによる信仰のゆえに起こったと語られています。聖書は、イエスの名の力と、イエスに置く信頼を結びつけています。

19節
だから、自分の罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて本心に立ちかえりなさい。

ペテロは、罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて立ちかえるよう呼びかけます。悔い改めは向きを変えることであり、主のみ前からの慰めの時へと開かれていきます。

25-26節
あなたがたは預言者の子であり、神があなたがたの先祖たちと結ばれた契約の子である。神はアブラハムに対して、『地上の諸民族は、あなたの子孫によって祝福を受けるであろう』と仰せられた。 神がまずあなたがたのために、その僕を立てて、おつかわしになったのは、あなたがたひとりびとりを、悪から立ちかえらせて、祝福にあずからせるためなのである」。

ペテロはアブラハムへの約束を思い起こさせます。地上の諸民族は祝福を受けます。その祝福は、ひとりびとりを悪から立ちかえらせるために遣わされたイエスを通して届けられます。

説教が語っていること

使徒行伝3章についてよくある質問

使徒行伝3章6節「わたしにあるものをあげよう」はどういう意味ですか

ペテロは物乞いの男に与えるお金を持っていませんでしたが、もっと大きなもの、イエス・キリストの名の権威を受けていました。自分の持ち物を渡すのではなく、イエスが自分を通してなさることを差し出したのです。この箇所は、教会の使命が自分たちの手段ではなく、イエスの臨在に支えられていることを教えています。

「美しの門」の足の不自由な男とはどんな人ですか

生まれながら足がきかず、物乞いのために毎日宮の入り口に運ばれていた男です。多くの人が彼を知っていました。その男が歩き、神をさんびする姿を見て、人々は並外れたことが起きたと悟り、ペテロがイエスを宣べ伝える機会となりました。

使徒行伝3章19節の「慰めの時」とは何ですか

ペテロは、悔い改める人には、罪がぬぐい去られたあと、主のみ前から慰めの時が来ると約束しています。神から来る霊的ないこいを語る言葉です。信仰者は、これを罪のゆるし、御霊の働き、キリストの再臨の望みと結びつけて理解しますが、その強調点は教派によって異なります。

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