はじめに
心がすり減って、肩に重荷を背負ったまま礼拝にやって来る日曜日がありますね。自分はちっぽけで、自分の信仰はあまりにも弱いと感じる、そんな日です。そして、まさにそこにこそ神様は寄り添ってくださいます。夏に葉から水分を失ってしまった木のように、あなたも主の生ける水によって新しくされる必要があります。良い知らせはこれです。あなたが自分を弱いと感じるまさにその場所で、神様は信仰によってあなたを強くしてくださるのです。あなたの弱さは妨げではありません。むしろ、そこに神様の力が現れる場所となるのです。
このメッセージが語るのは、再建、解放、そして一番最初に、最後にではなく差し出す祈り、さらに嵐の真っただ中でイエス様を見つめる勇気を持つ信仰です。あなたも神様に自分を彫り整えていただきましょう。最初は荒削りな石でも、最後には磨かれ祝福された石になります。そして、神様の御心があなたの人生に置かれるとき、それは善いもの、喜ばれるもの、完全なものだと信じましょう。
この記事の構成
1. 神様が彫り整えてくださる荒削りの石
出発点となる聖句はヨシュア記 8:30-32です。カナンの征服の後、ヨシュアはエバル山で主のために祭壇を築きます。「鉄の道具を当てていない、自然のままの石の祭壇」です。そして彼はこの石の上にモーセの律法を刻みます。
あなたと私も、この荒削りの石のような存在です。人生の早い時期に、いろいろなことが刻み込まれてきました。受け取った言葉、傷、嘘、自分自身についての誤ったイメージ。その多くは神様から来たものではなく、あなたが自由になることを妨げています。けれども主は、あなたの人生にご自分の言葉を刻みたいと願っておられます。石を彫り整えるのは主ご自身です。ご存じでしょうか。川辺では、鋭くとがった石が、年月をかけて滑らかで丸い形になり、水切り遊びに使われるような石になります。それは二日で起こることではありません。水の摩擦によって、年月をかけて起こることです。神様はあなたを形づくるのに、ご自分の時間をかけてくださいます。あなたを磨き、ご自分の律法をあなたの内に刻み、あなたを役に立つ石としてくださるのです。
2. エリコとアイ:勝利を決めるのは祈り
ヨシュアの二つの戦いを見てみましょう。エリコでは、民は祈り、神様の戦略を受け取り、城壁の周りを回り、ラッパを吹き鳴らしました。すると城壁は崩れ落ちました。それは無謀に見えたかもしれませんが、神様はその要塞の土台の弱さをご存じでした。主は、あなたの前にある要塞の弱さを、ちゃんとご存じなのです。
一方アイでは、まさに「ああ、アイ、なんてことだ」と言いたくなるように、民は神様の戦略を求めて祈りませんでした。結果は敗北でした。これは些細なことではありません。私たちの人生について、とても大切なことを語っています。勝利か敗北かは、しばしば戦いの前、祈りの秘密の場所で決まっているのです。
説教者は同じ朝に見た二つの映像を語ります。スイスでは、アルプスのある男性が雨が降る前に干し草を集めようとしています。彼は急いで、急いで、そしてついにこうため息をつきます。「もう祈るしかない。」雨が降ります。祈りは最後にやって来たのです。ブラジルでは、海辺で漁師たちが魚を待っています。村の一人のおばあさんが小屋に上がって祈ります。「主よ、豊かな漁を送ってください。祝福を送ってください。」数分後、網は魚でいっぱいになります。もう一艘の船が必要です。買い付け業者もやって来ます。誰もが魚を持ち帰ります。祈りは一番最初にやって来たのです。
あなたは一日の中で、祈りをどこに置いていますか。
3. 祈り:神様との交わりであり、力の源
祈るとは、暗唱することではありません。祈りとは神様との交わりであり、双方向のコミュニケーションです。もしあなたが神様の声に耳を傾けないなら、先生に質問をしておきながら、答えを聞く前に教室を出て行く生徒のようなものです。祈って、そして待ちましょう。祈って、そして耳を傾けましょう。主はきっと答えてくださいます。
祈りはクリスチャンの力の源です。祈りが多ければ力も多く、祈りが少なければ力も少なくなります。祈りはあなたの視野を明るくし、あなたの心を落ち着かせ、あなたの信仰を働かせます。「主よ、私には信仰が足りません」と言うとき、祈ってください。すると主はあなたを信仰で満たしてくださいます。祈りはあなたを神様の御国の中で前進させ、闇の国を後退させます。
主の祈りは、とてもシンプルにこう言っています(マタイ 6:9-13)。「御心が天で行われるように、地でも行われますように。」ここが転換点です。神様の御心を受け入れるとは、たとえ理解できなくても、それが善いものだと認めることなのです。
4. 信仰によって勝利する:目をイエス様に向けて
「こういうわけで、わたしたちも、このように多くの証人たちに、雲のように囲まれているからには、あらゆる重荷とまつわりつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではないか。信仰の創始者また完成者であるイエスを仰ぎ見つつ」(ヘブル人への手紙 12:1-3)。
あなたが自分の現実だけを見つめているなら、目はイエス様に向いていません。信仰によって勝利するとは、たとえ暗闇の中にあっても、イエス様に目を向け続けることです。夜明け前に漁に出る漁師のように。あたりは真っ暗で何も見えませんが、朝はすぐそこまで来ていて、光が差し込み、自然が目を覚まし始めます。もしあなたが今、真夜中の只中にいるとしても、朝が来ることを知っていてください。奇跡は、昨日よりも近づいています。
信仰は筋肉のようなものでもあります。使うことで鍛えられるのです。だからこそ、あなたは集会に来て、外出できないときにはオンラインで礼拝を聴き、そこに参加しようと努力するのです。ともにいるとき、あなたの信仰と神様の霊は強められていきます。イエス様も繰り返しこう言われました。「あなたの信仰があなたを癒やした。」
5. 再建の前の解体
ローマ人への手紙 12:2にはこうあります。「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心の一新によって、造り変えられていただきなさい。そうすれば、あなたがたは何が神様の御心か、すなわち何が良いことで、神様に喜ばれ、完全であるかを見分けることができるようになります。」
造り変えられるとは、まず解体することを受け入れることです。怒り、苦い思い、受け取った言葉、神様から来たものではない教えを取り除くことです。取り壊し工事の現場を通りかかると、すべてを壊しているのに、一つだけ美しい扉を残していることがあります。神様もすべてを壊すわけではありません。あなたが自由を受け取るのを妨げているものだけを取り除いてくださるのです。恐れないでください。神様はあなたを裁いてはいません。愛をもって、神様がすべての場所を占めるために何を手放すべきかを示してくださっているのです。
そして、再建がやって来ます。ローマ人への手紙 13:11-12。「今がどんな時であるかを、よくわきまえているのですから、あなたがたはもう眠りからさめるべき時です。今は、私たちが信じた初めのころよりも、救いが私たちに一層近づいているのです。夜はふけて、昼が近づいています。それゆえ、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を身に着けようではありませんか。」
6. すべてのことは益となる:嵐の真っただ中で歌う
ローマ人への手紙 8:28。「神を愛する人々、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」すべてのことです。パウロとシラスは牢の中にいました。彼らは何をしたでしょうか。歌ったのです。すると主は扉を開かれました。ペテロにも同じことが起こりました。もしあなたが今日、悲しみや苦い思い、あなたを押しつぶすような状況という牢の中にいるとしても、知っておいてください。すべてのことが、あなたの益となるのです。あなたはこの状況の真っただ中で成長していきます。あなたとともにあるのは、勝利の霊であって、敗北の霊ではありません。
今週、ある兄弟が、大切な人のために祈っていた誰かにこう言いました。「これまであなたは悲しみの中でこの戦いを戦ってきました。今度は、喜びの中でそれを戦いましょう。」健康のため、家族のため、家計のために祈るとき、不安からではなく、主がすでにあなたとともにいてくださるという喜びから祈ってください。
7. 悪魔に立ち向かう:勝利はすぐそこに
ヤコブの手紙 4:7。「ですから、神に従いなさい。悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」悪魔が逃げ去るとき、あなたの前には、あなたのために用意された祝福という空いた場所が残ります。もし落胆や恐れを感じるとしても、それは敗北のしるしではありません。むしろ多くの場合、奇跡がすぐそこに近づいているしるしです。敵は、あなたが受け取る直前に、最後の力を振り絞ってくるものなのです。
ですから、不安を手放しましょう。死の霊を手放しましょう。悲しみを手放しましょう。苦い思いを手放しましょう。イエス様ご自身がこう言われます。「わたしは、だれをもさばかない。」あなたを裁く言葉は、ごみ箱に捨てて、イエス・キリストの血で自分を洗いましょう。
8. もっと大きなことを行おう:子どものような心で
イエス様はこう言われました。「あなたがたは、もっと大きなわざを行うようになる。」ペテロとヨハネが「美しの門」と呼ばれる神殿の門の前に立ったときのことを思い出してください(使徒の働き 3章)。ペテロは足の不自由な男に言いました。「金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい。」そして彼の右手を取って立ち上がらせました。この人はすでに癒やされていましたが、座ったままでした。彼を立ち上がらせる手が必要だったのです。もしかすると、あなたもすでに癒やされているのに、座ったままなのかもしれません。主は、あなたに立ち上がるように呼びかけておられます。
この大胆な信仰は、子どものような心に似ています。ある教会学校の小さな男の子が先生にこう頼みました。「二つのことを祈ってほしいんだ。ハムスターが欲しい。それからパパが欲しい。」皆で祈りました。数か月後、この子のお母さんが結婚し、男の子にはパパができました。彼にとって、それはごく当たり前のことでした。願って、受け取っただけのことだったのです。子どもたちは、神様に「そんな力があるかどうか」を疑ったりしません。あなたも、この単純さに立ち返ってください。不可能に見えることのために祈りましょう。
9. 希望の神があなたを喜びと平安で満たしてくださる
このメッセージはローマ人への手紙 15:13で締めくくられます。「あなたがたが聖霊の力によって、希望にあふれさせられるために、望みの神が、信仰によるすべての喜びと平安とを、あなたがたに満たしてくださいますように。」あなたを導き、慰め、強めてくださるのは聖霊です。嵐の真っただ中でも歌い続けましょう。嵐がやんでも、空の鳥たちは、まだあなたの栄光の歌を聞いているのです。こうして、あなたの弱さは強められます。それは、すべてに勝る方の御手に委ねられるからです。
覚えておきたいポイント
- あなたの石は荒削り、そして神様がそれを彫り整えてくださいます。今の自分に押しつぶされないでください。主にご自分の言葉をあなたの内に刻んでいただきましょう。
- 勝利を決めるのは祈りです。祈りを最後ではなく、最初に置きましょう。エリコとアイ、それがあなたの一日を表しています。
- 勝利とは、イエス様に目を向けることです。ヘブル人への手紙12章は、恐れではなく、イエス様を見つめながら走るようにと招いています。
- 再建の前に解体を。あなたを縛っていたものが崩れてこそ、光が入ってきます(ローマ 12:2、13:11-12)。
- すべてはあなたの益となります。喜びをもって祈り、嵐の中で歌い、悪魔に立ち向かいましょう。勝利はすぐそこです。
- 子どものような心を取り戻しましょう。不可能なことを願う勇気を持ち、立ち上がりましょう。奇跡はもう始まっています。
自分への適用
- 受け取った言葉、自分自身についての誤ったイメージ、信じ込んでいた嘘など、どんな古い「刻み」を、神様に消していただき、代わりにご自分の言葉を刻んでいただく必要がありますか。
- 今週、あなたは祈りを最初に置きますか、それとも最後に置きますか。明日の朝から、行動する前に祈るために、どんな具体的な時間を確保できますか。
- 今の状況の中で、あなたの目はどこに向いていますか。自分の現実に、診断結果に、それともイエス様にですか。今日、イエス様を見つめるために、何を手放したいですか。
- あなたが「癒やされているのに座ったまま」という領域はありませんか。誰があなたの手を取って立ち上がらせてくれるでしょうか。そして、あなたの周りで、誰があなたが手を差し伸べてくれるのを待っているでしょうか。
- あなたがもう自分に許していない「子どものような」祈りはありますか。今週、シンプルにそれを神様に言い表す勇気を持ちましょう。
引用された聖句
- ヨシュア記 8:30-32
- マタイ 6:9-13
- ヘブル人への手紙 12:1-3
- ローマ人への手紙 12:2
- ローマ人への手紙 13:11-12
- ローマ人への手紙 8:28
- ヤコブの手紙 4:7
- 使徒の働き 3章
- ローマ人への手紙 15:13
よくある質問
「弱いままで強められる」とはどういう意味ですか。
これは、あなたの弱さが神様の力の妨げではなく、むしろしばしばその出発点となる、という意味です。あなたが自分の小ささを認め、自分の状況をイエス様の前に差し出すとき、力を発揮するのは神様の力なのです。信仰によって勝利するとは、目に見える前にそれを信じることです。
自分が祈りを「最初」に置いているか「最後」に置いているか、どう見分ければよいですか。
自分の一日を振り返ってみてください。決断の前、戦いの前、人と会う前に祈っていますか、それともすべてが行き詰まったときだけ祈っていますか。エリコとアイの話は、この対比をよく表しています。最初に祈ることは神様の戦略への扉を開き、最後に祈ることは多くの場合、倒れた後の助けを求める叫びにすぎません。
祈っていても何も感じられないときは、どうすればよいですか。
そのまま続けてください。信仰は感覚に頼るものではなく、一人の方、イエス様に頼るものです。夜が明ける直前が一番暗いように、あなたの落胆は、勝利がすぐそこにあるしるしかもしれません。悪魔に立ち向かい、嵐の中でも歌い、ローマ人への手紙15章13節が実現するのを待ちましょう。希望の神が、信仰によるすべての喜びと平安であなたを満たしてくださいます。
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