はじめに
盗まれたものをまだ身にまとったまま、朝を迎えることがあります。喜び、平安、希望、そしてかつて持っていた信仰さえも。ゼカリヤ書3章の大祭司ヨシュアのように、あなたも汚れた衣を着たまま立っているかもしれません。長年の疲れ、人生に奪われてきたものの跡が刻まれた衣です。マルセイユのCCNVで語られたこのメッセージは、シンプルな良い知らせを思い出させてくれます。神様はあなたを見放してはいません。古い衣を脱がせて、新しい衣を着せたいと願っておられるのです。新しい時、新しい始まりです。神様はまず「準備ができた」と感じることを求めておられません。ただ、信じて、立ち上がり、着せていただくことを求めておられます。
メッセージの構成
1. 奪われたものに気づく
- 説教者は礼拝の冒頭で、会衆に「敵の陣営」へ行って、奪われたすべてのもの、すなわち喜び、平安、希望、一致、繁栄を取り戻すよう招きます。
- 足りないものに名前をつけること、それ自体がすでに諦めにとどまることを拒む行為です。もう期待しなくなったものは、やがて消えてしまいます。
- 古い衣とは、気づかないうちに身につけているものでもあります。自分について繰り返し口にする言葉、「私にはできない」という思い、いまだに自分を定義してしまう失敗の数々です。
- 神様は祝福、癒やし、解放のある場所に立っておられます。問題は、今朝あなたがそこへ行きたいかどうかです。
2. 信仰とは、見る前に持ち続けること
- 「信仰とは、まだ見ていないものを望むことです。」説教者はヘブル人への手紙11章を引用し、「まだ持っていないのに、すでに持っている」ことができると語ります。
- 自身の証しを分かち合います。神様に車を求め、まだ車がないのに、あるかのように父親に話し、そして神様が応えてくださったという体験です。車のためではなく、信じることを学ぶためでした。
- イエス様はこう言われました。「信じる者には、どんなことでもできます。」あなたの人生が「ひっくり返って」いるとき、病気が「もう希望はない」とささやくとき、これを信じるのは難しくなります。
- 信仰は感情ではなく、決断です。見る前に信じる、そうすれば見えてくるのです。
3. ベテスダの奇跡:「治りたいか」
- 説教者はヨハネによる福音書5章を開きます。イエス様はエルサレムに上られ、ベテスダの池にたどり着かれます。そこには大勢の病人、目の見えない人、足の不自由な人、体のまひした人たちがいました。
- そこには38年も病気にかかっている人がいました。イエス様は不思議に思えるほどの問いを投げかけます。「治りたいか。」
- その人は、私たちがよく口にすることを答えます。「主よ、水が動くとき、私を池に入れてくれる人がいません。私が行こうとすると、誰かが先に降りて行くのです。」自分を妨げているものを、イエス様に一つひとつ差し出すのです。
- イエス様はその言い訳の一覧を議論しません。ただこう言われます。「起きなさい。」手を差し伸べられるのは、あなた一人ではできないことをご存じだからです。
- 癒やすのは池ではありません。キリストの言葉です。
4. 自分自身と和解する
- 敵に対して奪われた領地を取り戻す前に、もっと内側の作業があります。それは自分自身と和解することです。
- 説教者はダビデ王の詩篇42篇を引用します。「わが魂よ、なぜうなだれるのか。なぜ、わたしのうちで思い乱れるのか。神を待ち望め。わたしはなお神をほめたたえる。」
- ダビデは自分の魂に聞くのではなく、自分の魂に語りかけます。感じていることに、自分の気分を決めさせないのです。
- 自分自身と和解するとは、失ったもので自分の人生を測ることをやめることです。悲しみ、不安、諦めを、肌に張りついた古い衣のようにまとい続けることを拒むことです。
- 鏡に映る自分を見てください。神様はいまだにあなたを信じておられます。あなたに期待しておられます。
5. 天の御国は激しく攻められている、立ち上がりなさい
- 「バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天の御国は激しく攻められており、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています」(マタイ11:12)。
- 今のあなたの状態と、神様が招いておられる場所との間には、戦いがあります。諦めは心地よい衣ですが、それはあなたの衣ではありません。
- ソファに座ったままでは衣を着替えることはできません。立ち上がり、手を差し伸べ、従う必要があります。
- 説教者は、二つの伝道集会で、誰かがイエス様の名によって「立ちなさい」とあえて告げたことで、足のまひした人たちが立ち上がった出来事を語ります。
- あなたにとって不可能なことも、神様にとっては不可能ではありません。あなたの役割は、信じて立ち上がることです。
心に留めたいポイント
- 古い衣とは、今の時代の基準です。諦め、恐れ、いまだに自分を定義してしまう失敗のことです。神様はそれを脱がせたいと願っておられます。
- 信仰とは、見てから信じることではありません。すでにそうであるかのように信じ、語り、神様が時にかなって応えてくださるのを見ることです。
- イエス様は、あなたを妨げているものの一覧を議論しません。「立ちなさい」と言い、手を差し伸べてくださいます。
- 敵に対して奪われた領地を取り戻す前に、自分自身と和解する必要があります。失ったもので自分の人生を測ることをやめましょう。
- 御国は受け身では得られません。あえて信じ、あえて求め、あえて立ち上がる必要があります。
あなたへの適用
- 今日、あなたがまだ身にまとっている「古い衣」は何ですか。神様が別のものを着せたいと願っておられるのに、いまだにあなたを定義している傷、失敗、レッテルは何でしょうか。
- ここ数年で悪魔があなたから奪ったもの(喜び、平安、希望、家族との絆、夢)のうち、今朝イエス様の名によって取り戻したいものは何ですか。
- もし今日イエス様が、ベテスダで問われたように「治りたいか」とあなたに尋ねられたら、あなたの答えは「はい、主よ」から始まりますか、それとも「はい、でも……」から始まりますか。
- 信仰の代わりに、あなたが神様に差し出している妨げの一覧は何ですか。もしその一覧を手放し、それでも立ち上がったら、何が起こるでしょうか。
- 今週、人生のどの部分で自分自身と和解する必要がありますか。神様に見放されたかのように自分を扱うのを、どこでやめる必要がありますか。
引用された聖書箇所
- ゼカリヤ 3章 (口語訳)
- ヨハネ 5:1-9 (口語訳)
- ヘブル人への手紙 11:1 (口語訳)
- マルコ 9:23 (口語訳)
- 詩篇 42篇 (口語訳)
- マタイ 11:12 (口語訳)
- 創世記 12:3 (口語訳)
よくある質問
「新しい衣」というたとえは、なぜ使われているのですか。どこから来ているのですか。
このたとえは、ゼカリヤ書3章に由来します。預言者は、大祭司ヨシュアが汚れた衣を着たまま神様の前に立っている姿を見ます。主はこう命じられます。「彼から汚れた衣を脱がせなさい……見よ、わたしはあなたの咎を取り除き、あなたに祭服を着せる。」これは、神様があなたと出会うときになさることを示す姿です。神様はただきよめるだけでなく、衣を着せ替えてくださいます。古いものは脱げ落ち、新しいものがあなたを覆うのです。
具体的には、どうすれば「古い衣」を脱ぐことができますか。
歯を食いしばることではありません。まず、神様が脱がせたいと願っておられるもの、諦め、恐れ、自分について繰り返し語ってきた言葉に名前をつけることから始めます。そして、感じる前に神様が語られることを信じると決め、「立ちなさい」と言われたときに立ち上がり、共に信じてくれる仲間に囲まれるのです。古い衣は、力ずくで脱げ落ちるのではありません。キリストが新しい衣を着せてくださるから、脱げ落ちるのです。
この説教は、どこで、誰によって語られたのですか。
このメッセージは、マルセイユのCCNV(Centre Chrétien de la Nouvelle Vie、新生キリスト教会)で行われた日曜礼拝の中で、招かれた牧師によって語られました。病人のための祈りと、新しい始まりを受け取るための招きに満ちた朝でした。説教には聖餐、信仰への招き、そしてヨハネ5章を中心に、神様が御霊によって行おうとしておられる刷新についての教えが織り込まれています。2025年11月16日に動画として公開されました。
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