聖書 — 口語訳 (1955)
ヘブル人への手紙 12
概要
11章で信仰の人々が並べられたあと、ヘブル人への手紙の著者は、疲れた信仰者たちに、イエスから目を離さず忍耐をもって走り続けるよう勧めます。続いて、試練を、子を子として扱う父の養育として示し、平和ときよめを追い求めるよう促し、エサウのように苦い根や神の祝福を軽んじる態度に警告します。章の結びは、天のシオンに近づく喜びと、感謝と敬虔をもって神に仕えるようにとの呼びかけです。
この章の5つの区分
1こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。
2信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
3あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。
4あなたがたは、罪と取り組んで戦う時、まだ血を流すほどの抵抗をしたことがない。
5また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
6主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
7あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。
8だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
9その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。
10肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
11すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。
12それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。
13また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。
14すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。
15気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。
16また、一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。
17あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。
18あなたがたが近づいているのは、手で触れることができ、火が燃え、黒雲や暗やみやあらしにつつまれ、
19また、ラッパの響や、聞いた者たちがそれ以上、耳にしたくないと願ったような言葉がひびいてきた山ではない。
20そこでは、彼らは、「けものであっても、山に触れたら、石で打ち殺されてしまえ」という命令の言葉に、耐えることができなかったのである。
21その光景が恐ろしかったのでモーセさえも、「わたしは恐ろしさのあまり、おののいている」と言ったほどである。
22しかしあなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の天使の祝会、
23天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者なる神、全うされた義人の霊、
24新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。
25あなたがたは、語っておられるかたを拒むことがないように、注意しなさい。もし地上で御旨を告げた者を拒んだ人々が、罰をのがれることができなかったなら、天から告げ示すかたを退けるわたしたちは、なおさらそうなるのではないか。
26あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」。
27この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。
28このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。
29わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。
鍵となる聖句
こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。 信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
描かれているのは競走の姿です。重荷とまといつく罪を捨て、走り続けます。秘訣は努力だけではなく、最後までやり抜かれたイエスに目を注ぐことにあります。
主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
著者は箴言を引いて、父の懲らしめは拒絶ではなく、我が子である印だと語ります。この聖句は、ある種の試練を神の愛の光のもとで読み直すよう招いていますが、すべての試練が罰だと言っているわけではありません。
すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。
すべての人との平和と、きよめは一つに結ばれています。きよめとは神のために取り分けられることで、この章は、それを主とともに歩む生活から切り離せないものとして示しています。
新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも力強く語るそそがれた血である。
イエスは新しい契約の仲介者であり、その血はアベルの血よりもすぐれたことを語っています。アベルの血が正義を求めたのに対し、キリストの声は赦しをもたらすという対比です。
このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。 わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。
受ける御国は揺り動かされることがなく、それが感謝と敬虔な応答の理由となります。神はまた焼き尽くす火とも呼ばれ、その聖さは真剣に受け止めるべきものですが、恵みを退けるものではありません。
この章に登場する人物
このテーマで祈る
説教が語っていること
ヘブル人への手紙12章についてよくある質問
ヘブル人への手紙12章1節の「忍耐をもって走ろう」とはどういう意味ですか
著者は信仰の生涯を、短距離走ではなく持久走にたとえています。重荷となるものとまといつく罪を捨て、イエスに目を注いで、止まらずに走り続けるようにと語ります。忍耐は、11章の信仰の人々の模範と、とりわけキリストの模範によって支えられます。
ヘブル人への手紙12章6節によれば、神は愛する者を懲らしめるのですか
この聖句は箴言を引いて、父の懲らしめは、その子を我が子として見ている証しだと語っています。ここで言う懲らしめとは、復讐ではなく、教育や訓練のことです。聖書は、どの試練も罰だと言っているのではなく、神が試練を用いて子どもたちを成長させることができると語っています。
ヘブル人への手紙12章15節の「苦い根」とは何ですか
ひそかに伸びて、やがて畑全体に害を及ぼす有害な植物のたとえです。心にためこまれた苦々しさのことで、共同体をむしばみ、神の恵みを取り逃がさせます。この章は、すべての人との平和を求めつつ、ともに気をつけているよう招いています。
なぜヘブル人への手紙12章では、神が焼き尽くす火だと言われているのですか
29節は旧約聖書の表現を用いて、神の聖さを思い起こさせています。これは、先に語られた恵みと矛盾するのではなく、それに伴うものです。揺り動かされない御国を受けたのですから、私たちは感謝と敬虔をもって、軽んじることなく神に仕えるのです。
ヘブル人への手紙 12を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。