神の約束に信頼して、対立の中でも踏みとどまる

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はじめに

「もう戦いが長すぎる」と感じながら朝を迎える日がありますよね。家族のこと、仕事のこと、お金のこと、健康のこと、教会のこと、いくつもの戦線が同時に開いていると感じる時があります。悪魔はただ一つの瞬間を狙っています。あなたが「もう無理です、降参します」と言ってしまう瞬間です。そして、まさにその時にこそ、主はあなたにこう思い出させてくださいます。神はご自分の約束に信頼を置いておられるのです。そして、あなたにも同じように信頼してほしいと願っておられます。

聖餐式と契約の更新が中心となるこの礼拝は、黙示録3章8〜13節から始まります。そこにはこう書かれています。あなたには力はわずかしかないが、あなたの前には誰も閉じることのできない開かれた門がある、と。長く続く戦いの中で、どうやって踏みとどまるか。それを一緒に見ていきましょう。

この記事の内容

1. 契約を新たにする:聖餐式は習慣ではありません

イエスご自身がこの行為を求められました。「これはわたしのからだである……これは契約の血、多くの人の罪の赦しのために流されるわたしの血である」(マタイ26章26〜28節)。なぜパンなのか、なぜ杯なのでしょうか。それは、その度ごとに立ち止まり、こう思ってほしかったからです。「あなたを当たり前の存在にはしません。私は来て、あなたとの契約を新たにします」

長く連れ添った夫婦は、時々あることを忘れてしまいます。年配のご夫婦をからかって笑うこともありますが、本当のところ、愛は毎日築き上げていくものです。約束を思い出させる行為をおろそかにするのは良くありません。イエスが聖餐式を制定された時、その心の中には少しそういう思いがあったのではないでしょうか。

このパンによって、あなたのためになされた犠牲を思い出してください。この杯によって、流された血を思い出してください。そして契約を結び直してください。たとえ今週、忙しくて祈れなかった、質問してきた誰かに希望を分かち合う余裕がなかった、そんな風に少し忘れてしまっていたとしても大丈夫です。今日、こう言うことができます。「主よ、赦してください。私はあなたとの契約を新たにします」

2. 新しい契約の年、そして対立の中での勝利の季節

私たちは新しい契約の年、そして対立の中での勝利の季節に入っていきます。ここで一つはっきりさせておきましょう。私たちの陣営は勝利の陣営ですが、勝利には戦いが伴います。冠を得るには戦いなしにはありえません。

これから来る5年間(2026年から2030年)、長く続く戦いにしがみついていく必要があります。勝利を得られない唯一の方法は、途中で降参してしまうこと、「もう無理です、耐えられません」と言って退いてしまうことです。それこそ悪魔が期待していることなのです。

だからこそ主はこう思い出させてくださいます。「罪人たちのこのように激しい反抗を忍ばれた方のことを思いなさい」(ヘブル12章3節)。イエスはナザレの人々からも、ユダヤ人からも、ご自分の兄弟からも、ローマ人からも、パリサイ人からも、そして十字架に至るまでは使徒たちからさえも抵抗を受けました。そして、あなたにこう語りかけておられます。「しっかりつかまっていなさい。わたしを十字架まで支えた同じ御霊が、あなたが場所を明け渡すなら、あなたのうちに住んでくださる」

3. 黙示録3章の約束:開かれた門、守るべき冠

この季節、冷蔵庫に貼っておくべき箇所は黙示録3章8〜13節です。こう始まります。「わたしはあなたの行いを知っている。見よ、わたしは、だれも閉じることのできない門をあなたの前に開いておいた。あなたには少しばかりの力しかないのに、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである」

神が語られる順番に注目してください。

  • 「わたしはあなたを知っている」。神の目に留まるために何かをする必要はありません。神はすでにあなたを知っておられます。
  • 誰も閉じることのできない開かれた門。悪魔は、あなたの状況が塞がっている、塞がっている、塞がっていると思い込ませようとしてきます。書類、判決、病気、銀行、行政手続き、あらゆる書類、あらゆるもっともらしい理由を突きつけてきます。しかし、神はあなたの前に、誰にも閉じることのできない門を置いておられます。
  • 「あなたには少しばかりの力しかないのに」。神はあなたが強くあることを求めておられません。あなたが強くないことをご存じです。神はあなたを知っておられ、それでもなお求めておられます。「できません、疲れています、お金がありません、病気です」といった言い訳は必要ありません。あなたが「はい」と答えて歩み出せば、「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去ります」(ヤコブ4章7節)というみことばの通りになります。

この開かれた門を、神が見せてくださるように祈ってください。見逃さないように。それは、あなたが思ってもみなかった場所にあることが多いのです。探してもいなかったところから仕事の話が来たり、訪ねてもいなかった場所から解決策が現れたりします。それが神の門であり、奇跡的に働くものです。

4. 冠を、信仰を、奉仕を、賜物をしっかりと保ちなさい

「わたしはすぐに来る。あなたの冠をだれにも奪われないように、持っているものをしっかり守りなさい」(黙示録3章11節)。神があなたに委ねられたものをしっかり保ってください。もし奉仕を担っているなら、忠実であり続けてください。もし神が子どもたちを委ねてくださったなら、彼らを世話し、育ててください。彼らが望むことすべてに従うのではなく、あなた自身が模範を示すことによってです。あなたにできる最善のことは、彼らをイエスのもとへ導くことです。やがて彼らが自分で決断する年齢になった時、残るのはあなたが言った言葉ではなく、彼らがあなたを見て学んだことです。

召命もしっかりと保ってください。神があなたに仕事や才能、夢を与えてくださったなら、それを放り出さないでください。学び続け、働き続け、自分のなすべきことに取り組んでください。まだその召命を実行に移せない時期もあるでしょうが、自分の好きなことに関して腕を磨き続けてください。時間は神からの賜物です。仕事がない日でも朝起きて、体を洗い、服を着替え、一日を始めてください。これはタラントのたとえ(マタイ25章14〜30節)そのものです。あなたのタラントを、掘り出してください。書類を整理し、電話を手に取り、連絡を取り、行動してください。

あなたの羊たちもしっかりと保ってください。あなたの奉仕とは、牧会グループやGP(グループ・パストラル)だけを指すのではありません。あなたの人生を語ってくれる隣人もそうです。神があなたに委ねてくださったのは、彼らに語りかけ、希望を分かち合い、「大丈夫、あなたのために祈っているよ」と伝えるためなのです。

5. 荒野の女:神はその過程の中であなたを養ってくださいます

黙示録12章13〜16節では、女(教会を象徴しています)が竜に追われます。女は大鷲の二つの翼を与えられ、荒野にある自分の場所へと飛び去ります。そこは「一時と、二時と、半時の間、蛇の顔から離れて養われる」場所です。

女はどこへ行くのでしょうか。荒野です。祝宴の場ではありません。快適な場所でもありません。荒野です。イエスご自身も、ご自分の奉仕を始める前に荒野へ行かれました。人はしばしば、内面の変革や生活の変化を求められる過程を恐れます。しかし、この荒野での時間の中で、女は養われているのです。主はあなたにも同じことを約束しておられます。あなたがこの過程で過ごす時間、神はあなたを養い、あなたを守ってくださいます。そして「悪魔はあなたに触れることができない」のです。

蛇が女を押し流そうと川のような水を吐き出す時(15節)、地は女を助け、その川をのみ込みます。悪魔は決してあきらめません。いつでも試みてきます。しかし、どんな攻撃であっても、地を開く必要があれば神は地を開かれます。翼を与える必要があれば翼を与えてくださいます。食べ物を備える必要があれば食べ物を備えてくださいます。これが、あなたの歩む過程における神の約束です。

6. あなたの家計における戦い:竜の霊から抜け出す

黙示録13章11〜18節には、もう一頭の獣が登場します。子羊のような姿をしていますが、話す時は竜のようです。良さそうに見えても、憎しみと火と悪意をもって語るものに惑わされないよう、私たちには識別力が求められます。今日では、人工知能や生成された画像によって、ある動画が本物か偽物かを見分けることが難しくなっています。だからといって「もう黙示録の時だ」と叫びながら逃げ回る必要はありません。神は私たちが惑わされないように、そして毎日神のもとに来て自分の道を尋ねるようにと、私たちに警告してくださっているのです。

この獣は、それがなければ誰も売り買いできない刻印を課します。つまり、お金に関わる問題は竜の目論見の中心にあるのです。これは教会にとって最大級の戦いの一つとなるでしょう。欠乏への恐れによって、悪魔は人にどんなことでもさせようとします。貪欲によっても、悪魔は人にどんなことでもさせようとします。それが家庭内での争いや、職場での対立、貧困、抑圧を生み出します。

資金が尽きたために倒れていく奉仕の数を見ると、恐ろしくなります。これがお金への愛でなければ、いったい何だと言うのでしょうか。ペテロにこのことが起こった時、イエスはこう言われました。「魚を釣りに行きなさい」。ペテロが魚の口を開くと、そこに硬貨があったのです(マタイ17章24〜27節)。パウロはこう言いました。「豊かに生きる道も、乏しく生きる道も、私は心得ています」(ピリピ4章11〜13節)。この自由のために祈ってください。恐れやお金への愛によって、あなたの召命、あなたの奉仕、あなたの家族、あなたの健康を犠牲にしないように。それが竜の心の中心にあるものです。そこには決して入らないでください。

7. エゼキエル34章と詩篇91篇:あなたを支える約束

このすべての只中で、神はご自分の契約を確かなものとしてくださいます。エゼキエル34章24〜31節にはこう告げられています。「わたしは彼らと平和の契約を結ぶ……彼らは安らかに住む……時にかなって雨を降らせる。これは祝福の雨となる……わたしが彼らのくびきの棒を折り、彼らを奴隷にした者たちの手から救い出すとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる」

そして詩篇91篇が、すべてを締めくくります。「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰にとどまる……主はご自分の羽であなたをおおわれる。あなたはその翼の下に身を避ける……彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出す」(1節、4節、14節)。これは「まあ、彼のことは好きです」という話ではありません。「彼がわたしにすがりついているから」という話なのです。あなたは、本当に神にすがりついていますか。

そしてマラキ3章10節が、お金の問題を包み込みます。「十分の一の献げ物をすべて、蔵に携えて来なさい……こうしてわたしを試してみよ、と万軍の主は言われる。わたしがあなたがたのために天の窓を開いて、祝福を注ぐかどうかを」。このみことばを自分のものとして受け取ってください。神は経済を見ておられます。あなたの仕事を見ておられます。あなたに何が必要か、ご存じです。

まとめのポイント

  • 聖餐式のたびに契約を新たにしてください。習慣としてではなく、毎週結び直される愛の約束として。
  • 勝利には対立が伴います。負ける唯一の方法は途中で降参することです。戦いの中にとどまってください。
  • わずかな力、開かれた門。神はあなたが強いことを求めておられません。今あるものをもって「はい」と答えることを求めておられます。
  • 冠をしっかりと保ってください。信仰、奉仕、賜物、子どもたち、召命。あなたのものは誰にも奪わせてはいけません。
  • 過程の中で、神はあなたを養ってくださいます。荒野は見捨てられることではありません。そこは大鷲が教会を運ぶ場所です。
  • 家計において、竜の霊から抜け出してください。欠乏への恐れやお金への愛によって、あなたの召命を犠牲にしないでください。

個人への適用

  • 今週、主と結び直したい契約は何ですか。それを紙に書き出してみてください。
  • どんな場面で「もう無理だ、あきらめよう」と言いたくなっていますか。戦いの中にとどまるとは、具体的にどういうことでしょうか。
  • 今、あなたの目に塞がって見える門を、「誰にも閉じることのできない門」として、神の手に委ねる必要があるのはどこですか。
  • あなたの冠とは、具体的に何でしょうか。奉仕でしょうか、才能でしょうか、神が委ねてくださった羊でしょうか。それを守るために、今週何ができるでしょうか。
  • 欠乏への恐れやお金への愛が、御霊の代わりにあなたの決断を動かしてしまっているところはどこですか。

引用された聖句

よくある質問

聖餐式で「契約を新たにする」とは具体的にどういうことですか。

パンと杯を習慣的に受け取ることではありません。意識的に立ち止まり、イエスにこう伝えることです。「あなたを当たり前の存在にはしません。私のためになされた犠牲、私のために流された血を思い出し、あらためて心を向けます」。もし今週、忙しくて祈れなかった、希望を分かち合うべき場面で黙っていたなど、契約を忘れてしまっていたとしても、聖餐式はその赦しを求め、やり直すための時なのです。それは、夫婦がたびたび「あなたを選びます」と確かめ合うのと同じような、愛の約束です。

「あなたには少しばかりの力しかない」とはどういう意味ですか。なぜ神はそれでも私に行動を求めるのですか。

主はあなたを知っておられます。力が足りないこと、時間や意欲、健康、お金が足りないことをご存じです。神はそれを見過ごしてはおられません。それでもなお、神はその少しばかりのものをもって従うようにと求めておられます。わずかな力とは、まったく力がないという意味ではありません。それは、あなたが今持っているものです。それを神に差し出すなら、神はそれを用いてくださいます。悪魔はいつも、あなたが自信を持てない部分を攻撃してきます。そこを悪魔に支配させなければ、悪魔は別の攻撃点を探すでしょう。しかし、神はその部分において十分にあなたを支えてくださいます。「悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去ります」。

神はなぜ、過程の中でしばしば教会を荒野へ導かれるのですか。

荒野こそ、神が養ってくださる場所だからです。イエスご自身も、ご自分の奉仕を始める前にそこへ行かれました。荒野は罰ではありません。周囲の影響から離れ、ただ神だけに拠り頼むようになる場所です。黙示録12章の女は、自分の力でそこにたどり着くのではなく、大鷲の翼を与えられます。もしあなたが今、困難な過程のただ中にいるなら、約束ははっきりしています。あなたは養われ、守られており、隠れ場にとどまり続ける限り、蛇はあなたに触れることができません。荒野から逃げないでください。そこは、神があなたを形づくってくださる場所なのです。

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