聖書 — 口語訳 (1955)

イザヤ書 61

概要

イザヤ書61章は、主の霊に油を注がれた使者が、良い知らせを告げ、傷ついた心をいやし、捕らわれ人を解放する姿を描きます。荒れ果てた民に、灰にかえて冠を与えると約束し、やがて彼らを荒れ跡を建て直す者、諸国の前での証し人として召します。イエスはナザレで最初の数節を読み、それが今日、自分において成就したと語られました。章は喜びの歌で結ばれます。救いの衣を着せられた者は、神の中に喜びを見いだします。

この章の4つの区分

  1. 1-3節御霊に遣わされた者:良い知らせ、いやし、解放
  2. 4-7節立ち上がった民が荒れ跡を建て直す
  3. 8-9節公平を愛し、とこしえの契約を結ばれる神
  4. 10-11節救いの衣を着せられた者の喜びの歌

1主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、

2主の恵みの年と われわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、

3シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために 植えられた者ととなえられる。

4彼らはいにしえの荒れた所を建てなおし、さきに荒れすたれた所を興し、荒れた町々を新たにし、世々すたれた所を再び建てる。

5外国人は立ってあなたがたの群れを飼い、異邦人はあなたがたの畑を耕す者となり、ぶどうを作る者となる。

6しかし、あなたがたは主の祭司ととなえられ、われわれの神の役者と呼ばれ、もろもろの国の富を食べ、彼らの宝を得て喜ぶ。

7あなたがたは、さきに受けた恥にかえて、二倍の賜物を受け、はずかしめにかえて、その嗣業を得て楽しむ。それゆえ、あなたがたはその地にあって、二倍の賜物を獲、とこしえの喜びを得る。

8主なるわたしは公平を愛し、強奪と邪悪を憎み、真実をもって彼らに報いを与え、彼らと、とこしえの契約を結ぶからである。

9彼らの子孫は、もろもろの国の中で知られ、彼らの子らは、もろもろの民の中に知られる。すべてこれを見る者は これが主の祝福された民であることを認める。

10わたしは主を大いに喜び、わが魂はわが神を楽しむ。主がわたしに救の衣を着せ、義の上衣をまとわせて、花婿が冠をいただき、花嫁が宝玉をもって飾るようにされたからである。

11地が芽をいだし、園がまいたものを生やすように、主なる神は義と誉とを、もろもろの国の前に、生やされる。

鍵となる聖句

1節
主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、

冒頭の一節は、遣わされた者の使命を描きます。貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやし、捕らわれ人に解放を告げます。イエスがナザレで読み、ご自身に当てはめられたのがこの箇所です。

2節
主の恵みの年と われわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、

主の恵みの年と報復の日は、ともに告げられます。神が恵みを打ち立てるとき、正しいさばきも行われます。ナザレでイエスは恵みの年のところで読むのをやめられました。多くのクリスチャンはそこに、初めの来臨と再び来られる時という二つの時を見ます。

3節
シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために 植えられた者ととなえられる。

変えられる様子が語られます。「灰にかえて冠を与え」、悲しみにかえて喜びの油を、憂いの心にかえてさんびの衣を与えてくださいます。悲しむ者は、神が栄光のために植えられた、しっかりした木となります。

4節
彼らはいにしえの荒れた所を建てなおし、さきに荒れすたれた所を興し、荒れた町々を新たにし、世々すたれた所を再び建てる。

慰めには続きがあります。神に立ち上がらせていただいた者は、建て直す者として召されます。いにしえの荒れ跡や荒れた町々が、回復された人々の働く場となります。

10節
わたしは主を大いに喜び、わが魂はわが神を楽しむ。主がわたしに救の衣を着せ、義の上衣をまとわせて、花婿が冠をいただき、花嫁が宝玉をもって飾るようにされたからである。

章は喜びの応答で終わります。救いは、自分で作るものではなく、神が着せてくださる衣として描かれています。

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説教が語っていること

「主の霊がわたしの上にある」:傷ついた心への良い知らせエドゥアール・ネルソンは1節から9節を通して語ります。御霊に備えられた使者、立ち上がって建て直される民、諸国に及ぶ評判です。御霊とみことばの結びつき、そして解放と正義が切り離せないことを強調します。要約を読む →スターになれ:輝いて、廃墟を建て直せモントリオールの説教者は、なぜ3節で読むのをやめてしまうのかと問いかけます。聖書の本文は荒れ跡の建て直しへと続いています。油注ぎは慰められるためだけでなく、建て直し、キリストが自分の人生を通して輝くための備えだと語ります。要約を読む →灰に代えて冠を ― 2026年を神と共に歩み出すサミュエル・ペテルシュミットは、2026年を迎えるにあたってイザヤ書61章の約束を読みます。もしあなたが悲しみの中にいるなら、あなたへの良い知らせがあります。灰にかえて与えられる冠は、あなたを昔の荒れ跡の建て直しへと送り出します。要約を読む →マラから喜びへ:信仰の落ち穂拾いに、神様は二倍で応えてくださるナオミとルツの物語を通して、この説教は7節の二倍の賜物を、マラと名乗った女性に返された喜びに重ねます。神は、日常の中で踏み出す小さな信仰の歩みを通して人を立ち上がらせてくださると示します。要約を読む →

イザヤ書61章についてよくある質問

イザヤ書61章1節はどういう意味ですか

この節は、神の霊がとどまり、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやし、捕らわれ人に解放を告げるために油を注がれた使者を描いています。捕囚の中にあった民にとっては、救い出される約束でした。イエスはナザレの会堂でこの箇所を読み、今日成就したと語られ、ご自身が告げられていた使者であることを示されました。

灰にかえて冠を与えるとはどういう意味ですか

聖書で灰は、悲しみとへりくだりのしるしです。冠は祝いの日の飾りです。3節は完全な逆転を約束しています。痛みのあった所に、神は喜びとさんびと誉れある場所を与えてくださいます。これは苦しみを否定する幻想ではなく、神がご自分の民を灰の中に置き去りにされないという約束です。

イザヤ書61章の中心的なメッセージは何ですか

神は、御霊に油を注がれた解放者を遣わし、ご自分の民を慰め、いやし、回復してくださいます。立ち上がらせていただいた者は、傍観者のままではありません。荒れ跡を建て直し、神の仕え人と呼ばれ、諸国への証しとなります。章は、救いを衣のように受け取った者の喜びで結ばれます。

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