死別の悲しみを乗り越える聖書の言葉20選

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はじめに

死別の悲しみは、人生でもっとも過酷な道のりの一つです。しかし聖書は、この痛みから決して目をそらしません。むしろ、その痛みに言葉と希望と臨在を与えてくれます。ここでは、死別の悲しみを乗り越えるための20の聖句を、口語訳の原文で引用しながら、五つのテーマに分けてご紹介します。すなわち、泣く者に近づかれる神、神が与えてくださる慰め、死を超えた希望、日々変わらない神の真実、そして涙の後に約束されている喜びです。あなたが最近大切な人を亡くした悲しみの中にいても、悲しむ誰かに寄り添っているのだとしても、これらの聖句はあなたの祈りと黙想の糧となるはずです。それぞれの参照箇所からは、BibleGateway上の全文へのリンクをたどることができます。

泣く者に近づかれる神

聖書は説明を与える前に、まず神の近さを語ります。神は打ち砕かれた心のすぐそばに立っておられるのです。

1. 詩篇 34篇18節

「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。」

ダビデはここで、試練の後に与えられた救いの体験を歌っています。神の近さは強い者だけのものではなく、まさに心が打ち砕かれた者にこそ与えられるのです。詩篇34篇18節を聖書で読む

2. 詩篇 147篇3節

「主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる。」

この賛美の詩篇は、星の数を数えられる神が、同じ息のうちに、その子らの内面の傷を包んでくださることをたたえています。死別の悲しみは傷跡を残しますが、神ご自身がその傷に向き合ってくださいます。詩篇147篇3節を聖書で読む

3. マタイによる福音書 5章4節

「悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。」

山上の垂訓の中で、イエスは死別の悲しみそのものが祝福だとは言っておられません。しかし、泣いている者たちには確かな慰めが与えられると約束しておられます。悲しみが最後の言葉ではないのです。マタイによる福音書5章4節を聖書で読む

4. 詩篇 56篇8節

「あなたはわたしのさすらいを数えられました。わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください。これは皆あなたの書に しるされているではありませんか。」

追われ、試練の中にあったダビデは、自分の涙が無駄にならないとあえて信じています。神はその涙を集め、数えてくださるのです。死別の悲しみの中で流されるどんな涙も、神の心から漏れることはありません。詩篇56篇8節を聖書で読む

5. 詩篇 73篇26節

「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」

アサフは、悲しみがもたらす肉体的・内面的な疲れを正直に告白しています。力が尽きてしまうときでも、神はしがみつくことのできる岩であり続けてくださいます。詩篇73篇26節を聖書で読む

神が与えてくださる慰め

神は痛みをただ見守るだけの方ではありません。ご自身をあらゆる慰めの源として示してくださいます。

6. イザヤ書 61章3節

「シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために 植えられた者ととなえられる。」

この、後にナザレでイエスご自身が引用されることになるメシア預言の箇所は、完全な逆転を約束しています。悲しみの灰は喜びに置き換えられるのです。神はただ慰めるだけでなく、状態そのものを変えてくださいます。イザヤ書61章3節を聖書で読む

7. コリント人への第二の手紙 1章3-4節

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」

パウロはこの手紙の冒頭で、自らの苦難から生まれた賛美の言葉を語っています。神から受ける慰めは、自分だけのためのものではありません。それは、他の悲しむ人々を慰めるための備えともなるのです。コリント人への第二の手紙1章3-4節を聖書で読む

8. マタイによる福音書 11章28節

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」

死別の悲しみは心だけでなく体をも疲れさせます。イエスは平気なふりをするよう求めてはおられません。むしろ、疲れ、重荷を負っている者たちにこそ、ご自分のもとで休みを見出すようにと招いてくださっています。マタイによる福音書11章28節を聖書で読む

9. ヨハネによる福音書 14章1節

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。」

イエスは、ご自分の死を目前にして、動揺している弟子たちにこの言葉を語られました。心の動揺そのものは否定されていませんが、それはより頼むべき土台、すなわち神とキリストへの信頼を見出します。ヨハネによる福音書14章1節を聖書で読む

死を超えた希望

キリスト者の死別の悲しみに涙がないわけではありません。しかし、そこには希望もあります。復活がすべてを変えるのです。

10. テサロニケ人への第一の手紙 4章13-14節

「兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。 わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。」

パウロは、大切な人の死を前にした悲しみそのものを禁じているわけではありません。彼は、希望のない悲しみと、イエスの復活に基づく悲しみとを区別しています。両者の違いは涙があるかどうかではなく、その涙の先に何を見ているかです。テサロニケ人への第一の手紙4章13-14節を聖書で読む

11. ヨハネによる福音書 11章25-26節

「イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。」

ラザロの墓の前で、イエスはただ同情されるだけではありません。ご自身を復活そのものとして現してくださいます。マルタに投げかけられたこの問いは、死別の悲しみの中にある一人一人にも今なお響いています。ヨハネによる福音書11章25-26節を聖書で読む

12. ヨハネの黙示録 21章4節

「人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。」

この新しい創造の幻は、死と悲しみの決定的な終わりを約束しています。それは抽象的な慰めではありません。神ご自身が一つ一つの涙をぬぐわれるという、具体的な出来事なのです。ヨハネの黙示録21章4節を聖書で読む

13. 詩篇 116篇15節

「主の聖徒の死はそのみ前において尊い。」

この聖句の言い回しには驚かされます。信じる者の死は、神にとって取るに足らないものではなく、その目に尊いものなのです。ご自分の民に起こることで、神が無関心でいられることは何一つありません。詩篇116篇15節を聖書で読む

14. ローマ人への手紙 8章38-39節

「わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。」

パウロは、信仰を脅かしかねないもののほぼすべてを挙げていきますが、そのリストの先頭に置かれているのが死です。どれほど根本的な喪失であっても、キリストにある者に対する神の愛を断ち切ることはできません。ローマ人への手紙8章38-39節を聖書で読む

日々変わらない神の真実

死別の悲しみは一日で乗り越えられるものではありません。聖書は、悲しみという長い時間に、日々寄り添ってくださる神の臨在についても語っています。

15. 詩篇 23篇4節

「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。」

羊飼いを歌うこの詩篇は、死の陰の谷を避けられると約束しているのではありません。その谷の真っただ中における神の臨在を約束しているのです。この約束が確かめられるのは、しばしば死別の悲しみのただ中でのことです。詩篇23篇4節を聖書で読む

16. 詩篇 30篇5節

「その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。」

ダビデはここで、信仰の歩みすべてに流れる一つの動きを描いています。涙の夜の後には、再び朝が訪れるという動きです。神の恵みは、一瞬で終わるものではなく、いのちの限り長く続きます。詩篇30篇5節を聖書で読む

17. ヨブ記 1章21節

「そして言った、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。」

ヨブは、たった一日のうちに子どもたちと財産のすべてを失った直後にこの言葉を語りました。彼の応答は諦めではなく、喪失の最も深いところでもなお持ち続けられる礼拝の姿です。ヨブ記1章21節を聖書で読む

18. 哀歌 3章22-23節

「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。 これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。」

エルサレムの廃墟を前にして書かれたこの哀歌には、聖書の中でもとりわけ大きな希望の宣言が記されています。破滅のただ中にあってさえ、神のあわれみは朝ごとに新しくされるのです。哀歌3章22-23節を聖書で読む

涙の後にある喜び

聖書は、悲しみそのもので話を終えることはめったにありません。悲しみを消し去るのではなく、その上にさらに加えられる喜びへと目を向けさせてくれます。

19. ヨハネによる福音書 16章22節

「このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。」

イエスは、ご自分の死がもたらす悲しみに弟子たちが備えられるよう、その後に訪れる喜び、誰にも奪うことのできない喜びを約束しておられます。悲しみには終わりがありますが、約束された喜びには終わりがありません。ヨハネによる福音書16章22節を聖書で読む

20. コリント人への第二の手紙 4章17-18節

「なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」

パウロは、苦しみを軽んじているから死別の悲しみを「軽い」と呼んでいるのではありません。その先に待っている永遠の重い栄光と比べてそう言っているのです。見えるものの先を見つめることは、今この時を乗り越える助けとなります。コリント人への第二の手紙4章17-18節を聖書で読む

よくある質問

聖書は死別の悲しみについて何と語っていますか。

聖書は死別の悲しみの痛みを決して軽く扱いません。イエスご自身もラザロの墓の前で涙を流されましたし、詩篇には涙と叫びがあふれています。しかし聖書はそこで終わりません。神は心の打ち砕かれた者に近くおられること(詩篇34篇18節)、あらゆる患難の中で慰めてくださること(コリント人への第二の手紙1章3-4節)、そしてキリストにある者にとって死が最後の言葉ではないこと(テサロニケ人への第一の手紙4章13-14節ヨハネの黙示録21章4節)を、はっきりと告げています。

これらの聖句は、死別の悲しみを乗り越えるためにどのように役立ちますか。

言葉を失ったときに言葉を与えてくれ、すべてが空しく感じられるときに神の臨在を思い起こさせてくれます。詩篇23篇4節のような聖句は、つらい夜に繰り返し唱えることができますし、ローマ人への手紙8章38-39節は、どれほど大きな喪失であっても神の愛から引き離されることはないと思い出すために読み返すことができます。これらの聖句は痛みを取り除くのではなく、確かな希望をもってその痛みに寄り添ってくれるのです。

これらの聖句を黙想や祈りの中でどのように用いればよいですか。

一つか二つの聖句を選び、ゆっくりと声に出して読み、その後、代名詞を自分の名前や寄り添っている相手の名前に置き換えながら祈りの中で唱え直してみてください。ヨブ記1章21節哀歌3章22-23節のような聖句は暗唱するのにも適しています。暗記しておけば、しばしば予告なく痛みが戻ってくるときに、その言葉に支えてもらうことができます。

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