聖書 — 口語訳 (1955)
コリント人への第二の手紙 1
概要
この第二の手紙で、パウロは自分との関係がぎくしゃくしているコリントの教会に書き送ります。まず賛美から始め、神はあわれみ深き父、慰めに満ちた神であると告げます。続いて、アジヤで経験した極限の試練を語ります。死を覚悟するほどの苦しみの中で、彼は神だけに信頼することを学びました。最後に、旅の計画が軽率だったという非難に答え、神の約束はキリストにおいて「しかり」となったことを思い起こさせます。
この章の6つの区分
1神の御旨によりキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟テモテとから、コリントにある神の教会、ならびにアカヤ全土にいるすべての聖徒たちへ。
2わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
3ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
4神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。
5それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである。
6わたしたちが患難に会うなら、それはあなたがたの慰めと救とのためであり、慰めを受けるなら、それはあなたがたの慰めのためであって、その慰めは、わたしたちが受けているのと同じ苦難に耐えさせる力となるのである。
7だから、あなたがたに対していだいているわたしたちの望みは、動くことがない。あなたがたが、わたしたちと共に苦難にあずかっているように、慰めにも共にあずかっていることを知っているからである。
8兄弟たちよ。わたしたちがアジヤで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、
9心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。
10神はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さった、また救い出して下さるであろう。わたしたちは、神が今後も救い出して下さることを望んでいる。
11そして、あなたがたもまた祈をもって、ともどもに、わたしたちを助けてくれるであろう。これは多くの人々の願いによりわたしたちに賜わった恵みについて、多くの人が感謝をささげるようになるためである。
12さて、わたしたちがこの世で、ことにあなたがたに対し、人間の知恵によってではなく神の恵みによって、神の神聖と真実とによって行動してきたことは、実にわたしたちの誇であって、良心のあかしするところである。
13わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではない。それを完全に理解してくれるように、わたしは希望する。
14すでにある程度わたしたちを理解してくれているとおり、わたしたちの主イエスの日には、あなたがたがわたしたちの誇であるように、わたしたちもあなたがたの誇なのである。
15この確信をもって、わたしたちはもう一度恵みを得させたいので、まずあなたがたの所に行き、
16それからそちらを通ってマケドニヤにおもむき、そして再びマケドニヤからあなたがたの所に帰り、あなたがたの見送りを受けてユダヤに行く計画を立てたのである。
17この計画を立てたのは、軽率なことであったであろうか。それとも、自分の計画を肉の思いによって計画したため、わたしの「しかり、しかり」が同時に「否、否」であったのだろうか。
18神の真実にかけて言うが、あなたがたに対するわたしの言葉は、「しかり」と同時に、「否」というようなものではない。
19なぜなら、わたしたち、すなわち、わたしとシルワノとテモテとが、あなたがたに宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「しかり」となると同時に「否」となったのではない。そうではなく、「しかり」がイエスにおいて実現されたのである。
20なぜなら、神の約束はことごとく、彼において「しかり」となったからである。だから、わたしたちは、彼によって「アァメン」と唱えて、神に栄光を帰するのである。
21あなたがたと共にわたしたちを、キリストのうちに堅くささえ、油をそそいで下さったのは、神である。
22神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである。
23わたしは自分の魂をかけ、神を証人に呼び求めて言うが、わたしがコリントに行かないでいるのは、あなたがたに対して寛大でありたいためである。
24わたしたちは、あなたがたの信仰を支配する者ではなく、あなたがたの喜びのために共に働いている者にすぎない。あなたがたは、信仰に堅く立っているからである。
鍵となる聖句
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。
パウロは神をあらゆる慰めの源と呼びます。受けた慰めは自分のためだけに取っておくものではありません。同じ試練の中にいる人を慰めるために、私たちを備えてくれるのです。
心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。
試練には目的がありました。自分を頼みとせず、死人をよみがえらせる神を頼みとすることです。こうして弱さは、信頼の置きどころが移される場所となります。
なぜなら、神の約束はことごとく、彼において「しかり」となったからである。だから、わたしたちは、彼によって「アァメン」と唱えて、神に栄光を帰するのである。
神の約束はことごとく、イエス・キリストにおいて「しかり」という確かな答えを得ます。これが教会の「アァメン」の土台です。この聖句が語っているのはキリストにおける神の真実であり、好きな聖句を何でも要求できる権利ではありません。
あなたがたと共にわたしたちを、キリストのうちに堅くささえ、油をそそいで下さったのは、神である。 神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである。
神は信じる者を堅くささえ、油をそそぎ、証印をおされます。与えられた御霊は保証、すなわちこれから来るものを確かにする手付けとして示されています。
このテーマで祈る
説教が語っていること
コリント人への第二の手紙1章についてよくある質問
コリント人への第二の手紙1章20節はどういう意味ですか。
この聖句は、神の約束がことごとくイエス・キリストにおいて「しかり」となる、つまり確かに成就すると述べています。キリスト自身が真実な方なので、約束は信頼できます。教会はそれに「アァメン」と答えて神に栄光を帰します。この聖句がまず語っているのはキリストにおける神の真実であり、それぞれの約束はその文脈の中で読むよう招かれています。
コリント人への第二の手紙1章3節から4節は、慰めについて何を伝えていますか。
パウロはここで、神をあわれみ深き父、慰めに満ちた神として示します。神はあらゆる患難の中で私たちを慰め、それによって私たちも苦しむ人々を慰めることができるようにしてくださいます。神から受けた慰めには使命があります。それは分かち合うためのものであり、自分だけで抱え込むものではありません。
コリント人への第二の手紙1章8節から10節によると、パウロはアジヤで何を経験しましたか。
パウロは、力に余るほど圧迫され、生きる望みさえ失うほどの患難を語ります。彼はそれを一つの教えとして受け取りました。自分自身ではなく、死人をよみがえらせる神に信頼するということです。試練の正確な内容は聖書に書かれておらず、注解者はいくつかの推測を挙げています。
コリント人への第二の手紙 1を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。