はじめに
その日曜日、ストックホルムにあるImmanuel Churchの英語礼拝で、メッセージを語ったのはDavidでした。彼は謙遜な言葉で語り始めます。メッセージがどれくらいの長さになるか「まったくわからない」こと、大切なことを30分も語れる人たちの「レベルには達していない」こと、そして会衆に辛抱して聞いてほしいことを伝えました。
取り上げた聖書箇所は、マタイの福音書25章のタラントのたとえで、エペソ人への手紙4章とあわせて読まれました。彼はまず、ひとつの身近な情景から始めます。父親からもらった種を、どうしてよいかわからないまま瓶にしまっておく子どもの話です。「私も、このような男の子のように感じることがよくあります」と彼は打ち明けます。
メッセージの中心にある確信は、神があなたの中に非常に価値のある賜物を置いてくださった、ということです。それが実を結ぶためには、種を植え、世話をしなければなりません。そして、あなたの主人がどなたなのか、その方のうちにあるあなたが何者なのかを忘れてはならないのです。
メッセージの流れ
1. 子どもと父と種の入った瓶
- 毎日、父親は子どもに種を渡します。子どもはそれが何なのか、なぜ父親が渡し続けるのかがわかりません。暗い戸棚の奥の瓶にしまい、瓶がいっぱいになるまで続けます。
- 子どもが知っているのはただひとつ、それが父からの贈り物だということです。ある日、瓶の底で数粒の種が開き、小さな緑の芽が出ていることに気づきます。
- 子どもは走って父に見せに行きます。父は子どもを庭へ連れて行きます。そこには素晴らしい香りがあり、あらゆる種類の花と、あらゆる種類の実がありました。「これが、あなたの小さな種の中にあるものだよ」。
- 瓶の中でも芽を出すことはできる、と父は説明します。けれども本当に育つためには、良い土に植え、水を注ぎ、光と時間を与える必要があるのです。
- Davidは自分の姿をそこに重ねます。父なる神が、ご自身に仕え、ご自身との関係の中で生きるための賜物を自分の中に置いてくださったことは知っています。けれども、それをどうすればよいのか、いつもわかるわけではありません。目的地である庭、天は遠く感じられ、種まきのたとえのように、人生の状況が種をふさいでしまうのではないかと恐れることもあります。
2. 計り知れない価値のタラント
- 聖書の訳によっては「金の袋」と訳されています。Davidは「タラント」という言葉が好きです。それは神のなさることに合っているからです。神はひとりひとりに、唯一無二の賜物と能力の組み合わせを与えてくださいます。そして、そのどれもが御国において同じように大切なのです。
- 1タラントは、20年分の給料に相当する単位でした。ですから5タラントを受け取った人は、一度に100年分の給料を受け取ったことになり、それは「一生分の給料以上」です。私たちがどれほど豊かで、神が私たちにどれほど投資しておられるかがわかります。
- 主人は旅に出ます。しもべたちが帰りを待ってお金の上に座っていることは望んでいません。お金を働かせ、増やすことを望んでいます。これが、イエスが私たちの小さな種に期待しておられることです。
- 神の賜物は、霊的な賜物だけに限られません。「あらゆる良いたまものと、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化もなく、移り行く影もない」(ヤコブの手紙1:17)。あなたの家族、友人、そして日々の生活もその一部です。
3. 三人目のしもべは主人を誤解していた
- 三人目のしもべの間違いは、砂に頭を突っ込んだまま動けなくなっていたことです。彼はお金を何にも使わず、銀行家に預けることさえしませんでした。
- 彼は主人を、蒔かないところから刈り取る厳しい人だと見ていました。Davidは、この人物像がイエスという方とは相容れないと考えます。そもそもタラントを与えたのはこの主人であり、21節と23節で「よい忠実なしもべよ、よくやった。あなたは小さい事に忠実であったから、さらに多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と答えるのも、この主人だからです。
- 最初の二人は、何をすべきかを正確にわかっていました。三人目は、主人がどのような人なのかを誤解していたのです。
- それは私たちにも起こります。神がどなたであるか、神のうちにある自分が何者であるかを忘れ、それと同時に、神がゆだねてくださった賜物が何のためにあるのかも忘れてしまうのです。
4. それぞれの能力に応じて
- この箇所を読んだとき、Davidはまず金額を比べてしまいました。ある人は5タラント、ある人は2タラント、ある人は1タラントしか受け取らないのは不公平だと感じたのです。
- クリスチャン生活では、比べることは簡単です。肩越しに周りを見て、兄弟姉妹が持っているものに比べて自分のものは取るに足りないと思ったり、ネット上で自分よりはるかに霊的に見える人たちを見たりするのです。
- しかし15節にはこうあります。「おのおのの能力に応じて」。あなたの母の胎内であなたを組み立てた方以上に、あなたをよく知っている人がいるでしょうか。その方は、あなたが何を担えるかを正確にご存じです。
- 私たちの違いは、誰かを重要でなくするものではありません。「もしからだ全体が目であったら、どこで聞くのか」(コリント人への手紙第一12:17-20)。神は御心のままに各部分を置かれました。私たちは違うからこそ互いを補い合い、キリストの光を少しでもよく映し出せるのです。
- Davidが最も尊敬する登場人物は、二人目のしもべです。彼は最初の人ほど受け取らなかったのに、不平を言わず、働きに出て、さらに2タラントをもうけました。主人は最初の人と同じ言葉で彼に答えます。大切なのは必ずしも生み出した量ではなく、受け取ったものでどれだけ努力したかなのです。
5. 神から遠く感じるとき
- これほど豊かに与えられているということは、それらの賜物をよく管理する責任を負うことでもあります。それは重く感じられることがあります。特に、神から遠く感じる季節にはそうです。
- Davidは率直に語ります。このところ、少しそのような状態にあると。聖書を読むことも祈ることも規則正しくできておらず、ただ機械的にこなしているように感じることもあり、数週間の余裕があったにもかかわらず、このメッセージの準備を直前まで先延ばしにしてしまったそうです。
- 人生のほかのことに忙しすぎて、気づけば神をおろそかにしてしまうことがあります。彼は軌道から外れてしまったように感じており、「あるいは、単に今通っている季節なのかもしれません」と語ります。
- 彼を慰めているのは、人生の嵐の中でどれほど遠く感じ、迷っていても、神が共に歩み、追い求めてくださるということです。「わたしたちは不忠実であっても、彼は常に忠実である。彼は自分を偽ることができないのである」(テモテへの手紙第二2:13)。
- 大切なのは、羊が羊飼いの声を聞き分けるように、神の声をよりよく聞き分けることを学ぶことです。神はさまざまな方法でご自身を現されます。ありふれたことの中にも、そして特にあなたの周りの人たちを通しても現されます。これも、信徒の交わりがとても大切である理由のひとつです。
6. 「自分が誰かを忘れないで」
- 神の声を聞き分けることは、神がどなたであり、あなたが何者であるかを思い出すことと結びついています。しもべたちと同じです。主人を本当に知っているなら、その賜物を最善の形で用いることができます。
- Davidは、F1ドライバーのLewis Hamiltonを例に挙げます。史上最高のドライバーのひとりとされ、グランプリ優勝回数の記録を持つ人物です。MercedesからFerrariに移籍してから、勝てない時期が続き、インタビューで自分のことを「役立たず」と呼ぶほどだったと、Davidは語ります。
- ファンたちは、ひとつの言葉を繰り返し彼に送りました。「自分が誰かを忘れないで」。その言葉は彼の心に響き、そのすぐあと、説教者によれば、彼はカタルーニャ・グランプリで優勝しました。Ferrariでの初優勝です。
- 「あの言葉は本当に心に残りました」。自分が誰であるかを思い出して初めて、彼は再び最高の力を発揮できたのです。
7. 短距離走ではなくマラソン
- 信仰は一生にわたる献身であり、いつも完璧に調子が合っていると感じることは不可能です。年を重ねるにつれ、Davidは信仰が短距離走というよりマラソンであることを理解しました。強さには波があります。大切なのは、前に進み続け、神を求め続けることです。神は、あなたの人生のあらゆる段階であなたに追いついてくださいます。
- 「わたしたちをあなたがたと共にキリストのうちに堅く支え、わたしたちに油を注がれたかたは、神である。神はまた、わたしたちに証印を押し、その保証として、御霊をわたしたちの心に賜わったのである」(コリント人への手紙第二1:21-22)。あなたは永遠に神の子であり、御国に迎え入れられた者です。
- この責任を、あなたがひとりで担うように造られたわけではありません。聖霊は賜物の源であるだけでなく、その管理も助けてくださいます。「あなたにゆだねられた良いものを、わたしたちの内に宿っている聖霊によって守りなさい」(テモテへの手紙第二1:14)。
- この走りには意図的な姿勢が求められます。種に土と水と養分と太陽が必要なように、あなたの霊にも日ごとの糧が必要です。祈り、みことば、神の臨在への注意です。永遠の光である神に近づくとき、種は育っていきます。
- エペソ人への手紙4章は、この成熟を描いています。謙遜と柔和と寛容をもって賜物を用い、「平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努め」(2-3節)、ついには私たちすべてが「神の御子に対する信仰と知識との一致に到達する」(13節)まで進むのです。私たちの主人を知れば知るほど、ゆだねられたものをよりよく用いることができます。
- 体や植物のように、信仰も成長します。幹は固くなり、キリストにある土台は強められ、物語の子どもは、やがて父のような庭を持つようになります。「全身」が成長を得て、「愛のうちに育てられていく」のは、キリストからです(15-16節)。
- Davidはこう結びます。人生はどのみち激しい旅なのだから、いのちを造られた方とともに過ごすことほど良い過ごし方があるでしょうか。自分が誰かを忘れないでください。永遠に愛されている神の子、神が望んでおられ、人々が必要としている唯一無二の存在です。あなたの種は実を結び、ほかの人たちがあなたの人生を通して主が恵み深い方であることを味わい、知ることができるでしょう。神の庭に植えられ、天候がどうであっても与え続ける土の中で。
心に留めたいポイント
- 神はあなたの中に計り知れない価値の賜物を置かれました。それは霊的な賜物だけでなく、あなたの家族、友人、日々の生活でもあります。
- 三人目のしもべは、主人を誤解していたためにタラントを埋めてしまいました。神をありのままに知ることは、与えられたものを実らせる自由をもたらします。
- ひとりひとりが能力に応じて受け取ります。比べる必要はなく、大切なのは受け取ったもので努力することです。
- 神から遠く感じるときでも、神は忠実であり続け、あなたを追い求めてくださいます。自分が誰かを忘れないでください。あなたは永遠に神の子です。
- 信仰はマラソンです。聖霊は良いものを守ることを助けてくださり、祈りとみことばと交わりが種を育てます。
個人的な適用
- 神がゆだねてくださった賜物、人、機会のうち、まだ「瓶の中」にしまったまま、植えていないものは何ですか。
- 今、あなたは神をどのような方として見ていますか。厳しい主人でしょうか。それとも、与えてくださり、「よい忠実なしもべよ、よくやった」と言ってくださる方でしょうか。
- どの分野で自分を他の人と比べていますか。神が「おのおのの能力に応じて」与えてくださると思い出すと、何が変わりますか。
- 神から遠く感じる季節を通っているなら、今週、祈り、みことばを読むこと、信徒の交わりのうち、どんな小さな具体的な一歩を踏み出せますか。
- あなたの周りに、「自分が誰かを忘れないで」という言葉を聞く必要がある人は誰ですか。
引用された聖句
- マタイの福音書25:14-30
- エペソ人への手紙4:1-16
- マタイの福音書13:7
- ヤコブの手紙1:17
- 詩篇139:13
- コリント人への手紙第一12:17-20
- テモテへの手紙第二2:13
- ヨハネの福音書10:27
- コリント人への手紙第二1:21-22
- テモテへの手紙第二1:14
- 詩篇34:8
よくある質問
マタイ25章のたとえで、1タラントは何を表していますか。
説教者は、1タラントが約20年分の給料に相当する単位だったことを指摘しています。ですから5タラントを受け取ったしもべは、100年分の給料、つまり一生分の労働を超える額を受け取ったことになります。神が私たちにどれほど投資し、どれほど信頼してくださっているかがわかります。
なぜ三人目のしもべはタラントを埋めたのですか。
彼は主人を、蒔かないところから刈り取る厳しい人だと見ていました。けれども、タラントをゆだねたのはこの同じ主人であり、ほかの二人に「よい忠実なしもべよ、よくやった」と言うのもこの主人です。三人目のしもべは主人を誤解していました。私たちも、神がどなたであるかを忘れ、その結果、神が与えてくださった賜物が何のためにあるのかを忘れてしまうことがあります。
神から遠く感じるときはどうすればよいですか。
説教者自身も、そのような時期を通っていると率直に語っています。彼はテモテへの手紙第二2:13に支えられています。私たちが不忠実であっても、神は忠実であられます。周りの人たちを通してを含め、神の声を聞き分けることを学び、前に進み続けるよう勧めています。信仰は短距離走というよりマラソンだからです。