聖書 — 口語訳 (1955)
詩篇 139
概要
詩篇139篇は、神が一人ひとりを知っておられることを歌うダビデの賛歌です。神は探り、私たちの思いも、口に出す前の言葉も知っておられます。天にも暗闇にも、神の御前から逃れられる場所はありません。神は母の胎内で一人ひとりを織り成し、私たちへの御思いは数えきれません。詩は、神よ、私を探り、とこしえの道に導いてくださいという祈りで終わります。
表題によると、詩篇139篇はダビデの詩で、指揮者にゆだねられています。つまり、礼拝で歌うための詩です。表題は状況を述べていません。すべてを知り、どこにでもおられ、一人ひとりを形づくられる神についての黙想ですが、決して抽象的ではありません。最初の節から最後の節まで、ダビデは神に向かって「あなた」と語りかけています。詩は、悪しき者に対する叫びと、調べてほしいという願いで終わるため、不当に訴えられた人が、自分の訴えを神にゆだねる祈りだと見る人もいます。今日、クリスチャンは、孤独や、理解されない思い、自分には価値がないという思いのとき、子どもが生まれるとき、生まれる前のいのちの尊さを考えるとき、また聖餐の前など神の前で自分を見つめるときに、この詩篇を読みます。
この章の5つの区分
1主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。
2あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。
3あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。
4わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。
5あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。
6このような知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません。これは高くて達することはできません。
7わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。
8わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。
9わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、
10あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。
11「やみはわたしをおおい、わたしを囲む光は夜となれ」とわたしが言っても、
12あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます。あなたには、やみも光も異なることはありません。
13あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。
14わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。
15わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合わされたとき、わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。
16あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日の まだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。
17神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。
18わたしがこれを数えようとすれば、その数は砂よりも多い。わたしが目ざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます。
19神よ、どうか悪しき者を殺してください。血を流す者をわたしから離れ去らせてください。
20彼らは敵意をもってあなたをあなどり、あなたに逆らって高ぶり、悪を行う人々です。
21主よ、わたしはあなたを憎む者を憎み、あなたに逆らって起り立つ者を いとうではありませんか。
22わたしは全く彼らを憎み、彼らをわたしの敵と思います。
23神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを 知ってください。
24わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。
詩篇139篇を節ごとに読む
1-4節神は私を知っておられる:隠れたものは何もない
詩は一つの事実で始まります。「主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました」。探るとは、地面を深く掘って地下を調べるように、隅々まで調べることです。ダビデが語るのは、何でも知っている神一般ではなく、この自分を知っておられる神です。座るときも立つときも、歩くときも伏すときも、ささいな動作から大きな決断まで、一日のすべてが神のまなざしの下にあります。神は遠くから思いを見分け、言葉が舌に上る前にそれを知っておられます。この知識は恐ろしくもなりえますが、ダビデにとってそれは何よりも関係です。彼は神に向かって「あなた」と呼びかけています。だれにも分かってもらえないと感じているなら、このまなざしはあなたを完全に知り、見捨てるどころか、あなたを囲んでいます。
5-6節神に囲まれ、私には高すぎる知識を前にする
「あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます」。この絵は二通りに読めます。それは引き止める手でしょうか、守る手でしょうか。ダビデはその間を行き来しているようです。神は過去の側である後ろにも、将来の側である前にもおられ、ひとりで放り出された瞬間は一つもありません。これほどの知識を前に、ダビデは自分の限界を認めます。「このような知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません」。すべてを理解しようとせず、驚嘆するのです。神について私たちを超える真理は、解くべき問題ではなく、礼拝する理由として受けとめるのが健全です。あなたの後ろにあるものも、前に待っているものも、あなた自身よりあなたを知っておられる方の手の中にあります。
7-10節どこへ逃げても神がおられる:それは恵み
ダビデは問います。「わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか」。彼は極端な場所を思い描きます。上は天、下は陰府、東はあけぼの、西は海のはてです。どこでも答えは同じで、神がそこにおられます。預言者ヨナは海に出て神から逃れようとし、それができないことを知りました(ヨナ書1章)。しかしダビデは、これを脅しとしては語りません。想像上の逃避行の果てに、約束を見いだします。「あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます」。引き止めるように見えた手が、導き、支えるのです。罪のため、また人生の痛みのために神から離れたと感じているなら、あなたは神にとって遠すぎる場所にはいません。神はもうあなたのいる所におられます。
11-12節やみでさえ、神には暗くない
ダビデは最後の隠れ場所を思い浮かべます。やみです。せめて闇なら、自分をおおってくれるのではないか、と考えるかもしれません。しかし夜でさえ、彼のまわりで光になります。「あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます」。聖書で闇は、本当の夜だけでなく、人生の暗い時期、うつ、喪の悲しみ、恥、人に隠れてしていることも指します。隠れたい人にとって、この節は警告です。何ものも神から逃れられません。暗闇の中で迷っている人にとっては慰めです。あなたの夜は神にとって暗くなく、神はあなたのいる所を見ておられ、そのみ手はなお導くことができます。すべてが暗く思える時期を通っていても、あなたは神の目に見えなくなってはいません。
13-14節母の胎内で織り成された、驚くべきみわざ
詩は神の臨在から、造り主としてのみわざへ移ります。「あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました」。「内臓」は、ヘブライ語では腎臓を指し、感情と良心が宿る人の最も奥深い部分を表します。「組み立て」は、ヘブライ語では糸を織り合わせる絵を思わせ、神は職人のように、一本ずつ丁寧にダビデを形づくられました。そこから賛美が生まれます。口語訳は、神が恐るべく、くすしい方だからと訳しますが、自分が驚くべく造られたからと訳す聖書も多くあります。どちらでも、ダビデが見つめているのは自分ではなく、造り主です。多くのクリスチャンは、この箇所から、母の胎内にいるときからすべての人のいのちに価値があると考えます。自分を受け入れにくいときも、あなたは神のみわざの一部です。
15-16節生まれる前から、神に見られていた
ダビデは重ねます。「わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合わされたとき、わたしの骨はあなたに隠れることがなかった」。だれにも見えない母の胎内が、地の深みにたとえられます。だれもその子を見ていないとき、神は見ておられました。16節はさらに進みます。「あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた」。この語は、まだ形のない存在、胎児を指します。顔を持つ前から、ダビデは神に知られていました。だから、この箇所は生まれる前のいのちを大切にするクリスチャンにとって重要で、生まれる前に子どもを失った親にとっても慰めです。最後に、その日々が神の書にしるされたとあります。神がどのように前もって日々を知っておられるかは、理解が分かれますが、あなたのいのちが神にとって偶然ではないという確信は共通です。
17-18節砂よりも多い、神のみ思い
自分について神が知っておられることを語ったあと、ダビデは神が思っておられることに目を向けます。「神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう」。『尊い』と訳された語は、貴重で値打ちがあるという意味で、神のみ思いはダビデにとって宝のようです。それを数えようとすれば、「その数は砂よりも多い」とダビデは言います。彼を底まで知る神は、冷たい調査官ではなく、いつも彼のことを思っておられます。続いて、素朴で心に触れる言葉が来ます。「わたしが目ざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます」。数えながら眠ってしまったのか、毎朝のことなのかは分かりません。どちらでも、夜は関係を断ちませんでした。不安を抱えて目が覚める朝、この節を一日の最初の思いにできます。あなたが眠っている間も神はそこにおられ、いまもおられます。
19-22節悪と神の敵に対する、率直な怒り
調子は突然変わります。「神よ、どうか悪しき者を殺してください」。ダビデは血を流す者、神に逆らって高ぶる者たちを語り、「わたしは全く彼らを憎み」とまで言います。これらの節は衝撃的で、礼拝で省く伝統もあります。それでも、あるがままに読む必要があります。ダビデは剣を取らず、自分で復讐する代わりに、神に行動を求めています。そして彼らを、まず神の敵として語っています。クリスチャンの読み方はさまざまで、神の義への正当な熱心と見る人もいれば、一語一語を認めはしなくても神が受けとめてくださる人間の叫びと見る人もいます。敵を愛し、迫害する者のために祈れと言われたイエスの光のもとでは(マタイによる福音書5章44節)、悪をきっぱり拒み、さばきを神にゆだねる言葉として聞けます。そして、ダビデはそこで終わりません。
23-24節神よ、私を探ってください:開かれた心の祈り
悪しき者のことを語ったあと、ダビデは光を自分に向けます。「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り」。詩は、神が自分を探っておられるという事実で始まり、神に探ってほしいという願いで終わります。神からどこへ逃げようかと問うた人が、いま神に心を開きます。敵に対して自分は正しいと認めてほしいのではなく、怒りの中も含めて試されることを願っています。『思い』と訳された語は、ヘブライ語では心をざわつかせる思い、つまり心配を指します。そして祈りが来ます。「わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください」。これは、一人で不安になるまで自分を吟味することではなく、神に見ていただき、正していただくことです。クリスチャンはここに、自分を道と呼ばれたイエスの響きを聞きます(ヨハネによる福音書14章6節)。この箇所を祈るとは、自分についての思い込みより、神の真実を選ぶことです。
詩篇139篇の祈り方
この詩篇を祈るとき
- 孤独で、だれにも理解されておらず、自分の状況をだれも知らないように思えるとき。
- 自分の体や過去、限界を受け入れにくいとき。
- 妊娠中や子どもが生まれるとき、その子を神にゆだねるために。
- 生まれる前に子どもを失ったあとに。
- 神から離れ、もう戻れないほど遠くに来たと思うとき。
- 夜、不安で眠れないとき、また朝の目ざめに。
- 聖餐の前や大きな決断の前に、神に心を探っていただくために。
詩篇139篇に基づく祈り
主よ、あなたは私を探り、私を知っておられます。私が座るときも立つときも、あなたはご存じで、舌に上る前の言葉さえ知っておられます。そのまなざしが怖くなることがあります。あなたに何も隠せないからです。でも、あなたは私をつぶすために見ておられるのではなく、導くために、み手を私の上に置いてくださいます。あなたから離れて、どこへ行けるでしょうか。最も暗い夜にも、あなたはそこにおられ、やみもあなたには暗くありません。母の胎内で私を組み立ててくださったことを感謝します。自分の値打ちを疑うとき、私があなたの手のわざであり、生まれる前からあなたの目に見られていたことを思い出させてください。あなたの私へのみ思いは、砂よりも多いのです。そこに安らぐことを教えてください。悪と、私を苦しめる人への怒りも、あなたにゆだねます。憎しみと復讐から私を守り、さばきはあなたにお任せします。神よ、私を探り、心を知ってください。私を試み、思い煩いを知ってください。私に悪しき道があるかを見て、イエスに従いながら、とこしえの道に導いてください。アーメン。
鍵となる聖句
主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。 あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。
ダビデは抽象的な知識を語っているのではありません。神は彼を個人的に探り、その行い、思い、内面の生活を知っておられます。
わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。 わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。 わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、 あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。
神の臨在から逃れられる場所はありません。この真理は不安を呼ぶかもしれませんが、ダビデはそこに約束を見いだします。遠く離れても、神の御手が導いてくださるのです。
わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。
一人ひとりが、神の驚くべきみわざです。この節は、人の命の尊厳と、高ぶりのない自己受容の土台となります。
神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを 知ってください。 わたしに悪しき道のあるかないかを見て、わたしをとこしえの道に導いてください。
最後の祈りは、神に心を調べてくださるよう願います。義とされることではなく、正され、導かれることを求めています。
このテーマで祈る
説教が語っていること
詩篇139篇についてよくある質問
詩篇139篇はどんな意味ですか
詩篇139篇は、神がご自分を知っておられることについてのダビデの黙想です。神は彼の思いを見ておられ、どこにもおられ、生まれる前から彼を形づくり、その日々を定めておられました。この詩は、神に心を探ってくださるようにとの最後の祈りへと導きます。孤独や無価値を感じている人にとっての慰めの言葉です。
詩篇139篇14節の、私は驚くべきわざとして造られたとはどういう意味ですか
14節でダビデは、自分が驚くべきわざ、見事な作品として造られたことで神をほめたたえます。自分を誇るのではなく、すべての人に対する創造主のみわざを認めているのです。この節は、弱さや障がいのある命も含め、すべての命の価値を語るためによく引かれますが、中心はあくまで神への賛美です。
詩篇139篇はどのように祈り、黙想すればよいですか
三つの段階で黙想しましょう。1節から6節を読み、神があなたを余すところなく知っていてくださることに感謝します。次に7節から12節を読み、神から遠いと感じる人生の場面を神にゆだねます。最後に23節と24節で、心を探り、正しい道に導いてくださいと願います。
詩篇 139を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。