はじめに
試練の中にあると、孤独や疲れを感じ、前に進む力を失いやすいものです。しかし聖書は、苦しむ人々のそばに神が共にいてくださり、状況がどれほど暗く見えても、その人の益のために働いてくださることを繰り返し語っています。この記事では、ルイ・スゴン訳(フランス語訳)に基づく20の慰めの聖句を、「試練の中における神の臨在」「神が与える平安」「新たにされる力」「失望に終わらない希望」「あらゆる慰めの神」という五つのテーマに分けて紹介します。それぞれの参照箇所から本文全体にアクセスできるので、黙想したり、暗唱したり、これらの言葉をもって祈ったりすることができます。
試練の只中にある神の臨在
1. イザヤ書41章10節
恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。
この聖句は、神に見捨てられたと思い込みそうになっていた、亡命中の落胆した民に語られたものです。神はご自身で答えられます。苦難を傍観するのではなく、その中に入って強め、支えてくださるのです。試練の中では、不安な思いで状況を見つめ続けるのをやめ、助けを約束してくださる方に目を向けるようにと、この聖句は招いています。イザヤ書41章10節を聖書で読む。
2. 詩篇23篇4節
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。
ダビデは神を、群れを最も危険な道でも導かれる羊飼いにたとえています。信頼は危険がないことから生まれるのではなく、導き守ってくださる方が共にいてくださることから生まれます。この聖句は、最も暗い夜に繰り返し唱えるシンプルな祈りとなり得ます。詩篇23篇4節を聖書で読む。
3. 申命記31章6節
あなたがたは強く、かつ勇ましくなければならない。彼らを恐れ、おののいてはならない。あなたの神、主があなたと共に行かれるからである。主は決してあなたを見放さず、またあなたを見捨てられないであろう」。
モーセは、恐れに屈することなく約束の地という未知の世界に入っていくよう、イスラエルを励まします。この勇気の理由は民の力ではなく、神が共に歩み、決して見捨てないという約束にあります。この確信は、人生のあらゆる不確かな段階においても変わらず有効です。申命記31章6節を聖書で読む。
4. 詩篇34篇19節
正しい者には災が多い。しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。
この聖句は困難のない人生を約束しているのではなく、神が御自分に属する者たちを真実に救い出してくださることを断言しています。災いが最後の言葉ではなく、その後には必ず主の介入が続きます。試練が長引き、救いが遅れているように感じるときに心に留めておきたい言葉です。詩篇34篇19節を聖書で読む。
すべての理解を超える平安
5. ヨハネによる福音書14章27節
わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
イエスはご自分の受難の直前、弟子たちが大きな試練を通ろうとしているまさにその時にこの言葉を語られました。その平安とは困難な状況がないことではなく、イエス御自身が与えてくださる内なる安定です。この聖句は、自分の努力でその平安を作り出そうとするのではなく、贈り物として受け取るようにと招いています。ヨハネによる福音書14章27節を聖書で読む。
6. ピリピ人への手紙4章7節
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。
パウロはこの言葉を獄中から書いており、それがこの約束に特別な重みを与えています。この平安は理屈で説明できるものではなく、状況が許すはずの希望をはるかに超え、見張り番のように心を守ります。それは状況を完全にコントロールすることの結果ではなく、信頼をもって祈ることから生まれる実りです。ピリピ人への手紙4章7節を聖書で読む。
7. マタイによる福音書11章28節
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
イエスは、人生に肉体的にも精神的にも疲れ果てた人々に語りかけておられます。まず自分を改めることを求めるのではなく、重荷を背負ったまま、ありのままの姿で来るようにと言われます。この聖句は、祈りや御前の沈黙の中で、重く感じているものを降ろすようにという直接の招きです。マタイによる福音書11章28節を聖書で読む。
8. 詩篇55篇22節
あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。主は正しい人の動かされるのを決してゆるされない。
ダビデは親しい者に裏切られるという、とりわけ痛みの深い試練の中でこの詩篇を書いています。状況の重さを一人で背負う代わりに、彼はそれを神にゆだねることを選びます。神は支えると約束してくださいます。この聖句は、重く感じているものを神の前で言い表し、その結末を神にゆだねるという具体的な行動を促します。詩篇55篇22節を聖書で読む。
主によって新たにされる力
9. イザヤ書40章31節
しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。
この聖句はクリスチャン生活の三つの速度、すなわち飛ぶこと、走ること、歩くことを描いています。試練の中で最も遅く、最も平凡な歩みであっても、新たにされる力の約束は変わらず有効です。それは試練を通る人の生まれつきの能力ではなく、神への信頼に基づいています。イザヤ書40章31節を聖書で読む。
10. コリント人への第二の手紙12章9節
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
パウロは、持続する苦しみである「肉体のとげ」を取り除いてくださるよう神に懇願した後、この答えを受け取ります。神はそれを取り除かれませんでしたが、十分な恵みと、弱さの中でこそ現れる力を約束されました。この聖句は、解決されない試練への見方を変えます。それは神の力が最も明確に現される場所となるのです。コリント人への第二の手紙12章9節を聖書で読む。
11. ピリピ人への手紙4章13節
わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。
パウロは、豊かな中にあっても乏しい中にあっても満足することを学んだと述べた後にこの言葉を書いています。これは無限の成功の約束ではなく、キリストがあらゆる状況を乗り越えるために必要な力を与えてくださるという確信です。それは受け取り、新たにされ続ける力であって、決して自己充足ではありません。ピリピ人への手紙4章13節を聖書で読む。
12. 詩篇73篇26節
わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。
詩篇の作者は、悪しき者たちが繁栄しているように見えるのを見て、深い信仰の危機を経験したばかりです。彼は自分の体と心が衰え尽きることもあると認めますが、神は自分自身の力を超えた、揺るがない岩であり続けると告白します。この言葉は、心身をすり減らす試練の中で特に慰めとなります。詩篇73篇26節を聖書で読む。
失望に終わらない希望
13. ローマ人への手紙8章28節
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。
パウロは、起こることすべてがそれ自体で良いものだと言っているのではなく、神は最も痛みを伴う出来事も含め、御自身を愛する者たちのために、すべてのことを通して働いておられると言っています。この約束は、試練を即座に理解できることに基づくのではなく、神の計画の真実さに基づいています。それは、今この時の解釈を神の手にゆだねるようにと招いています。ローマ人への手紙8章28節を聖書で読む。
14. ローマ人への手紙5章3節
それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
パウロはここで、苦しみに対する通常の見方を逆転させています。それは単に耐え忍ぶべきものではなく、成長の場となり得るのです。神と共に通る患難は、人格を形成する忍耐を生み出します。この聖句は、苦しみそのものを喜ぶことを求めているのではなく、神がそこから生み出すものに望みを置くことを求めています。ローマ人への手紙5章3節を聖書で読む。
15. ヤコブの手紙1章2節
わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。
ヤコブは、迫害や日々の困難によって散らされ、試みられている信者たちに書き送っています。彼は痛みを否定するようにとは求めず、その中に忍耐と成熟を生み出す神の働きを見出すようにと求めています。この言葉は、今味わっている試練を、その瞬間よりも広い視野の中に置き直す助けとなります。ヤコブの手紙1章2節を聖書で読む。
16. コリント人への第二の手紙4章17節
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
投獄、難破、迫害を経験したパウロは、苦しみを軽んじることなく、それを永遠と対比させて捉えています。今日重く感じられるものも、彼が告げる栄光の重さと比べれば「軽い」ものとなります。この聖句は、今この瞬間を超えて先を見つめることで、長い道のりを耐え抜く助けとなります。コリント人への第二の手紙4章17節を聖書で読む。
あらゆる慰めの神
17. コリント人への第二の手紙1章3節
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。
パウロはこの手紙を、自らの苦しみを語る前に、まず神がどのような方であるかをたたえることから始めています。慰めは神が持つ数ある属性の一つに過ぎないのではなく、父としての神の深い本質として示されています。神のこのアイデンティティを思い起こすことは、試練の中でのあらゆる祈りに先立ち、その土台となり得ます。コリント人への第二の手紙1章3節を聖書で読む。
18. 詩篇34篇18節
主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。
この聖句は、うまくいっている人々にではなく、まさに心が砕かれ、霊が打ちひしがれている人々に語りかけています。神の近さは強さや見かけ上の信仰を条件とせず、打ちひしがれている状態そのものの中に現れます。立ち直ってからでなくても、そのまま受け取ることができる言葉です。詩篇34篇18節を聖書で読む。
19. 詩篇147篇3節
主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる。
この聖句は、星々を創造された方であると同時に、砕かれた心を癒す方である神をたたえる賛美の詩篇に属しています。包帯のイメージは、瞬間的で人間味のない癒しではなく、忍耐深く行き届いた手当てを思わせます。それは、最も内密な傷を隠すことなく、神に近づいていただくようにと招いています。詩篇147篇3節を聖書で読む。
20. ヨハネの黙示録21章4節
人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
この約束は、神が御自分の民と共に完全に住まわれる新しい創造の幻の中に位置づけられています。それは今ある嘆きや痛みの現実を否定するのではなく、それらが決定的に消え去ることを告げています。この聖句は今の試練に限界を与えます。それは永遠には続きません。なぜなら、以前のものは過ぎ去っていくからです。ヨハネの黙示録21章4節を聖書で読む。
よくある質問
これらの慰めの聖句を日々どのように黙想すればよいですか?
朝に一つの聖句を選び、それをゆっくりと声に出して読み、日中それを自分自身の祈りとして言い換えてみてください。多くの聖句を次々と読むよりも、同じ聖句に何度も立ち返るほうが、試練の中ではしばしばより助けになります。
困難な時期に優先して暗唱すべき聖句はどれですか?
イザヤ書41章10節、ピリピ人への手紙4章6〜7節、詩篇34篇18節は、特に短く、具体的で覚えやすい聖句です。不安を感じる瞬間にこれらを心の中で繰り返すことで、神の臨在と約束へと意識を向け直すことができます。
これらの聖句をそのまま祈りとして用いることはできますか?
はい。聖句を祈りに変えるとは、単純にそれを一人称で神に向けて言い直すことです。例えば、イザヤ書41章10節から「共にいてくださってありがとうございます。恐れに負けないようにしてください」というように。これは御言葉を神との対話に変えるための、シンプルな方法です。
メモを取ったり質問したりするにはサインインしてください。