聖書 — 口語訳 (1955)

イザヤ書 40

概要

イザヤ書40章は、慰めの言葉で書の後半を開きます。神はご自分の民の心に語りかけ、その捕囚の時は終わったと告げます。主の道を備えよと呼ぶ声が響き、「あなたがたの神を見よ」という良い知らせが告げられます。続いて預言者は、諸国民や偶像と比べることのできない、創造主の偉大さを示します。章は、疲れ果てた者への約束で結ばれます。主を待ち望む者は、新しい力を得るのです。

この章の3つの区分

  1. 1-11節わが民を慰めよ:声と栄光と羊飼い
  2. 12-26節比べるもののない神:創造主、諸国民の主、偶像よりも大いなる方
  3. 27-31節なぜ、わたしの道は隠されていると言うのか:神は力を新たにされる

1あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、

2ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を 主の手から受けた」。

3呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。

4もろもろの谷は高くせられ、もろもろの山と丘とは低くせられ、高低のある地は平らになり、険しい所は平地となる。

5こうして主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る。これは主の口が語られたのである」。

6声が聞える、「呼ばわれ」。わたしは言った、「なんと呼ばわりましょうか」。「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。

7主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。

8草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉は とこしえに変ることはない」。

9よきおとずれをシオンに伝える者よ、高い山にのぼれ。よきおとずれをエルサレムに伝える者よ、強く声をあげよ、声をあげて恐れるな。ユダのもろもろの町に言え、「あなたがたの神を見よ」と。

10見よ、主なる神は大能をもってこられ、その腕は世を治める。見よ、その報いは主と共にあり、そのはたらきの報いは、そのみ前にある。

11主は牧者のようにその群れを養い、そのかいなに小羊をいだき、そのふところに入れて携えゆき、乳を飲ませているものをやさしく導かれる。

12だれが、たなごころをもって海をはかり、指を伸ばして天をはかり、地のちりを枡に盛り、てんびんをもって、もろもろの山をはかり、はかりをもって、もろもろの丘をはかったか。

13だれが、主の霊を導き、その相談役となって主を教えたか。

14主はだれと相談して悟りを得たか。だれが主に公義の道を教え、知識を教え、悟りの道を示したか。

15見よ、もろもろの国民は、おけの一しずくのように、はかりの上のちりのように思われる。見よ、主は島々を、ほこりのようにあげられる。

16レバノンは、たきぎに足りない、またその獣は、燔祭に足りない。

17主のみ前には、もろもろの国民は無きにひとしい。彼らは主によって、無きもののように、むなしいもののように思われる。

18それで、あなたがたは神をだれとくらべ、どんな像と比較しようとするのか。

19偶像は細工人が鋳て造り、鍛冶が、金をもって、それをおおい、また、これがために銀の鎖を造る。

20貧しい者は、ささげ物として 朽ちることのない木を選び、巧みな細工人を求めて、動くことのない像を立たせる。

21あなたがたは知らなかったか。あなたがたは聞かなかったか。初めから、あなたがたに伝えられなかったか。地の基をおいた時から、あなたがたは悟らなかったか。

22主は地球のはるか上に座して、地に住む者をいなごのように見られる。主は天を幕のようにひろげ、これを住むべき天幕のように張り、

23また、もろもろの君を無きものとせられ、地のつかさたちを、むなしくされる。

24彼らは、かろうじて植えられ、かろうじてまかれ、その幹がかろうじて地に根をおろしたとき、神がその上を吹かれると、彼らは枯れて、わらのように、つむじ風にまき去られる。

25聖者は言われる、「それで、あなたがたは、わたしをだれにくらべ、わたしは、だれにひとしいというのか」。

26目を高くあげて、だれが、これらのものを創造したかを見よ。主は数をしらべて万軍をひきいだし、おのおのをその名で呼ばれる。その勢いの大いなるにより、またその力の強きがゆえに、一つも欠けることはない。

27ヤコブよ、何ゆえあなたは、「わが道は主に隠れている」と言うか。イスラエルよ、何ゆえあなたは、「わが訴えはわが神に顧みられない」と言うか。

28あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。

29弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。

30年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。

31しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。

鍵となる聖句

1-2節
あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を 主の手から受けた」。

書の調子が変わります。さばきのあとに、慰めが来るのです。神はご自分の民に、そのとがは償われ、捕囚の時は終わったと告げられます。

8節
草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉は とこしえに変ることはない」。

人は草のように過ぎ去りますが、神の言葉はとこしえに立ちます。すべてが頼りなく見えるときにも、この一節は揺るがない支えを与えてくれます。

11節
主は牧者のようにその群れを養い、そのかいなに小羊をいだき、そのふところに入れて携えゆき、乳を飲ませているものをやさしく導かれる。

10節の力ある神は、同時に、小羊を抱く優しい羊飼いとしても現れます。力強さと優しさは、一つに結びついています。

31節
しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。

この約束は、決して疲れないとは言っていません。主に信頼する者は力を新たにされ、神が長い道のりを支えてくださると語っているのです。

説教が語っていること

イザヤ書40章についてよくある質問

イザヤ書40章31節の「主を待ち望む」とは、どのように力を新たにすることですか

この聖句は、神に頼る人が疲れているときでも、神が支えてくださると約束しています。決して疲れないとは言っていません。新しくされた力によって、飛び、走り、歩くことができると語っているのです。主に信頼するとは、自分の持つ力だけに頼らず、主からの助けと導きを待つことです。

イザヤ書40章は何について書かれていますか

この章は、打ちひしがれた民に語りかけ、神が慰めに来られると告げます。神の言葉はとこしえに立つこと、神が羊飼いとして来られること、そして、どんな人間の力も偶像も神には似ていないことを思い起こさせます。章は、神はもう自分を見ておられないと思う人々に答えて結ばれます。神は疲れることなく、力を新たにしてくださるのです。

イザヤ書40章3節とバプテスマのヨハネにはどんな関係がありますか

四つの福音書は、荒野で叫ぶ声を、イエスの来臨を備えたバプテスマのヨハネに当てはめています。イザヤにとってそれは、まず民の帰還と主の来臨を備えることでした。クリスチャンは、この箇所がキリストの来臨によって完全に成就したと見ています。

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