聖書 — 口語訳 (1955)

イザヤ書 66

概要

イザヤ書の最後の章は、慰めとさばきをともに語ります。神は、どんな神殿も自分を入れることはできないと言い、へりくだって御言葉を恐れる者に目を留められます。心のない礼拝と、兄弟たちに退けられた人々の忠実さを対比させ、エルサレムの喜び、母の慰めのような慰め、そして火によるさばきを告げます。さらに、すべての国民を集めてご自身の栄光を見せ、すべての人がひれ伏しに来る新しくされた世界を約束されます。

この章の5つの区分

  1. 1-4節どんな神殿も神を入れることはできない:神はへりくだる者に目を留められる
  2. 5-9節退けられた忠実な人々と、突然生まれる民
  3. 10-14節エルサレムの喜びと、母の慰めのような慰め
  4. 15-17節火によるさばき
  5. 18-24節すべての国民が神の栄光を見る、そして新しい天

1主はこう言われる、「天はわが位、地はわが足台である。あなたがたはわたしのためにどんな家を 建てようとするのか。またどんな所がわが休み所となるのか」。

2主は言われる、「わが手はすべてこれらの物を造った。これらの物はことごとくわたしのものである。しかし、わたしが顧みる人はこれである。すなわち、へりくだって心悔い、わが言葉に恐れおののく者である。

3牛をほふる者は、また人を殺す者、小羊を犠牲とする者は、また犬をくびり殺す者、供え物をささげる者は、また豚の血をささげる者、乳香を記念としてささげる者は、また偶像をほめる者である。これはおのが道を選び、その心は憎むべきものを楽しむ。

4わたしもまた彼らのために悩みを選び、彼らの恐れるところのものを彼らに臨ませる。これは、わたしが呼んだときに答える者なく、わたしが語ったときに聞くことをせず、わたしの目に悪い事を行い、わたしの好まなかった事を選んだからである」。

5あなたがた、主の言葉に恐れおののく者よ、主の言葉を聞け、「あなたがたの兄弟たちはあなたがたを憎み、あなたがたをわが名のために追い出して言った、『願わくは主がその栄光をあらわして われわれにあなたがたの喜びを見させよ』と。しかし彼らは恥を受ける。

6聞けよ、町から起る騒ぎを。宮から聞える声を。主がその敵に報復される声を。

7シオンは産みの苦しみをなす前に産み、その苦しみの来ない前に男子を産んだ。

8だれがこのような事を聞いたか、だれがこのような事どもを見たか。一つの国は一日の苦しみで生れるだろうか。一つの国民はひと時に生れるだろうか。しかし、シオンは産みの苦しみをするやいなや その子らを産んだ。

9わたしが出産に臨ませて 産ませないことがあろうか」と 主は言われる。「わたしは産ませる者なのに 胎をとざすであろうか」と あなたの神は言われる。

10「すべてエルサレムを愛する者よ、彼女と共に喜べ、彼女のゆえに楽しめ。すべて彼女のために悲しむ者よ、彼女と共に喜び楽しめ。

11あなたがたは慰めを与えるエルサレムの乳ぶさから 乳を吸って飽くことができ、またその豊かな栄えから 飲んで楽しむことができるからだ」。

12主はこう言われる、「見よ、わたしは川のように彼女に繁栄を与え、みなぎる流れのように、もろもろの国の富を与える。あなたがたは乳を飲み、腰に負われ、ひざの上であやされる。

13母のその子を慰めるように、わたしもあなたがたを慰める。あなたがたはエルサレムで慰めを得る。

14あなたがたは見て、心喜び、あなたがたの骨は若草のように栄える。主の手はそのしもべらと共にあり、その憤りはその敵にむかっていることを知る。

15見よ、主は火の中にあらわれて来られる。その車はつむじ風のようだ。激しい怒りをもってその憤りをもらし、火の炎をもって責められる。

16主は火をもって、またつるぎをもって、すべての人にさばきを行われる。主に殺される者は多い」。

17「みずからを聖別し、みずからを清めて園に行き、その中にあるものに従い、豚の肉、憎むべき物およびねずみを食う者はみな共に絶えうせる」と主は言われる。

18「わたしは彼らのわざと、彼らの思いとを知っている。わたしは来て、すべての国民と、もろもろのやからとを集める。彼らは来て、わが栄光を見る。

19わたしは彼らの中に一つのしるしを立てて、のがれた者をもろもろの国、すなわちタルシシ、よく弓をひくプトおよびルデ、トバル、ヤワン、またわが名声を聞かず、わが栄光を見ない遠くの海沿いの国々につかわす。彼らはわが栄光をもろもろの国民の中に伝える。

20彼らはイスラエルの子らが清い器に供え物を盛って主の宮に携えて来るように、あなたがたの兄弟をことごとくもろもろの国の中から馬、車、かご、騾馬、らくだに乗せて、わが聖なる山エルサレムにこさせ、主の供え物とする」と主は言われる。

21「わたしはまた彼らの中から人を選んで祭司とし、レビびととする」と主は言われる。

22「わたしが造ろうとする新しい天と、新しい地が わたしの前にながくとどまるように、あなたの子孫と、あなたの名は ながくとどまる」と主は言われる。

23「新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝する」と 主は言われる。

24「彼らは出て、わたしにそむいた人々のしかばねを見る。そのうじは死なず、その火は消えることがない。彼らはすべての人に忌みきらわれる」。

鍵となる聖句

1-2節
主はこう言われる、「天はわが位、地はわが足台である。あなたがたはわたしのためにどんな家を 建てようとするのか。またどんな所がわが休み所となるのか」。 主は言われる、「わが手はすべてこれらの物を造った。これらの物はことごとくわたしのものである。しかし、わたしが顧みる人はこれである。すなわち、へりくだって心悔い、わが言葉に恐れおののく者である。

天は神の王座、地は神の足台です。どんな人間の家も神を入れることはできません。神は、苦しむ者、霊の砕かれた者、御言葉を恐れる者に目を留められます。これらの節は、使徒行伝でステパノが引用しています。

13節
母のその子を慰めるように、わたしもあなたがたを慰める。あなたがたはエルサレムで慰めを得る。

神は、ご自分の慰めを、子どもを慰める母の慰めにたとえます。この母のイメージは、神の優しさを表しますが、聖書が神を父と呼ぶことを変えるものではありません。

18節
「わたしは彼らのわざと、彼らの思いとを知っている。わたしは来て、すべての国民と、もろもろのやからとを集める。彼らは来て、わが栄光を見る。

神は、すべての国民とすべての言語を集めて、ご自身の栄光を見せると告げられます。すべての民への信仰の広がりは、すでに旧約聖書の中にあります。

22節
「わたしが造ろうとする新しい天と、新しい地が わたしの前にながくとどまるように、あなたの子孫と、あなたの名は ながくとどまる」と主は言われる。

新しい天と新しい地は神の前に続き、神の民の子孫も同じように続きます。この約束は、新しい創造が続くことに基づいています。

24節
「彼らは出て、わたしにそむいた人々のしかばねを見る。そのうじは死なず、その火は消えることがない。彼らはすべての人に忌みきらわれる」。

章は、厳粛なイメージで終わります。死なないうじと、消えない火です。イエスは福音書でこれらの言葉を取り上げています。クリスチャンの間で、その理解の仕方は分かれています。

このテーマで祈る

説教が語っていること

イエス・キリスト、神殿が崩れるときの確かな支えこのメッセージは、ステパノがイザヤ書66章1節と2節を引用していることを思い起こさせます。真の神殿は天であり、神との交わりの場は、決して建物に左右されたことがありません。要約を読む →高慢か、謙遜かデイビッド・ポティエは2節を引きます。神は苦しむ者、霊の砕かれた者に目を留められます。私たちはみな高ぶりを抱えています。問われているのは、高ぶりに安住するのか、へりくだりを求めるのかです。要約を読む →神は私たちにとって母のような方でもあるジャン=リュック・マンションは13節に基づき、聖書が神の心を表すのに母のイメージを用いていることを示します。ただし、神を母と呼ぶことは勧めず、神はあくまで私たちの父です。要約を読む →神への渇き:すべてを変える切なる願いケビン・アンゴは、神への渇きについてのメッセージで23節を引きます。本当に渇いている人は、明日に延ばさず、見つけるまで探し求めます。要約を読む →携挙のあと:患難、ハルマゲドン、そして千年王国ジャン=クロード・ヴィラは、千年王国について語る中で24節を引き、従わない者たちがいるだろうと述べます。終わりの時についての彼の読み方は、すべての教会に共有されているわけではありません。要約を読む →

イザヤ書66章についてよくある質問

イザヤ書66章2節はどういう意味ですか

この節は、神がどのような人に目を留められるかを語ります。苦しむ者、霊の砕かれた者、御言葉を恐れる者です。どんな家も神を入れることはできないと述べたあとで、神は、建物や儀式よりも、へりくだった注意深い心が大切だと示されます。このテーマは聖書全体を貫いています。

イザヤ書66章のメッセージは何ですか

神はご自分の民を慰め、逆らう者をさばき、すべての国民を集めてご自身の栄光を見せられます。この章は、うわべだけの宗教ではなくへりくだりを勧め、新しい天と新しい地を約束しています。さばきと終わりについてのイメージをどう適用するかは、読み手の間で意見が分かれます。

イザヤ書66章13節で、神は母のようなのですか

この節は、神の慰めを、子どもを慰める母の慰めにたとえています。これは比喩であり、イザヤ書49章15節のように、聖書にある他の母のイメージに加わるものです。福音派の教会は一般に、神は父として自らを現されると理解しつつ、神の優しさが母のような特徴でも描かれていることを認めています。

イザヤ書 66を引用している記事

← すべての章

口語訳(1955年)— パブリックドメイン。