はじめに
このメッセージは、2026年10月6日、日本の大阪オンヌリキリスト教会の早天祈祷会で語られたものです。説教者は、前日に始まった歴代志上19章の続きとして、8節から19節を取り上げています。
ヨアブは二つの軍勢に挟まれます。前にはスリヤびと、後ろにはアンモンの人々がいます。13節での彼の答えは、たった一言です。「主はみこころにかなう事をされるように」。説教者はここから三つの教えを引き出し、一人ひとりに問いかけます。あなたにとって、勝利とは何でしょうか。
メッセージの流れ
1. 誤解から生まれた戦い
- アンモンの人々の王ナハシが死んだとき、ダビデはその子ハヌンを慰めるために使者を送ります。説教者は強調します。これは親切な行いであり、ダビデの悲しみの率直な表れでした。
- ところがアンモンの首長たちは、ダビデが国を探り、攻撃の準備をするために間者を送ったのだと疑います。ハヌンは使者たちに恥をかかせて送り返し、アンモンの人々はスリヤびとを雇い入れます。
- 善意から出た行いが誤解され、戦争になってしまいます。説教者は、これは世の中でも、私たちの人間関係でも繰り返される型だと見ています。「あの人はきっと私を嫌っている」「あの言葉の裏には何かある」。相手の心の中を勝手に決めつけると、小さな問題が衝突になるまで大きくなっていきます。
- こうして深刻になった状況の中で、ダビデとヨアブがどう向き合ったのかを、この箇所は示しています。
2. 敵に囲まれても、恐れに支配されない
- アンモンの人々は町の入口に陣を敷き、助けに来た王たちは野に控えています。「ヨアブは敵が前後から攻めようとしているのを見て」(10節)。前にも後ろにも敵がいて、簡単な逃げ道はありません。
- 普通なら、こう思うでしょう。「どうしてこんなことになったのか。逃げるしかない、勝てるはずがない」。しかしヨアブは軍を二つに分けます。自分はイスラエルの精鋭を率いてスリヤびとに当たり、残りは弟アビシャイに任せてアンモンの人々に向かわせます。
- 彼は「必ず勝てる」とは言いません。神が共におられるのだから、すべて思いどおりになる、とも言いません。彼が言うのは、主のみこころにかなう事をされるように、ということです。
- あなたも、包囲されているように感じることがあるかもしれません。職場で、家庭で、人間関係で、ときには教会の中でさえも。一つの問題が片づくと、また別の問題が現れます。けれども説教者は思い起こさせます。「前にも後ろにも問題があることは、決して神がおられないということと同じではありません」。
- 目の前に立ちはだかる問題があっても、神が消えてしまうわけではありません。信仰の目で見るとき、問題がまだそこにあるままで、私たちと共におられる主、インマヌエルが見え始めます。恐れは退き、平安が与えられます。
- 「私たちが見るべきものは、敵の大きさだけではありません」。敵は見えたままですが、その後ろに、勝利を与えようとしておられる神が見えます。「それが信仰です」。
3. 勝利よりも、主に喜ばれることを求める
- 13節はこの箇所の中心です。ヨアブが求めたのは、自分と部下たちが望む結果ではありません。神が良いとされること、神のみこころにかなうことです。
- 私たちはよくこう祈ります。「主よ、私の思いどおりにしてください」。説教者は、先週の土曜日に行われたアジア大会の男子サッカー決勝、韓国対日本の試合に触れます。心を込めて応援し、祈りましたが、日本は負けました。
- 自分の願いを神に申し上げることは禁じられていません。けれども信仰が成熟するにつれて、祈りは変わっていきます。「思いどおりにしてください」から始まり、やがて「私の思いどおりにではなく、みこころのとおりになりますように」へと変わっていきます。
- 私たちは、つい勝利とは相手に勝つことや、望んだものを手に入れることだと考えます。しかし聖書が教えているのは別のことです。たとえ結果が期待どおりでなくても、神と共に忠実に歩み、みこころに従い、愛すべき人を愛し、赦すべき人を赦し、正しいことを選び、結果のすべてを神にゆだねた。「それこそがまことの勝利です」。
- 今日のタイトルである「主の目に喜ばれる勝利」は、「自分の目から見て勝つこと」という意味ではありません。神の目から見て、忠実に歩み、神のみこころに従ったということです。
- あなたは、結果も、他の人の心も、その反応も、明日何が起こるかも、コントロールできません。今日あなたにできることは一つだけです。主の目に良いことを選ぶことです。
- 具体的には、問いが変わります。「これを言うと自分に得だろうか」ではなく、「この言葉は主に喜ばれるだろうか」。「自分に何の得があるか」ではなく、「それは主の目に良いことだろうか」。「やり返すべきだろうか」ではなく、「主は私にどう生きてほしいと願っておられるだろうか」。こうした選択を一つ一つ重ねることで、信仰は強くなり、成熟していきます。
4. 自分の務めを果たし、結果を主にゆだねる
- ヨアブは「神が何とかしてくださる、私たちは何もしなくていい」とは言いません。彼は戦いに出て、作戦を立て、軍を二つの部隊に分けます。それぞれが自分の務めを果たします。
- 彼らは自分の受け持ちを精いっぱい果たし、最後に、結果をすべて神にゆだねます。「それがヨアブの信仰でした」。
- 14節と15節で、スリヤびとはヨアブの前から逃げ、それを見たアンモンの人々もアビシャイの前から逃げて町に入ります。人間の目には、イスラエルが勝ったように見えます。けれども、この勝利の背後には神がおられます。勝利を与えてくださったのは神です。
- それでもスリヤびとはあきらめません。彼らは川の向こう側の者たちを、ショパクの指揮のもとに呼び寄せます。ダビデは全イスラエルを集め、ヨルダンを渡って彼らを打ち破ります。ハダレゼルの家来たちはダビデと和を結び、スリヤびとは二度とアンモンの人々を助けようとしなくなります。
- 一つの勝利があっても、次の戦いが免除されるわけではありません。信仰の生活でも同じです。昨日神が助けてくださったからといって、今日は何もしなくてよいことにはなりません。昨日祈ったからといって、今朝祈りに来なくてよいわけではないのです。
- 「昨日の恵みは、今日の信仰を不要にはしません」。むしろ、昨日の神の助けを覚えているからこそ、今日こう申し上げることができます。あなたに信頼します。みこころにかなう選択ができるよう、助けてください。
5. あなたにとって、勝利とは何ですか
- 結びに、説教者は神がひとりひとりに投げかける問いを語ります。すべてが思いどおりになることでしょうか。相手に勝つことでしょうか。問題がなくなることでしょうか。願いがかなうことでしょうか。
- それを神に求めることは許されています。けれども、さらに大切なのは、神の目に良いことです。
- 今日一日、心に留めておきたい言葉があります。「勝利とは、物事が私の思いどおりになることではありません。主の目に良いことを選び、結果を主にゆだねることです」。
- 問題に取り囲まれ、どこを見て何をすればよいのか分からないと感じるときは、ヨアブの言葉を思い出してください。そして祈りましょう。主よ、自分の望むことだけでなく、あなたの目に良いことを求められますように。なすべきことに忠実にならせてください。そして結果をすべてあなたにゆだねられるよう、助けてください。
心に留めたいこと
- 疑いや誤解は、善意の行いを衝突に変えてしまうことがあります。相手の心の中を、あなたが勝手に決めつけないでください。
- 問題に囲まれていることは、神がおられないという意味ではありません。信仰の目で見れば、敵の後ろに主が見えます。
- ヨアブは、何としても勝利を、とは求めませんでした。主がみこころにかなう事をされるように、と委ねたのです。
- まことの勝利とは、忠実に歩み、愛し、赦し、正しいことを選び、結果を神にゆだねることです。
- 結果も他の人もコントロールできませんが、今日、主に喜ばれることを選ぶことはできます。
- 自分の務めを心を尽くして果たし、その後の結果は神にゆだねましょう。昨日の恵みは、今日の信仰を求めます。
自分への適用
- 相手の意図を知らないまま、勝手に思い込んでしまっている関係はありませんか。相手を善意に解釈したら、何が変わるでしょうか。
- 今、あなたの「前にも後ろにも」ある問題は何ですか。時間を取って、神の前でそれらを一つずつ言葉にし、それから目を上げて神を仰いでください。
- あなたの祈りは、主に物事が思いどおりになることを願うものが中心ですか。それとも、神のみこころがなされることも願っていますか。
- 今日、ある言葉を口にしたり決断をしたりする前に、自分に問いかけてください。それは主の目に良いことだろうか。
- 今あなたが通っている状況で、あなたが果たすべき務めは何ですか。それを忠実に果たし、残りは神にゆだねてください。
引用された聖句
よくある質問
歴代志上19章13節の「主はみこころにかなう事をされるように」とはどういう意味ですか
ヨアブは部下たちに、必ず勝てるとも、神が共におられるのだからすべて思いどおりになるとも約束しません。彼は戦いに身を投じ、何が良いことかは主の目にゆだねます。説教者にとって、これがこの箇所の中心です。望む結果ではなく、神に喜ばれることを求めるということです。
このメッセージによれば、まことの勝利とは何ですか
勝利とは、まず物事が私の思いどおりになることでも、相手に勝つことでも、問題がなくなることでもありません。たとえ結果が期待どおりでなくても、神と共に忠実に歩み、愛し、赦し、正しいことを選び、結果を主にゆだねたなら、それがまことの勝利です。
望むことを神に求めるのをやめるべきですか
いいえ。説教者は、祈りの中で自分の願いを神に申し上げることは許されていると述べています。ただし、信仰が成熟するにつれて、祈りは変わっていきます。「思いどおりにしてください」から、「私の思いどおりにではなく、みこころのとおりになりますように」へと変わっていくのです。