はじめに
二人の人が、まったく同じ状況を通ることがあります。けれども、その受け止め方も、結果も、経験そのものも、決して同じにはなりません。同じ出来事が、ある人を打ちのめし、別の人を成長させることもあるのです。ですから、大切なのは状況そのものではなく、あなたがそれをどう見るかということです。
これは、ジュニアス・アナネ師が「主よ、あなたの栄光を私に見せてください」というテーマで語った三回シリーズの、最後のメッセージの中心にある確信です。行き着く先はシンプルで、あなた自身に直接関わることです。神はあなたが通る状況の中にご自分の栄光を隠しておられ、あなたがそれを探し求めるのを待っておられます。神はあなたを、問題ばかりに目を向ける「奴隷のメンタリティー」から、その内側に隠された宝を探し求める「王のメンタリティー」へと招いておられるのです。
このメッセージ全体を貫く一節があります。「事を隠すのは神の誉れ、事を極めるのは王の誉れ」(箴言25:2)。そして、神があなたに繰り返し問いかけておられる問いはこれです。「あなたには、何が見えていますか。」
メッセージの構成
1. 同じ問題を前にした二つのメンタリティー
このシリーズでは、私たちに起こることをどう見るか、二つの見方が区別されてきました。奴隷のメンタリティーは、問題の複雑さばかりに目を向けます。障害を大きく見せ、問題について語り続け、それをどんどん膨らませていくのです。箴言はそのような人を「なまけ者」と呼びます。「外にはししがいる。わたしは町の広場で殺されるだろう」(箴言22:13)。彼はあちこちにししを見るだけでなく、自分自身を獲物として見てしまいます。彼は、自分が経験していることの中に神が隠しておられるものを探ろう、極めようとする努力を、まったくしないのです。
王のメンタリティーは、まさにその逆を行きます。神が状況の内側に隠しておられる宝に目を向けるのです。どんな問題を通っていようとも、その中に宝があることを知っています。なぜなら、キリストは私たちを王と祭司とするために死んでくださったからです。王であるということは、単なる立場ではありません。それは、メンタリティーの刷新であり、物の見方の変化なのです。
2. 鍵となる聖句:ローマ12:2と知性の刷新
「あなたがたは、この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心の一新によって自分を変えなさい。そうすれば、何が神のみこころであるか、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るようになります」(ローマ12:2)。
ジュニアス師は、この箇所を次のように言い換えています。「むしろ、あなたの思いが一新されることによって、自分自身を変えていただきなさい。内側の態度を違うものにしなさい。あなたの考え方に新しい向きを与え、神があなたに何を望んでおられるかを見分けられるようにしなさい。そうすれば、神の目に良いこと、神に喜ばれること、そして本当の成熟へとあなたを導くものを、見分けられるようになるのです。」
パウロは異邦人に向けて書いたのではありません。神の子どもたちに、ローマの教会に向けて書いたのです。人は、変えられることなく、救われ、回心することもあり得ます。しかし主は、あなたのメンタリティーもまた変えられることを望んでおられます。心の割礼、そして考え方の変革です。
3. カレブ:他の者が巨人を見るところで、乳と蜜を見る
十二人の偵察者がカナンの地に送られました(民数記13〜14章)。そのうち十人は、恐れに満ちた報告を持ち帰ります。「われわれが行き巡って探った地は、そこに住む者を食い尽くす地であった。そこで見たすべての民は、背の高い人々であった……われわれは自分の目にも、いなごのように見え、彼らの目にもそう見えたにちがいない」(民数記13:32〜33)。彼らは問題を大きくし、自分たちを簡単な獲物として見てしまいました。その結果、「全会衆は声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした」(民数記14:1)のです。
しかしカレブは、巨人たちに目を向けませんでした。彼は、神が約束してくださった相続地の祝福、乳と蜜の流れるその地を見つめていたのです。乳が地表を流れているのを見たわけではありません。蜜が流れているのを見たわけでもありません。けれども信仰の目によって、宝がその内側に隠されていることを悟ったのです。王のメンタリティーとは、まさにこのことです。極め、探し求め、そしてついには、他の人々が見ることのできなかった乳と蜜で満たされることです。
4. サムソン:食う者の中から食べる物が出た
サムソンがティムナに下って行くと、若いししが彼に向かってほえかかってきました。主の霊が彼の上に激しく下り、彼はそのししを引き裂きました。しばらくして再びそこを通ると、そのししの死骸の中に蜂の群れと蜜があるのを見つけます。彼はそれを手に取り、食べながら歩き、父と母にも分け与えました(士師記14:5〜9)。後に彼はペリシテ人になぞをかけます。「食う者の中から食べる物が出て、強い者の中から甘い物が出た」(士師記14:14)。七日間、誰もそれを解くことができませんでした。
けれども今日、あなたは御霊によって、ほんの数分でそれを理解することができます。サムソンはあなたにこう語りかけています。あなたを食い尽くそうとするもの、あなたが恐れているものの中にこそ、隠された宝があるのだと。自分のししを前にしても、彼は自分を獲物として見ませんでした。この戦いから生まれてくる蜜を見ていたのです。だからこそ、逃げなかったのです。あなたが今通っている状況を前にしても、逃げてはいけません。その内側には、やがてあなたの喜びとなる宝が隠されているのです。
5. ダビデ:ゴリアテを見るとき、あなたには何が見えるか
戦場で、ダビデはこの巨人の首にかけられた約束を耳にします。「王はこの者を打ち殺す人を大いに富ませ、自分の娘を与え、その父の家をイスラエルの中で自由の身にされるだろう」(サムエル記第一17:25)。すると、ダビデがゴリアテを見るとき、もはやゴリアテそのものは見えなくなります。彼が見るのは富であり、美しい妻であり、一家全体が負債から解放されることでした。彼は武装を解かれてしまいます……障害の向こうに見えるもののゆえに。石が飛ぶ前から、巨人はすでに死んでいたのです。
教訓は同じです。あなたの障害は、姿を変えた奇跡なのです。紅海も、姿を変えた奇跡でした。燃える炉も、姿を変えた奇跡でした。ししの穴も、姿を変えた奇跡でした。ゴリアテもそうです。主は、あなたを恐れさせるものの背後に、いつも何か大きなものを隠しておられるのです。
6. 神はあなたの弱さの中にご自身の力を隠しておられる
自分のとげのゆえに嘆願していた使徒パウロに、主はこう答えられました。「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」(コリント第二12:9)。神はどこにその力を隠しておられるのでしょうか。それは私たちの弱さの中です。ですから、あなたが弱いときには、神があなたの弱さの中に隠しておられる宝を探し求めなさい。あなたのできなさは、神の力を作動させるスイッチのようなものになるのです。パウロはこう続けます。「ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」
7. 信仰の目:「あなたには何が見えていますか」
イエスはこう言われました。「からだの明かりは目です。だから、あなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいでしょう。しかし、あなたの目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう」(マタイ6:22〜23)。あなたがキリストに心をささげるとき、あなたの知性も、思いも、目も、同時にキリストにささげなければなりません。サムソンが蜜を見たのも、カレブが乳と蜜を見たのも、モーセが解放を見たのも、信仰の目によってでした。あなたのししを前にしても、問いは変わりません。「あなたには、何が見えていますか。」
8. 最後の宝:イエス・キリスト
「天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はそれを見つけると隠しておき、大喜びで帰り、持ち物をすべて売り払って、その畑を買います」(マタイ13:44)。この宝とは、イエス・キリストのことです。もしあなたがキリストのうちにあるなら、あなたはすでにこの宝を見つけています。そしてイエスはこう言われました。「小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたにその御国を与えることは、あなたがたの父のみこころなのです」(ルカ12:32)。御国は、イエス・キリストとともに、あなたにすでに与えられているのです。あなたは今すぐにでも喜ぶことができます。
覚えておきたいポイント
- 問題そのものが問題なのではありません。違いを生むのは、あなたがその状況をどう受け止めるかです。
- 二つのメンタリティー、二つの結果。奴隷はししばかりに目を向け、王はその背後に隠された宝を極めます。
- 知性の刷新は、選択肢の一つではありません。人は変えられることなく救われることもあり得ます。神が求めておられるのは、あなたのメンタリティーそのものです。
- あなたの障害は、姿を変えた奇跡です。紅海も、燃える炉も、ししの穴も、ゴリアテも、それぞれの巨人が一つの約束を隠しています。
- 神の力は、あなたの弱さの中に隠されています。あなたが逃げ出したいと思うその場所こそ、まさに神の恵みが現される場所なのです。
個人への適用
- 今日、あなたの前でほえている「しし」は何ですか。具体的に名前をつけてみましょう。
- それを見つめるとき、あなたには本当は何が見えていますか。獲物としての自分でしょうか、それとも極めるべき宝でしょうか。
- どの点について、神に考え方の刷新を求める必要がありますか。
- 今あなたが抱えている弱さの中で、神は逃げるのではなく、その力を探し求めるようにと、どこであなたを招いておられますか。
- 今週、問題のことで「一晩中泣き明かす」のをやめて、立ち上がり、神がその内側に隠しておられるものを極めてみることはできますか。
引用聖句
- 箴言25:2
- ローマ12:2
- 箴言22:13
- 民数記13:32〜33
- 民数記14:1
- 士師記14:5〜14
- サムエル記第一17:25
- コリント第二12:9
- マタイ6:22〜23
- マタイ13:44
- ルカ12:32
- ピリピ4:7
よくある質問
このメッセージにおいて、「王のメンタリティーを持つ」とは、正確にはどういう意味ですか。
それは社会的な地位のことではなく、物の見方の変化のことです。キリストは、私たちを「王とし、祭司とする」ために死んでくださいました。王のメンタリティーとは、目に見える問題で立ち止まるのではなく、神が状況の中に隠しておられる宝を極めることです。それは聖霊による知性の刷新であって(ローマ12:2)、優越感の姿勢ではありません。
「あなたの障害は姿を変えた奇跡である」という言葉と、実際の苦しみとをどう両立させればよいのでしょうか。
このメッセージは、痛みを否定するものではありません。ジュニアス師は、泣く権利はあるが、「一晩中」ではないと語ります。ツィケラグでのダビデのように、少し泣いたら、立ち上がり、敵に奪われたものを取り戻しに行くのです。障害の中に奇跡が隠されていると言うことは、試練を軽く見ることではありません。それは、恐れに約束の上での最後の発言権を与えることを拒むことなのです。
具体的には、日々どのように自分の知性を刷新していけばよいのでしょうか。
心をキリストにささげたように、あなたの思い、目、知性もキリストにささげることです。みことばを黙想し、それが口から離れないように声に出して宣言することです(ヨシュア記1:8)。そして、ジュニアス師が捧げたこの祈りのように、聖霊にはっきりと、自分を変えてくださるよう求めることです。「生ける神の御霊よ、私を捕らえ、私の知性を刷新することによって私を変えてください。神が恵みによって私に相続として与えてくださった隠された宝を、極め、見出し、所有することができますように。」
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