
はじめに
今日、神はあなたのために何かを取り置いておられます。それはあなたを奪うためではなく、最善の時に、最善の経路を通して与えるためです。このメッセージは、シンプルでありながら力強い真理を明らかにします。天には、神があなたの人生のために備えられたすべての恵み、すべての約束、すべての平安がすでに用意されているということです。それらを解き放つ鍵は「従順」です。イエスのバプテスマの模範と、ステパノの忠実さを通して、従順が天を開くこと、そして誠実な心で神にささげられたものを、どんな「墓」も留め置くことはできないということを、あなたは見ていくことになります。
メッセージの概要
1.神はすでにあなたのために祝福を備えておられる
- 「目が見もせず、耳が聞きもせず」神がご自分の子どもたちのために備えておられるもの(コリント人への手紙第一 2:9)。
- 神があなたのために立てておられる計画は、平安の計画であり、将来と希望を与えるものです(エレミヤ書 29:11)。
- 主のいつくしみは朝ごとに新しくされます(哀歌 3:22-23)。
- 栄光の天において、神はすでにあなたの人生のために定められたすべての恵み、平安、約束を握っておられます。あなたの人生は偶然に任されているのではありません。
2.従順が天を開く
- イエスは悔い改めのバプテスマを必要とされませんでしたが、「それがふさわしいことだから」とそれを受けることを選ばれました。すると、すぐに天が開き、神の霊が彼の上に下りました。
- 自分の信仰のゆえに石打ちにされたステパノは、命を救うためにキリストを否むこともできたはずです。しかし彼は死に至るまで忠実であり続けました。聖書は、天が開き、彼が神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見たと記しています。
- まったく異なる二つの状況でありながら、結果は同じです。従順は、開かれた天という目に見える現れを引き起こします。
- 従順は、神があなたのためにすでに取り置いておられるものを、あなたの現実に移す霊的な鍵となります。
3.従順のうちにささげられたものを、どんな「墓」も留め置くことはできない
- イエスは、父への完全な従順のうちに十字架上でささげられた、神の供え物として示されています。墓は彼を留め置くことができませんでした。
- この原則は、あなたにも当てはまります。あなたが誠実な心で、あなたのお金、時間、愛、赦し、奉仕をささげるとき、あなたがささげるものの上には開かれた天があります。
- たとえ人間的に見て、すべてが埋葬され、忘れ去られ、「死んだ」ように見えても、神はすべての従順の行為を見守っておられます。誠実さのうちに神にささげられたものは、何一つ不毛なままでは終わりません。
- 従順は、天と地の間の恒久的な通路となります。どんな障害も、あなたに対する神の約束の成就を決定的に妨げることはできません。
ポイント
- 神はあなたから奪っているのではありません。最善の時に、最善の経路を通して与えるために取り置いておられるのです。
- あなたの人生は偶然に任されているのではありません。神がすでに書き記された計画、将来、希望があります。
- 従順は宗教的な束縛ではなく、あなたの人生に天を開く恵みの鍵です。
- 従順のうちに神の御手にゆだねたものを、どんな墓も留め置くことはできません。
- 神の声とみことばへの従順こそが、天と地をつなぐ具体的な通路です。
個人的な適用
- 今週、聖霊はどの具体的な領域であなたに従順を求めておられますか。人間関係、道徳的な選択、赦し、寛大さなど、どれでしょうか。
- コリント人への手紙第一 2:9、エレミヤ書 29:11、哀歌 3:22-23を時間をかけて読み、黙想してください。これらの箇所は、神があなたのためにすでに備えておられるものについて、何を語っていますか。
- 今日、「死んでいる」あるいは埋葬されているように感じる状況はありますか。それを再び神の御手にゆだね、「従順のうちに神にささげたものを、どんな墓も留め置くことはできない」と宣言できますか。
- 神があなたのために取り置いておられると信じるものを日記に書き、それに応答してあなたが選び取る具体的な従順の行為を記してください。
- 今週、この開かれた天について祈り合える、信頼できる誰かにこのメッセージを分かち合えますか。
引用聖句
よくある質問
「神があなたのために何かを取り置いておられる」とは、具体的にどういう意味ですか。
神はあなたから奪おうとしているのではありません。神はすでに、あなたの人生のために備えられた恵み、平安、約束をご自分の手に握っておられます。もしそのいくつかを取り置いておられるとすれば、それは最善の時に、最善の経路、すなわち従順を通して与えるためです。これは拒絶ではなく、恵み深い保管なのです。
なぜ従順が天を開く鍵として示されているのですか。
聖書自身がそのように示しているからです。イエスがバプテスマを受け入れることで父に従われたとき、天は目に見える形で彼の上に開かれました。ステパノが死に至るまでキリストに忠実であり続けたとき、天は再び開かれ、彼は神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見ました。したがって従順は宗教的な束縛ではなく、神が天で取り置いておられるものがあなたの人生にまで下って来る霊的な通路なのです。
神に期待していることが、埋葬され、死んでしまい、忘れ去られたように見える場合はどうすればよいですか。
イエスの墓を思い出してください。完全な従順のうちにささげられた供え物を、どんな墓も留め置くことはできませんでした。あなたがその期待を誠実な心で神の御手にゆだねたのであれば、どんな状況もそれを決定的に葬り去ることはできません。神はすべての従順の行為を見守っておられ、誠実さのうちに神にささげられたものは、何一つ不毛なままでは終わりません。
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