聖書 — 口語訳 (1955)
コリント人への第一の手紙 2
概要
コリント人への第一の手紙2章は、巧みな弁舌にひかれていた教会へのパウロの答えを続けます。パウロは、雄弁さをもたずに来たこと、ただ十字架につけられたイエス・キリストのほかは何も知るまいと決めたことを思い起こさせます。信仰が神の力に立つためです。続いて、隠された神の知恵について語ります。この世の支配者たちには理解できなかったが、御霊が信じる者に啓示してくださる知恵です。章は一つの約束で結ばれます。私たちにはキリストの心があるのです。
この章の4つの区分
1兄弟たちよ。わたしもまた、あなたがたの所に行ったとき、神のあかしを宣べ伝えるのに、すぐれた言葉や知恵を用いなかった。
2なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。
3わたしがあなたがたの所に行った時には、弱くかつ恐れ、ひどく不安であった。
4そして、わたしの言葉もわたしの宣教も、巧みな知恵の言葉によらないで、霊と力との証明によったのである。
5それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。
6しかしわたしたちは、円熟している者の間では、知恵を語る。この知恵は、この世の者の知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。
7むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。
8この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。
9しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。
10そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。
11いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。
12ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。
13この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。
14生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。
15しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。
16「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。
鍵となる聖句
なぜなら、わたしはイエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなたがたの間では何も知るまいと、決心したからである。
パウロは、十字架につけられたイエス・キリストのほかは何も知るまいと決心したと言います。十字架は、彼の宣教の一段階ではなく、その中心です。
それは、あなたがたの信仰が人の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。
パウロは、コリントの人々の信仰が、語り手の才能に左右されることを望みませんでした。信仰は神の力に立つべきものです。
しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。 そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。
神が備えておられることは、人間の目にも耳にも思いにも及びません。神は御霊によってそれを啓示されます。御霊は神の深みまでも極めてくださるのです。
「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。
章の終わりは、信じる者にキリストの心があると宣言します。これは優れた知識ではなく、御霊によって与えられる、神のことを理解する仕方です。
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説教が語っていること
コリント人への第一の手紙2章についてよくある質問
コリント人への第一の手紙2章9節の「目がまだ見ず」とはどういう意味ですか
パウロは、神を愛する人々のために神が備えておられるものは、人が見たり、聞いたり、思い描いたりできるものを超えていると述べます。次の節は、神が御霊によってそれを啓示されると明らかにします。文脈では、まず問題になっているのは、キリストにある神の知恵、つまり救いであり、物質的な祝福ではありません。多くの信者は、そこに将来への望みも見いだします。
パウロが言う「十字架につけられたキリスト」とはどういう意味ですか
パウロは、コリントでは十字架につけられたイエス・キリストのほかは宣べ伝えるまいと決めていたと述べます。美しい言葉を好む町で、パウロは十字架を中心に置きました。そこで神が救いのために働かれたからです。この意図的な選択が、信仰を語り手の巧みさから守り、神の力の上に立たせます。
コリント第一2章の「霊の人」とは何ですか
パウロは、神の御霊のことを受け入れない生まれながらの人と、御霊の光のもとでそれを判断する霊の人とを対比します。特別なエリートのことではありません。パウロは、すべての信者が神からの御霊を受けていると述べているからです。霊的であるとは、御霊の教えのもとに生き、キリストの心を持つことを意味します。
コリント人への第一の手紙 2を引用している記事
口語訳(1955年)— パブリックドメイン。