はじめに
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。」伝道者の書3章1-8節のみ言葉から、トータルカウンセリングスクールの講師である金藤晃一師が、2026年10月4日、日本の米沢興譲教会で説教しました。題は「思い通りでないのも幸せ」。このメッセージの要点がすべて込められています。思い通りにならないことも、幸せになり得るのです。
説教者は、失敗を内側から知っている人として語ります。不登校を経験し、いくつもの神経症と重いうつ病を通ってきました。「もうこれで人生は終わりだと思ったことが、何度あったか数えきれません。」ユーモアをたっぷり交えながら、私たちがなぜ思い通りにならないことにこれほど弱いのか、そして主がそばにいてくださると知るとき何が変わるのかを語ります。
メッセージの流れ
1. 五回挑戦して一回の成功
- 成功率が20%しかない仕事があるとします。あなたは引き受けますか。意欲的な経営者なら迷わず「はい」と答えます。成功率20%とは、少なくとも五回挑戦すれば、一回は成功する見込みが十分にあるということだからです。
- 説教者は、ユニクロを世界的な企業に育てた柳井正氏の著書『一勝九敗』を紹介します。柳井氏は失敗したことのない人だと思い込んでいましたが、実際にはその人生は失敗の連続でした。そして、その失敗のただ中から、すべてを覆う成功が生まれたのです。
- 柳井氏は、おおよそこう語っています。「失敗したことがないと言う経営者は怪しい。」数えきれないほどの失敗を経験した人にしか言えない言葉です。
- 伝道者の書も同じことを語っています。成功する時があり、何度も失敗する時があります。勝つ時があり、負ける時があります。「思い通りにいかなかったからといって、すべてが終わったわけではありません。その時もあなたの人生の一部なのです。」
2. 私たちのすべての時は神の御手の中にある
- 「泣くに時があり、笑うに時があり、探すに時があり、失うに時がある」と読むと、誰もが自分の人生の場面を思い浮かべます。ひとことで言えば、良い時ばかりではなく、つらい時もあります。そのつらい時でさえ、私たちはみな神の御手の中で通っているのです。
- 喜びも悲しみも苦しみも、決して無駄にはなりません。理解できない出来事の中にも神はおられ、それを用いてくださいます。
- 教師たちを支えているあるカウンセラーが、彼にこんな言葉を打ち明けてくれました。彼はこの言葉を二度繰り返します。「思い通りにならない時は、たいてい神様のみ心の通りになっている時です。」
- 聖書は初めから終わりまで、それを告げています。あなたは自分の力で人生を治めているのではなく、神の御手によって生かされているのです。
- 伝道者の書3章11節は、この箇所全体をまとめています。口語訳はこう訳します。「神のなさる事は皆その時にかなって美しい。」あなたの人生を美しくするのは、あなたを造り、この命を贈り物としてくださった主です。
3. 思い通りでなくて本当によかった
- ある日、金藤晃一師は、もしすべてが思い通りになっていたら自分はどうなっていただろうかと考えました。その答えに彼はぞっとしました。すでに自己中心的で高慢だった自分は、手のつけられない人間になり、福音を伝える代わりに自分の手柄話をする人になっていたでしょう。
- 恩知らずにもなっていたでしょう。昔、デパートのおもちゃ売り場で、少しでも断られると足をばたばたさせて泣き叫んでいた子どものように、わがままになっていたでしょう。視野は狭くなり、ものごとを別の角度から見ることも、人の痛みを理解することもできなくなっていたはずです。
- 「私は心の底から言いました。私の人生が思い通りでなくて本当によかった、と。」すべてが順調な時は、すばらしいことです。思い通りにいかない時も、同じようにすばらしいことなのです。
- 彼は、女子サッカー部で有名な学校の監督に出会った話をします。その学校は何度も日本一になり、多くの選手が日本代表に選ばれています。彼が強さの秘密を尋ねると、監督は微笑んで答えました。「負けることです。」
- 監督によれば、負けた時に選手たちは自分の弱さと向き合わざるを得ず、そこで確実に成長します。チームの絆も強くなります。敗北の苦さを味わったからこそ、負けた相手の気持ちがわかり、相手への敬意が生まれます。負ける時があり、勝つ時があるのです。
4. 基準を変える
- なぜ私たちは、思い通りにならないことにこれほど弱いのでしょうか。自分の心を探った説教者は、こう気づきました。すべてが自分の望み通りになるのが普通で、そうならないのは異常だと思い込んでいたのです。
- ある夫婦が結婚について相談に来たことがありました。彼は夫に、真顔でこう答えました。「奥さんの機嫌が悪いのは普通です。それを基準にしてください。」夫は唖然とし、妻は大笑いしました。
- 多くの夫は、妻はいつも機嫌がよいものだと思っています。少しでも不機嫌な様子を見せると、自分も腹を立てます。新しい基準を持てば、その度に反応しなくなり、妻がいつも不機嫌なわけではないことに気づき、喜んでいる姿が目に入るようになります。良い循環が始まります。
- 妻にはこう言いました。「ご主人が自分をわかってくれないのは普通です。」わかってもらえて当然と思っている人は、結局がっかりし、「この人は一生わかってくれない」と思い、話すのをやめてしまいます。これが、家庭から会話が消える理由の一つです。新しい基準を持てば、夫が自分をわかってくれた日は小さな奇跡になり、彼女の素直な喜びが夫にも伝わります。
- 人生全体についても同じです。「人生は思い通りになるはずだ」から「人生は必ずしも思い通りにならない」へと基準を変えると、ものの見え方が変わります。思い通りにならないことは、悪でも不幸でもありません。あなたが喜ぶ時、主も一緒に喜んでくださいます。あなたが途方に暮れる時、主の御手はあなたを決して離しません。
- ある人に言われたことがあります。「何をしても、人生は思い通りにならないものだ。」彼はうなずき、そして自分でも驚くことに、こう付け加えていました。「でも、結局は、人生はなんとかうまくいくようにもなるものですよ。」今では、主がその言葉を自分の口に置いてくださったのだと思っています。
5. 主のご計画が成る
- 北海道の帯広に、繁盛している菓子店がありました。ところが、道内の別の店と同じ名前だったため、争いになり、あやうく裁判になるところでした。従業員たちは戦う気でいました。
- 店主は静かにこう言いました。「私たちの仕事は、お客様に喜んでいただけるおいしいお菓子を届けることです。裁判に使う時間と力とお金は、お菓子づくりに使いましょう。」従業員たちは店主のもとで心を一つにし、あれほど誇りにしていた店名を譲りました。
- 新しい名前は、近くのお寺の和尚さんがつけてくれました。それが六花亭です。バターサンドや和菓子で知られる北海道の名店で、ここから飛躍が始まりました。自分の店の名前を譲る。これ以上の不条理があるでしょうか。それでも、その思い通りにならなかったことの中に、大きな幸せが隠れていたのです。
- 箴言19章21節。「人の心には多くの計画がある、しかし主の御旨だけが堅く立つ。」説教者はこの節を読むたびに、こう聞こえてきます。望んだものが得られなかったからといって、終わりではない。そこから、私たちの失望や絶望をはるかに超える主のみわざが始まるのです。
- 「私を見てください。私の人生は、思い通りにならなかったことでできています。」彼は不登校も、三つの神経症も、重いうつ病も、自分で選んだわけではありません。それでも、すべて終わったと思っていたのは自分だけでした。主はそこから、彼の想像を超えるみわざを始められ、今日、彼をこの講壇に立たせてくださったのです。
- イエスご自身も、思い通りにならないことを知っておられました。ゲツセマネで、イエスは父に正直に祈られました。この杯、すなわち十字架の杯を取りのけてください、と。しかし、ご自分の願いではなく、父のみこころに従って歩まれました。十字架で死ぬ時があり、墓からよみがえる時がありました。それによって、あなたも私も救われたのです。
6. 主はヨセフと共におられた
- 「泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時がある。」聖書は、泣いてはいけないとは言いません。心が砕かれている時に、「すべて大丈夫」と自分に言い聞かせることも求めません。泣いてよいのです。そして神に正直に叫んでよいのです。「私はどうすればよいのですか」と。
- 思い出してください。「どうして何も思い通りにならないのか」と嘆くあなたのそばに、主は今もおられます。
- ヨセフがその例です。兄たちにねたまれ、半殺しにされ、エジプトに奴隷として売られ、その後、無実の罪で訴えられて牢に入れられ、彼は人生のすべてを奪われました。
- それでも、聖書はそのような苦しみのただ中で繰り返します。「主はヨセフと共におられた。」奴隷の時も、主は共におられました。囚人の時も、主は共におられました。
- ヨセフの幸せは、すべてが思い通りになったことからでも、苦しみが終わったことからでもありませんでした。主が共におられたことから来ていました。のちに神はその苦しみを大きな祝福に変えられましたが、何より大切なのは、主がいつも彼のそばにおられたということです。
- 興譲教会では、「試練は宝」とよく言われます。説教者は、試練のただ中ではそう信じることが難しいと正直に認めます。思い通りにならない時の幸せを支えるのは、この事実です。主があなたと共におられ、あなたは一人ではないということです。
7. 「人は私に感謝しなくていい」
- 彼の隠れた基準の一つに、「人は私に感謝して当然だ」というものがありました。たいていの人は感謝してくれます。しかし、そうでない人がいると、何も言わなくても、心の中に思いが湧き上がりました。「あれだけしてあげたのに……。」
- 彼は基準を変えることにしました。「人は私に感謝しなくていい。」その結果に彼は驚きました。「聖霊の新鮮な風が、私の心に吹いてきただけでなく、勢いよく吹き込んできたのです。」
- まず気づいたのは、自分でも知らないうちに、奇妙な帳簿をつけていたことです。あの人は感謝してくれた、この人もしてくれた、あの人はまだだ。「自分を何様だと思っているのか。」彼は恥ずかしくなり、勘定は自然に止まりました。言葉にできない解放感が心を通り抜けました。
- 日本のことわざに、「受けた恩は石に刻め、かけた情けは水に流せ」とあります。今では、これは心を健やかに保つための先人の知恵だとわかります。愛を注いだら、それを忘れましょう。
- 感謝の質が変わりました。誰かに感謝されると、当然のことではないので、深く心を打たれます。感謝が足りなかったのは自分のほうだったと気づきました。彼はひざまずきました。「主よ、ごめんなさい。」顔を上げると、イエスの微笑みが見えました。「よろしい。新しい自分を発見したね。」
- 思い通りにならないことは、気づかなかった神の恵みに私たちを出会わせます。すべてが順調な時は神がおられ、そうでない時は神がおられない、という子どもじみた考えから、私たちは自由にされます。どちらの時にも、主はあなたのそばにおられます。だからこそ、「神のなさる事は皆その時にかなって美しい」と宣言できるのです。
この記事のポイント
- 成功する時があり、失敗する時があります。失敗はすべての終わりを意味しません。
- 私たちの苦しみも喜びも神の御手の中にあり、決して無駄にはなりません。
- 私たちの怒りの多くは、すべてが望み通りにならなければならないという、隠れた基準から来ています。
- ヨセフの幸せは、恵まれた状況からではなく、主が共におられたことから来ていました。
- 感謝を期待しなくなると自由になり、感謝の心をあらためて発見できます。
個人への適用
- 思い通りにならない、どんな状況のせいで、今「もうすべて終わりだ」と思っていますか。
- 「配偶者は私をわかってくれて当然」「人は感謝して当然」「私の人生はうまくいくはず」など、どんな隠れた基準があなたのいらだちを育てていますか。
- 自分の人生を振り返って、神が成長のために用いてくださった思い通りにならなかった出来事を、一つ挙げられますか。
- 主がそばにおられると知って、痛みを神に正直に話し、涙を流す勇気がありますか。
- 今週、石に刻みたい受けた恩は何ですか。水に流したい、かけた情けは何ですか。
引用された聖句
よくある質問
伝道者の書3章の「何事にも時がある」とはどういう意味ですか。
金藤晃一師にとって、この箇所は、人生が良い時だけでできているのではないことを思い出させてくれます。成功する時があり、失敗する時があり、勝つ時があり、負ける時があります。つらい時も神の御手の中にあり、そのどれも無駄にはなりません。
なぜ思い通りにならないと、これほど苦しくなるのですか。
説教者はそこに、隠れた基準があると見ています。心の奥底で、私たちはすべてが自分の望み通りになるべきで、そうでないのは異常だと思っているのです。彼はその基準を変えることを勧めます。人生は必ずしも思い通りにならない、と。そうすれば、うまくいくことはすべて贈り物になり、うまくいかないことを不幸として受け取らなくなります。
すべてがうまくいかない時、神の前で泣いてもよいのですか。
はい。伝道者の書3章は、泣くに時があると語っています。金藤晃一師は、聖書は悲しみの中に無理に幸せを見つけようとすることを求めていないと強調します。泣いて、神に正直に叫んでよいのです。ヨセフの場合と同じように、主は試練のただ中で、あなたのそばに立っておられます。