あなたの希望の錨は天に投げ込まれている

読了時間 1分

2025年11月30日(日)礼拝メッセージ、東京キリスト教会、ヘブル人への手紙シリーズ第3回。

海に沈める錨ではなく、天に投げ込まれる錨

あなたの人生は、時に小さな船のように感じられることがあります。嵐が起こり、波が高まり、風がすべてを揺さぶります。錨がなければ、船は流されてしまいます。

普通、錨は海の深みに投げ込まれます。それは沈んで海底に食い込み、船が流されないようにします。しかし、ヘブル人への手紙は驚くべきことを語っています。私たちの希望の錨は下に投げ込まれるのではなく、上に投げ込まれています。それは天の聖所に打ち込まれているのです。

あなたの体はまだこの地上にありますが、あなたの魂はすでに神の御座にしっかりと固定されています。あなたはこの地上に生きていながら、すでに天に属しているのです。なぜ、嵐の真っただ中にあっても、あなたは流されることなく神に錨を下ろしていられるのでしょうか。その答えは一つの言葉にあります。「大祭司」です。一緒に見ていきましょう。

メッセージの流れ

1. イエス様はすべての祭司にまさる方

「ところが今、キリストはさらにすぐれた務めを得られました。というのは、さらにすぐれた約束に基づいて制定された、さらにすぐれた契約の仲介者だからです。」(ヘブル8:6

この一節の中だけで、著者は三度も、イエス様が普通の祭司たちよりも「まさっている」「すぐれている」「はるかにすぐれている」と繰り返しています。4章14節から8章6節まで、実に4章にわたって、著者はさまざまな角度からこの優位性を証明することに費やしています。

イエス様はレビ族の祭司ではありません。イエス様は、創世記に登場するあの謎めいた人物、メルキゼデクの位に等しい祭司です。アブラハムの時代、彼が戦いから帰って来たとき、このメルキゼデクに十分の一を納めました。メルキゼデクとは誰でしょうか。彼はサレム、後のエルサレムの王であり、同時に祭司でもありました。王であり、かつ祭司である、この二重の役割はメルキゼデクとイエス・キリストにしか見られません。

イエス様はどのようにして祭司になられたのでしょうか。アロンの家系によってでも、レビ族に生まれたからでもなく、神ご自身が任命されたからです。では、どれくらいの期間、祭司であり続けられるのでしょうか。普通の祭司たちは死ねば交代させられました。しかしイエス様は、永遠に私たちの大祭司であり続けられます。

祭司はまず自分自身の罪のためにいけにえを献げてから、民のために執り成しをしなければなりませんでした。罪のないイエス様には、その必要がありませんでした。動物のいけにえは際限なく繰り返す必要がありましたが、イエス様はご自身の血を、ただ一度だけ献げられました。しかもその効力は一時的なものではなく、永遠に続きます。イエス様は古い契約の仲介者ではなく、新しい、よりすぐれた契約の仲介者です。

なぜ著者はこれほどまでに祭司職について強調するのでしょうか。それは、ユダヤ人にとって祭司なしには聖なる神に近づくことが不可能だったからです。罪ある人間には、聖なる神の前に立つために仲介者が絶対に必要でした。神との関係は常に間接的で、祭司を通してのみ成り立っていました。しかしイエス様によって、もはや人間の祭司も、動物のいけにえも必要なくなりました。イエス様ご自身が、あなたを直接神に結びつけてくださるのです。イエス様が唯一の道となられました。

2. 厳粛な警告、そして愛のことば

この手紙が書かれた当時、ユダヤ人クリスチャンたちは激しい迫害の嵐の中にあり、多くの人が古いユダヤ教に戻ろうと考えていました。著者は彼らに、厳しくも愛に満ちた警告を語ります。

「一度光に照らされて天からの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、神の良いみことばと来たるべき世の力を味わっておきながら、それでいて堕落してしまうなら、そのような人をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは自分自身で神の子を再びの十字架につけ、公然とはずかしめものにしているのです。」(ヘブル6:4〜6

この箇所は、新約聖書の中でも最も解釈が難しい箇所の一つとして知られています。これは単なる罪や、一時的な怒り、あるいは普通の道徳的な失敗について語っているのではありません。ここで語られているのはもっと具体的なことです。すなわち公然とイエス様を否定し、古い宗教体系に戻り、イエス様を十字架につけた側に立つことです。それは、イエス様の十字架刑が正当だった、つまりイエス様はメシアではなかった、と宣言することにほかなりません。

もしあなたが大祭司としてのイエス様を拒むなら、罪を贖う他の方法はもはや存在しません。論理的に言えば、もう悔い改めの機会は残されていないのです。ユダヤ人クリスチャンたちは、究極の祭司であるイエス様によって、ついに神に直接結びつけられていました。彼らが再び仲介者を立てようとするのを見ることは、著者にとって悲劇的な後戻りでした。

ところが9節になると、突然、語調が変わります。

「愛する者たち。私たちはこのように言ってはいますが、あなたがたについては、もっと良いことを、また救いにつながることを確信しています。神は不正な方ではありませんから、あなたがたの行いと、御名のために示した愛を、お忘れになることはありません。……私たちの願うところは、あなたがたが一人残らず、最後まで同じ熱心さを示して、望んでいることを完全に達成することです。あなたがたが怠け者にならず、信仰と忍耐によって約束のものを受け継ぐ人々に見倣う者となることです。」(ヘブル6:9〜12

著者は「あなたがた」から「私たち」へと語りかけを変えます。私はあなたがたと共にいます。一緒に走り抜きましょう。力強く、愛にあふれた呼びかけです。

今日も、私たちは同じ罠に陥りやすいのです。私は28歳で洗礼を受けましたが、それ以前の生き方があまりに深く染みついていて、気づかないうちに神との古い関係、つまり罪悪感、恐れ、業績によって生きる関係に滑り落ちてしまうことがあります。自分の失敗を埋め合わせなければならない、「だめな人間」として挽回しなければならない、という感覚です。神に仕える働きをしているときでさえ、「悪く思われないように頑張らなければ」と思ってしまうことがあります。それは、イエス様の代わりに、古い仲介者、つまり自分自身の業績を立てているのと同じことです。

大祭司であるイエス様が、私の罪のためにご自身を献げてくださったのに、私はいまだに震えながら鎖につながれた罪人のように生きてしまうことがあります。私はもう罪の奴隷ではないのに、まだ鎖につながれているかのように生きてしまうのです。それは、私なりの小さな規模で、イエス様をもう一度十字架につけることに等しいのです。

3. イエス様、聖所における希望の錨

イエス様との直接の関係の中で、どうすれば堅く立ち続けられるのでしょうか。アブラハムがそうしたように、神の約束と誓いにしっかりとつかまることによってです。

「神はアブラハムに約束されたとき、ご自分より偉大な者にかけて誓うことができなかったので、ご自分にかけて誓い……こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得たのです。……私たちは、目の前に置かれている望みを捕らえようとして、避けどころに逃れて来た者であり、力強い励ましを受けているのです。この望みは、私たちのたましいのために、いかりのように安全で確かなものであり、また幕の内側に入って行くものです。イエスは、私たちより先にそこに入って、私たちのための先駆けとなり、メルキゼデクの位に等しい大祭司として、永遠に任命されました。」(ヘブル6:13〜20

神は二つの変わることのないことをなさいました。約束(「わたしはあなたを大いに祝福する」)と誓い(神がご自身にかけて誓われたこと)です。神のことばだけで、すでに十分でした。それでも神は、私たち相続人が力強く励まされるようにと、誓いを付け加えてくださったのです。

誓いの重みを実感させてくれる、人間の例があります。1914年、イギリスの探検家アーネスト・シャクルトンは、乗組員たちとともに南極大陸を目指し、「エンデュアランス号」で出発しました。船は氷に閉じ込められ、少しずつ沈んでいきます。シャクルトンは部下たちに誓いました。「必ず迎えに戻る。」彼は数名の部下とともに小さな救命艇に乗り込み、荒れ狂う海に立ち向かいます。奇跡的に、彼らはサウスジョージア島にたどり着きました。しかし、そこからさらに試練が続きます。氷と嵐に阻まれ、救助のための試みは四度失敗します。四度目、実に四か月半後、彼はついに部下たちが待つ島にたどり着きました。全員が生き延びたのです。彼らが、隊長のことばを信じ抜いたからです。2022年、「エンデュアランス号」の残骸が、水深3000メートルの海底で、驚くほど良い状態で発見されました。

シャクルトンという一人の人間でさえ、命がけで誓いを守り抜いたのなら、私たちの父である神が、あなたにされた約束を守られないはずがあるでしょうか。

これこそが、あなたの錨です。それは大海に沈められるのではなく、幕の内側、天の聖所に投げ込まれています。あなたが大祭司であり仲介者であるイエス様を受け入れるとき、イエス様ご自身が、あなたを至聖所へと導く道となってくださいます。あなたの希望は、すでに天にあるのです。どんな嵐も、あなたの船を引き離すことはできません。なぜなら、イエス様ご自身が錨を握っておられるからです。

なぜあなたは後退することなく、最後まで走り抜くことができるのでしょうか。それは、あなたの力や才能、知識、あるいは握力の強さによるのではありません。イエス様が、決してあなたを手放されないからです。

心に留めたいポイント

  • イエス様は、すべての祭司にまさる方です。メルキゼデクの位に等しい、永遠の仲介者です。ほかの仲介者は一切必要ありません。
  • イエス様は、ただ一度のご自身の犠牲によって、神への直接の道を開いてくださいました。
  • 業績、罪悪感、恐れといった「仲介者」に立ち返ることは、イエス様がなしてくださったことを否定することです。
  • あなたの希望は、二つの変わらないもの、すなわち神の約束と誓いの上に築かれています。
  • あなたの錨は天にあり、それを握っておられるのはイエス様ご自身です。

個人的な適用

  1. 今日、あなたは神とあなたの間に、イエス様以外のどんな「仲介者」を置いていますか。(業績、罪悪感、他人の評価、恥、怒りなど。)
  2. 今週、イエス様がすでに自由にしてくださったのに、「まだ鎖につながれた奴隷」のように生きてしまった瞬間はありましたか。
  3. あなたは毎朝、こう言うことができますか。「神の愛は変わらない。私が何かを加える必要はなく、何かを失う心配もない。今日、私は平安のうちに、神のために最善を尽くします。」
  4. 今、あなたはどんな嵐の中にいますか。鎖を握りしめる自分の手ではなく、天にある錨を見上げることができていますか。
  5. 今週、あなたはどのように兄弟姉妹を励まし、古い生き方に戻らないよう支えることができますか。

引用聖句

よくある質問

ヘブル人への手紙は、なぜこれほどまでに祭司職を強調するのですか。

ユダヤ人にとって、祭司なしには聖なる神に近づくことは不可能でした。罪ある人間と神との間には、常に仲介者が立たなければなりませんでした。著者は、イエス様こそがこの究極の大祭司であり、人間の仲介者を必要とせず、あなたを直接神に結びつけてくださる方であることを示しています。

ヘブル6:4〜6にある「悔い改めに立ち返ることができない」とは、どういう意味ですか。

この箇所は、単なる罪や、信仰の弱いクリスチャンについて語っているのではありません。ここで語られているのは、公然とイエス様を否定し、その十字架刑が正当だったとみなして古い体系に戻る人々のことです。大祭司であるイエス様を拒むなら、罪を贖う他の方法はもはや存在しません。

この希望の錨を、具体的にどう生きればよいのですか。

毎朝、神の愛はあなたの業績によって左右されないことを思い出してください。良い行いによってそれを増やすこともできず、失敗によってそれを減らすこともできません。拒絶される恐れからではなく、すでに天に結びつけられている安心の中から、その日を生きてください。

「Foi」の説教をすべて見る

東京キリストの教会の説教を見逃さない

新しいメッセージの要約をお届けします。

メモを取ったり質問したりするにはサインインしてください。

関連記事

説教の公開元 東京キリストの教会. 説教全体を見る のチャンネルで.

← ブログに戻る

あなたの希望の錨は天に投げ込まれている | Efficient Church