敵があなたのまなざしに蒔く毒麦

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はじめに

敵はいつも正面から来るわけではありません。時には夜にやって来て、神があなたの畑に植えたものに似せたものを蒔くのです。マタイの福音書13章の毒麦のたとえから語られるこの説教で、トグベ・ナイガイエは、この敵がまず神について、あなた自身について、あなたの兄弟について、あなたのまなざしを乱そうとすることを示します。なぜなら、毒された視界はやがて自ら破滅していくからです。そしてイエスこそがその解毒剤であることを彼は思い起こさせます。

メッセージの概要

1.敵はまずあなたのまなざしを乱すことから始める

  • トグベは個人的なイメージから話を始めます。約13年前、結婚式の直前に初めて全身麻酔から目覚めたとき、婚約者や兄弟の声は聞き分けられても、顔をはっきりと思い浮かべることができず、自分が存在していることは分かっていても、意識がはっきりしていない状態だったといいます。敵も霊的に同じことをします。神について、あなたの兄弟姉妹について、そして神があなたを置かれた環境についての認識を歪めに来るのです。
  • マタイ13章に出てくるギリシャ語のジザニア(zizania)は、フランス語の「セメ・ラ・ジザニー(semer la zizanie、不和の種を蒔く)」という表現の語源です。毒麦は最初は小麦に似ていますが、それを小麦粉に混ぜて食べると、ある種の酩酊状態、混乱状態を引き起こし、大量に摂取すれば命に関わります。
  • 敵は明らかに分かるものを蒔くのではありません。正当に見え、理にかなっていて、ほとんど本当らしく見えるものを蒔くのです。彼の戦略は、あなたの警戒心を乱すことです。なぜなら、毒されたまなざしは自ら道を逸れていくからです。
  • このたとえ話は種を蒔く人のたとえのすぐ後に置かれています。「良い地」になったということは、到達点ではありません。むしろ、あなたが良い地であるからこそ、敵は戦略を変え、より巧妙になるのです。
  • このたとえにおける「夜」とは、霊的に眠っている時のことです。見張られていない争い、癒やされていない傷、弱さの瞬間です。だからこそ「目を覚ましていなさい」という言葉が福音書の随所に出てくるのです(マタイによる福音書26:41、ペトロの手紙一5:8、ルカによる福音書21:36)。

2.アダムは倒れ、イエスは踏みとどまる

  • 園の中で、蛇は正面から攻撃しません。エバが一人になる好機を待ち、こう問いかけます。「園のどの木からも食べてはいけないと、神は本当に言われたのですか。」彼は巧妙に、祝福よりも先に禁止事項を提示するのです。
  • 神はアダムとエバに対して、豊かさの神として自らを現していました(「どの木からでも食べてよい」)。しかし敵は神を禁止の神であるかのように見せます。その結果、「神は以前より善くないように見え、禁止は不当に見え、実は魅力的に見え、自律は賢明に見える」ようになります。これは小麦の姿をした毒麦なのです。
  • アダムとエバは、もはや神を正しく見ることができず、自分自身を正しく見ることもできず、互いを正しく見ることもできなくなります。彼らは身を隠し、互いを責め、自らを覆います。彼らの現実に対する認識は歪められ、毒されたまなざしはその後すべてを破壊していくのです。
  • イエスもまた、同じ巧妙な戦略にさらされます。荒野で40日間断食した後、肉体は弱り、敵はその好機を選んで、毒麦を小麦であるかのように差し出します。もしあなたに何かをパンに変える力があり、あなたが空腹であるなら、なぜそうしないのか、と。しかしイエスは霊的に目覚めています。彼は毒麦を見抜き、こう答えます。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による、とも書いてある」(マタイによる福音書4:4)。
  • 次に敵は近道を提案します。「あなたはメシアではないか。なぜ十字架を通る必要があるのか。見よ、これらすべてをあなたに与えよう。」イエスは再び書かれたみことばによって答えます。「あなたの神である主を拝み、ただ主にのみ仕えよ。」ルカはこの失敗の後、悪魔が「別の好機を待って」立ち去ったと記しています。
  • アダムが倒れたところで、イエスは踏みとどまります。アダムが見誤ったところで、イエスは正しく見ます。アダムが毒麦を入り込ませたところで、イエスは完全に冷静なままです。そして、まさに彼が正しく見ているからこそ、神を善い方として見続け、人間を別の仕方で見続けることができるのです。

3.本当の敵と本当の勝利

  • たとえの中で、しもべたちは主人に毒麦がどこから来たのかを尋ねます。答えはこうです。「それは敵の仕業だ。」それは主人の敵であって、畑の敵ではありません。彼は主人が植えたものを台無しにしようとしているのです。
  • これはあなたが他者を見るまなざしを変えます。あなたの兄弟、姉妹、あなたと対立している人は、あなたの敵ではありません。それは、共通の敵が何かを蒔いた畑なのです。エフェソの信徒への手紙6:12はこれを裏付けます。「私たちの戦いは、血肉に対するものではなく、支配、権威、この暗闇の世界の権力、天にいる悪の諸霊に対するものです。」
  • 本当の敵が誰であるかを見極めるとき、あなたは震えることなく、断固とした、根本的な行動を取ることができます。なぜなら、それはもはやその人物への敵意によって動かされているのではないからです。イエスは神殿の両替人の台をひっくり返し、パリサイ人たちを「白く塗った墓」と呼びます。それでいて十字架の上では、こう祈ります。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からずにいるのです。」その人への完全な愛と、その人に宿る敵に対する根本的な戦い。
  • 主人はしもべたちに、自分たちで毒麦を抜き取ることを禁じます。なぜなら、その根は小麦の根と絡み合っているからです。あなたは自分の判断で他者の中の毒麦を取り除く権限を持っていません。これはさりげなく、梁と塵のたとえを思い起こさせます。
  • 解毒剤は、単なる意志の努力でも、霊的なテクニックでもありません。それはキリストによって養われることです。彼のみことば、彼の臨在、彼の真理によってです。「私のもとに来る者は決して飢えることがない」(ヨハネによる福音書6:35)。あなたがいのちのパンによって養われるとき、毒麦はその力を失い、霧は晴れ、視界は回復するのです。人は自分が食べるものになるのです。

ポイント

  • 敵は正面から攻撃しません。毒麦、すなわち小麦に似ているが、神について、あなた自身について、他者についてのあなたの視界を乱すものを蒔くのです。
  • 良い地になったことは到達点ではありません。回心は目を覚ましていることを免除するものではなく、むしろその時にこそ敵はより巧妙になるのです。
  • アダムが神へのまなざしを逆転させる問いに耳を貸して毒麦を入り込ませたところで、イエスはそれを見抜き、書かれたみことばに立ち返ることでそれを拒みました。
  • あなたの兄弟はあなたの敵ではありません。本当の敵は主人の敵であり、あなたの姉妹、兄弟、共同体の畑に神が植えたものを台無しにしようとやって来るのです。
  • 毒麦を自分で抜き取ってはいけません。解毒剤は、いのちのパンによって養われることです。すなわちキリスト、彼のみことば、彼の臨在、彼の真理によってです。

個人的な適用

  1. 敵はあなた自身に対するあなたのまなざしに何を蒔きましたか。時間の経過とともに、どんな「あなたにはできない」という思いが根付いてしまいましたか。
  2. 敵は神を見るあなたの見方に何を蒔きましたか。あなたは神を禁止の神として見ていますか、それとも、あなたを守るための境界線を持つ豊かさの神として見ていますか。
  3. 敵は兄弟や姉妹を見るあなたの見方に何を蒔き、その結果、彼らのうちに神が蒔かれた小麦を見出せなくなっていますか。
  4. あなたの警戒心は今どうなっていますか。今、あなたが「霊的に眠っている」領域はありますか。争い、傷、繰り返し流れ続ける思考などです。
  5. 今週、あなたは何によって養われていますか。毒麦がその力を失うほど、みことばとキリストの臨在の中に十分な時間を過ごしていますか。

引用聖句

よくある質問

マタイ13章のたとえにおける「不和の種を蒔く(セメ・ラ・ジザニー)」とはどういう意味ですか。

フランス語の表現「セメ・ラ・ジザニー」は、マタイ13章で使われているギリシャ語のジザニアに直接由来します。これは毒麦を指し、成長初期には小麦に似ていますが、小麦粉に混ぜて食べると、ある種の酩酊状態や混乱を引き起こし、大量に摂取すれば命に関わります。イエスはこのイメージを用いて、敵がひそかに、善いものに見えながらも次第にあなたの認識を乱していくものを蒔く様子を示しています。

なぜ回心は霊的な戦いの終わりではないのですか。

毒麦のたとえの直前にある種を蒔く人のたとえでは、「良い地」になったことが到達点であるかのように見えます。トグベ・ナイガイエは、むしろその逆であり、あなたがみことばを受け取り、実を結んでいるからこそ、敵は戦略を変えるのだと思い起こさせます。彼はもう正面から攻撃するのではなく、夜にやって来ます。つまり、あなたが霊的に眠っている時にやって来て、理にかなっているように見えるものを蒔くのです。だからこそ福音書は「目を覚ましていなさい」という言葉を繰り返し強調しているのです。

敵が私のまなざしに蒔こうとしている毒麦をどう見分ければよいですか。

トグベは検討すべき3つの具体的な視点を提示します。自分自身に対するあなたのまなざし(あなたのうちに根付いた「あなたにはできない」という思い)、神に対するあなたのまなざし(禁止の神か、あなたを守る豊かさの神か)、そして兄弟や姉妹に対するあなたのまなざし(戦うべき敵か、神が何かを蒔かれた畑か)です。見分ける力は意志の努力によって得られるものではなく、キリストによって、いのちのパンによって、彼のみことばと臨在によって養われることによって得られます。そうしてこそ視界は回復するのです。

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